台湾一周自転車旅

台湾一周自転車旅「環島」 兄の恩人の老夫婦を、18年後に訪ねたら (5)関山〜花蓮

「環島」をご存じですか? 台湾をぐるり一周する旅のことです。とりわけ近年人気の自転車による環島に、ライターの中村洋太さんが挑んだ連載「台湾一周自転車旅」。第5回は関山から花蓮まで。あの人とまさかの3度目の再会を果たし、名物の玉里麺を堪能。道中の鳳林で、兄が1999年に世話になったという人を訪ねてみると……。

【台湾一周自転車旅「環島」 もっとも過酷な道の先にいくつもの予想外な出来事 (4)車城~関山】からつづく

台湾スイーツ「豆花」のとりこに

疲れてくると、甘いものが食べたくなる。関山で豆花(トウファ)のお店を見つけたので、休憩することにした。豆花は、豆乳で作られたプリンのような台湾スイーツ。

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台湾伝統スイーツの豆花

白玉や小豆やピーナツなど様々なトッピングがあり、甘いシロップをかけて食べる。ヘルシーで、絹ごし豆腐のような食感が癖になる。台北で食べて以来、すっかりハマってしまった。

関山からは約40キロ、穏やかな田園風景を眺めながら、なんとか雨に降られず玉里まで走り切ることができた。

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関山から玉里にかけては豊かな田園風景が広がっていた

玉里麺と、3度目の再会

玉里には「玉里麺」という名物があると聞いていたので、ぜひとも食べたかった。宿に荷物を置き、街の中心部を歩いた。宿のオーナーに教えてもらったお店にたどり着くと、ちょうど店内から客が出てきた。

「アングス!」

「ヨータじゃないか! よく会うね!」

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アングス(左)に再会。初めて相方(右)に会えた

そこまで小さな街でもないのに、まさかここで3度目の出会いがあるとは。

「玉里麺が食べたくて、この店を宿で教えてもらったんだ」
「ここは有名店だし、おいしいよ。注文を手伝ってあげるよ」
玉里麺には「汁あり」と「汁なし」とがあり、アングスに薦められた「汁なし」の方を食べた。

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汁なしの玉里麺は絶品だった

見た目は変哲のないシンプルな麺料理なのだが、かかっているタレが絶妙な味で、「また必ず食べたい」と思える逸品だった。言われなければ「汁あり」の方を食べていたかもしれない。「アングスのおかげだ」と感慨深く麺をすすった。

1999年の「ある出来事」

台湾を訪れる前月、ベルリンに住む兄から突然メールが届いた。

「来月台湾に行くらしいね。もしできたら、東海岸の鳳林で老夫婦の家に寄ってみてくれないかな?」

兄とは12歳離れている。詳しい事情はわからなかったが、大学時代の旅行中にお世話になった方だと言う。鳳林は「環島」のルート上にある街だったので、どのみち通る。軽い気持ちで「わかった」と返答した。

それからひと月が経った。今いる玉里から、鳳林はそう遠くない。翌日も雨の予報が出ていたので、鳳林まで電車で訪ねることにした。

「明日鳳林に着くよ」

その晩、兄から長い返信があった。書かれていたのは、まるで映画のようなエピソードだった。

1999年8月に台湾旅行をした時、台北から留学生の友人が住む西海岸の高雄へ向かおうとしたところ、間違えて東海岸行きの列車に乗ってしまった。これはまずいと思い、車内で「日本語ができる方はいませんか?」と聞いて回ったところ、「あなた日本人?」と孫を連れたおばあさんが声をかけてくれた。もう夕方に近かったので、その日は鳳林の家に泊めてもらえることになった。家に着くとおじいさんが迎えてくれた。夕飯はお孫さんと屋台へ食べに行った。翌朝、老夫婦が駅まで見送りにきてくれた。その翌月台湾で大きな地震があり電話したら、おばあさんが出て、「こちらは大丈夫」と話したのが最後だ。1999年の時点で70歳は超えていただろう――。

ぼくは老夫婦の顔も知らないが、情景はありありと浮かんできた。その交流から18年後に、弟のぼくがその家族を訪ねるなんて、なんだかテレビ番組の企画みたいだ。どんな手がかりでもいいから、兄に生きた情報を届けたい。不思議な使命感が湧いてきた。

奇跡の対面

兄から得たわずかなヒントは、そのおじいさんの名刺の画像のみ。名前と住所と電話番号が書かれていて、試しに電話をかけてみたが、自動音声が流れてきた。中国語だから意味はわからないものの、「この番号は現在ご利用になれません」と言っていそうな雰囲気だった。

あとは、その住所を直接訪ねるしかない。もしもその老夫婦の家族に会えたら、それだけで奇跡と言えるだろう。近所の方に「ああ、確かに昔住んでたよ」という言葉をもらえるだけでも、大健闘というところではないか。鳳林の駅を降りて、そんな思いで家に向かった。

静かだが、家の入り口に靴が並んでいたから、どうやら人は住んでいそうだった。意を決して引き戸を開け、「ごめんくださーい!」と叫ぶと、奥からおじいさんがやってきた。ぼくは兄から送られた名刺の画像を見せた。

