永瀬正敏フォトグラフィック・ワークス 記憶

(36)犠牲者の名に、そっと手を置く子 永瀬正敏が撮ったグラウンド・ゼロ

国際的俳優で、写真家としても活躍する永瀬正敏さんが、世界各地でカメラに収めた写真の数々を、エピソードとともに紹介する連載です。つづる思いに光る感性は、二つの顔を持ったアーティストならでは。今回はニューヨークのグラウンド・ゼロ。9.11テロで大勢の方が亡くなった場所で、永瀬さんがカメラを向けたのは――。

(36)犠牲者の名に、そっと手を置く子 永瀬正敏が撮ったグラウンド・ゼロ

©Masatoshi Nagase

テロ犠牲者の名前が刻まれたブロンズの板に、少年がそっと手を置いて振り返っている。視線の先にいるのは、母親だろうか。ご遺族なのか、観光客なのか、ここがどんな場所かをどこまで理解しているのかは、聞いていないからわからない。というよりも、それは聞けない。

二十数年ぶりにニューヨークを訪ねたら、世界貿易センターのツインタワーが立っていた場所は、滝のように水が流れ込む人造の池になっていた。ニューヨークに住んでいた時、毎日目にしていた大きなビルがもうないと信じられず、足を向けた。ない、と自分の目で確認した時の気持ちは、ひとことでは言えない。

ツインタワーが崩壊した時、僕がニューヨークでルームシェアをさせていただいた家のある通りが、粉じんまみれでテレビに映し出された。驚いて彼に電話をしたが、通じなかった。連絡がついたのは数日後。彼はたまたまニューヨークにいなかったことがわかった。

犠牲者の名は、池を囲む欄干に刻まれていた。僕のように写真を撮っている人は大勢いたけれど、それぞれ思いを抱えて来られるからだろうか、厳かな雰囲気だった。忘れない、という意味では、人が来たほうがいいのだろう。でもやはり、この場所への思いは、ひとことでは言えない。

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PROFILE

永瀬正敏

1966年宮崎県生まれ。1983年、映画「ションベン・ライダー」(相米慎二監督)でデビュー。ジム・ジャームッシュ監督「ミステリー・トレイン」(89年)、山田洋次監督「息子」(91年)など国内外の約100本の作品に出演し、数々の賞を受賞。カンヌ映画祭では、河瀬直美監督「あん」(2015年)、ジム・ジャームッシュ監督「パターソン」(16年)、河瀬直美監督「光」(17年)と、出演作が3年連続で出品された。近年の出演作に常盤司郎監督「最初の晩餐」、オダギリジョー監督「ある船頭の話」、周防正行監督「カツベン!」、甲斐さやか監督「赤い雪」など。写真家としても多くの個展を開き、20年以上のキャリアを持つ。2018年、芸術選奨・文部科学大臣賞を受賞。

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