鎌倉の風に吹かれて

この男と、肉体はもういいのだ 鎌倉湖畔

芥川賞作家の大道珠貴さんが、鎌倉を舞台にした旅情や人間模様を描く、毎回読み切りの超短編小説連載「鎌倉の風に吹かれて」。第9回は、知られざる鎌倉の名所、鎌倉湖畔です。北国生まれのシノギさんと、シェリー酒の瓶を持って出かけた湖畔で、心に吹いた風が――。

この男と、肉体はもういいのだ 鎌倉湖畔

鎌倉の賑(にぎ)やかな通りから離れ、鳥のさえずりのする少し奥まった場所に、私の好きな柚子(ゆず)の大木がある。たまに実が落ちているから拾って焼酎に絞ったりするのだが、その木の足もとには七体のお地蔵さんが仲良く並んでいた。いつも可憐な野花が添えられ、手入れが行き届き、七色のかわいらしいおべべを着ておられる。そのお顔はとても満足げである。

ご近所のどなたかがお地蔵さんを世話しているのかと思っていたら、五十七歳の暇なおじさんがバスを乗り継いでやってきているのだった。ほつれた袖口のボロボロなセーターがトレードマーク、シノギさんはこんな口癖がある。

「生まれて損したなあ」

お地蔵さんの世話だって、「こんなことしかやることないからね。これくらいしてないとね、身体がなまる」とのことだ。「どうみたってあと三年は生きるよ。長いねえ、人生ってやつは」

この男と、肉体はもういいのだ 鎌倉湖畔

電灯屋をしている、いまはもうぜんぜんもうけはない、と、初めて会ったころ彼は言った。まだ目がきれいだった。笑顔も爽やかだった。「鎌倉のしゃれた家にはかならず、ぼくのつくったあかりが灯(とも)ってるんだ。鎌倉の主要なあかりはぼくが手掛けたんだと思うと、それが誇りだね。鎌倉の街に、ぼくは売り切ったよ」

このところ、六十になったら店をたたんで北海道に帰りたいんだよな、と呟(つぶや)くことが多くなってきた。
福岡出身の私には、とにかく珍しくてたまらない、生まれて初めて出会った北国のひとである。手づかみで鮭をとったことがあるだとか、キタキツネが庭に来てうちの犬と夫婦になっただとか、エッチな情報が全く入って来なかったから、東京の大学に入ったとたんに童貞捨てて遊びまくって野獣になっただとか。

私たちは知り合った当時こそ肉体も関係したが、なにか違うな、とすぐにまちがいを認め合った。いまでも、どことなくそんな雰囲気になると、どちらかが先に、こんなのあきらかに笑える、と、ぷっと噴き出してしまう。おたがいの顔をまじまじと見て、無言になる。どちらがおじさんでどちらがおばさんなんだろう。
そんななので、いまはおそらくただの飲み友達である。

この男と、肉体はもういいのだ 鎌倉湖畔

「鎌倉は味わい尽くしたよ。すみからすみまで。もう行くところがない。興味ない」
私もそう思うときがあるが、口には出さない。
「若いやつはいいなあ」
シノギさんは遠くを見る。その目は奇妙な色をしている。くすんでいるというか、光がない。澄んでいない。湖の底のような深い緑色だ。彼自身が言うには、雀(すずめ)の涙ほどちょっぴり、ロシアの血が混ざっているらしい。

私も若いひとたちが羨(うらや)ましくなるときがある。英語がしゃべれていたら、外国で暮らしていただろう。外国の男と愛し合い、子どもをつくっていただろう。野球チームができるくらいつくっていただろう。もっと人間を好きになって、友達もたくさんつくり、見聞を広めてみたかった。
どこに行っても同じだよ、とシノギさんの目は言っている。いまいる場所で満足するしかないんだよ、と。

この男と、肉体はもういいのだ 鎌倉湖畔

「薔薇(ばら)ちゃん、鎌倉湖畔には行ったことある?」
鎌倉に湖があるのはあまり知られていない。観光と言えば神社仏閣だし、美味(おい)しい食べ物なら、賑やかな通りにも山にも海にもあり、イタリアンもフレンチもリニューアルオープンし、絶えず華やかだ。
酒屋で買ったシェリー酒の瓶を持って私たちはバスに乗った。栓は抜いてもらってきた。シノギさんはすでにラッパ飲みをしている。白い目で見られるかと思ったが、案外、だれも気にしていない。それほどひとに関心がないのだろう。

湖の水面には紅葉がはらはらと落ち、カモが何羽も浮かんでいた。歳をとるごとに、こんな静かなところが好きになってきた。光がななめ上からやわらかく射(さ)し、梯子(はしご)のように見える。天国への梯子、というものに……。

「薔薇ちゃん、もう女じゃないでしょ」
ベンチに座った途端、シノギさんが私の胸を触った。単なる習性のようなしぐさだ。なにも感じない。私はお地蔵さんのようになっている。私のなかから女としてなにも湧きあがってこない。ただあたたかいだけだ。生きている証拠、それだけが感じられた。
「ぼくもとっくに男じゃない。ぜんぜんだめになった」
寂しそうに言った。「女にはわからないだろうけどさ、死活問題なんだよ、男として役に立たないのはさ」

この男と、肉体はもういいのだ 鎌倉湖畔

私はつないだ手を離し、湖の向こう岸に行きたい。湖越しに、シノギさんを見てみよう。この北国生まれの男と、死ぬまで手をつないでいられるかもしれない。肉体はもういいのだ。男と女として合体しないほうが楽でいい。それに鎌倉の家をたたんで、北海道で老後を過ごせば、私もまた書きたいものが見つかるかもしれない、物書きとしての新しい旅が始まるかもしれないじゃないか。
「もうすぐクリスマスだね、鎌倉の家にあかりが灯る時期だ。ぼくのやってきたことは無駄じゃなかったとわかる日だ」

湖はただしんとしているばかりだった。

PROFILE

  • 大道珠貴

    作家
    1966年福岡市生まれ。2003年、『しょっぱいドライブ』で第128回芥川賞。2005年、『傷口にはウオッカ』で第15回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。小説に『ケセランパサラン』『ショッキングピンク』『煩悩の子』など多数。エッセーに『東京居酒屋探訪』。神奈川県鎌倉市在住。

  • 猪俣博史

    写真家
    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。&wでは「鎌倉から、ものがたり。」の撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

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