「この方を探しているのですが……」
「……はい。間違いなく、私です」と、おじいさんは日本語で語った。

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薄暗い家の奥からやってきたおじいさん

「昔、日本人がこの家に泊まりませんでしたか?」
「はい。高雄に行こうとして、うちに来た」
「ぼくは、中村と言います」
「ああ、あの時の!?」
「いえ、ぼくはその弟です。台湾を自転車で一周していて、兄に話を聞いて、ごあいさつに参りました」
「そうですか。さ、さ、うちへ上がりなさい。お昼は食べたか? まだだろ? うちで食べていきなさい」

そこで過ごした約2時間は、ぼくの人生の中でもとりわけ美しい時間となった。

86歳の楊阿朝さんは、懐かしそうに当時を回想してくれた。兄から聞いた話とズレはなかった。ぼくは兄のその後を話し、写真を見せた。

やがて楊さんは台所へ向かい、お昼ご飯を作ってくれた。

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台湾で初めて家庭料理を味わった

「遠慮なく食べなさい。息子が帰ってきたようだ。私はとてもうれしい」

残念ながら奥さんは、2014年に亡くなってしまったそうだ。数年前に一緒に北海道を旅行したそうで、その時の写真を見せてくれた。

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右が楊さんの奥さん。電車で兄を助けてくれた方だ

「今日は、うちへ泊まっていくか?」
「いえいえ、今日は花蓮へ行きます。もう宿を取っているので」
「そうか。少し休んだらどうだ?  昼寝していかないか?」
「大丈夫ですよ。ここから35キロあるので、もうそろそろ行かなきゃ」
「そうか。じゃあバナナ持っていって。また台湾に来なさい」

一緒に外に出た楊さんの目には、涙が浮かんでいた。

涙の裏側にあるもの

1945年に日本が戦争で負けるまでの50年間、台湾は日本に統治されていた。その後、大陸から蔣介石率いる中国国民党がやってきた。

ぼくは台湾に来る機内で読んだ、司馬遼太郎『台湾紀行』の一節を思い出していた。

「当初、台湾の多くのひとびとはこれを光復(祖国復帰)として歓呼の声をあげ、(中略)やがて失望した。やってきた陳儀以下の軍人・官吏は宝の山に入り込んだ盗賊のように掠奪(りゃくだつ)に奔走し、汚職のかぎりをつくした。『犬(日本人)が去って豚がきた。犬は小うるさいが、家の番はできる。豚はただ食って寝るだけだ』という悪口が流行した」

それくらい、蔣介石の時代は台湾の人々にとってつらい記憶となっているのだろう。

兄は楊さんの家を訪れた時の印象として、こうも語っていた。

「NHKの衛星放送を受信していて、ちょうど演歌の番組を見ていたんだよね。彼にとって日本がまだこれだけ身近な存在なのかとすごく驚いた記憶がある」

ぼくが訪れた時にテレビはついていなかったものの、彼のよどみない日本語から、今も変わらずNHKを見ているのだろうと想像がついた。

楊さんは、近所のお年寄りとは今でも日本語で会話すると話していた。もっとも年齢が年齢だけに、「(話せる相手は)だいぶ少なくなった」と少し寂しそうな表情で笑っていたが。

日本統治時代を過ごした人々の多くは、日本に対して好感を抱いていると見聞していた。どうやらそれは本当なのだろうと、楊さんと話す中で確信が強まった。

「ぜひまた日本へ来てください」と言うと、楊さんはこう答えた。
「ははは、ありがとう。私は今でも日本人の精神を持っているよ」

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涙を浮かべながら見送ってくれた楊さん

鳳林を出て、途中から雨が降ってきたが、電車には乗らなかった。この土地の匂いや風を、全身で感じていたかった。やがて、楊さんの口調や表情が頭に浮かび、言葉にならない思いが込み上げてきた。

兄とぼくが日本人であること、そして楊さんが14歳ごろまで「日本人だった」ことが、あの涙に深く影響していたのではなかったか。

台湾で、こんな出来事が起きるとは思ってもいなかった。奥さんは亡くなってしまったか。でも楊さんは、よくぞ生きていてくれた。

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花蓮へ向かう途中、雨が降ってきた

左手に台北方向からやってくる短い編成の電車が通り過ぎた。18年前、兄がうっかり電車を乗り間違えなければ、すべては存在しない物語だったのだ。人生はなんと繊細で、美しいドラマだろうか。

遠く離れても手を振り続けてくれた楊さんの姿を思い出し、ぼくは涙を流しながら花蓮への一本道を進んだ。

(つづく)

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PROFILE

中村洋太

1987年、神奈川県横須賀市出身。2011年、早稲田大学創造理工学部卒業。旅行情報誌の編集とツアーコンダクターとしての経験を経て、2017年1月よりフリーランスのライターとして活動。これまでに自転車で世界1万キロ以上を旅しており、西日本一周(2009)、西ヨーロッパ12カ国一周(2010)、アメリカ西海岸縦断(2017)、台湾一周(2017)のほか、徒歩で東京から大阪へ「東海道五十三次600kmの旅」(2017)も。

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