城旅へようこそ

攻め上る気がなえる恐怖の城 続・まもなく山ごと消滅する南山城

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は、400年の眠りから覚めたにもかかわらず、河川改修工事のため間もなく消滅する、岡山県倉敷市の南山城です。7月に紹介した調査の後に判明した新たな事実も、驚くべきものでした。

南側斜面 60メートルの間に竪堀21本も

攻め上る気がなえる恐怖の城 続・まもなく山ごと消滅する南山城

南東側から見た南山城(写真提供/岡山県古代吉備文化財センター)

2019年7月に<440年の眠りから覚め、まもなく消える山城 岡山県・南山城>で紹介した、岡山県倉敷市の南山城。10月に発掘調査を終え、残念ながら小田川合流点付け替え工事のためすでに山は削られはじめている。前回の記事では、城の北側を中心とした発掘調査結果(2019年3月18日の取材時点)を、南山城の歴史を踏まえながら紹介した。今回は、それ以降に行われた城の南側の発掘調査結果をレポートする。

攻め上る気がなえる恐怖の城 続・まもなく山ごと消滅する南山城

南側斜面の畝状竪堀群

竪堀を駆使した北側の設計に度肝を抜かれたが、今回明らかになった南側も、かなりつくり込まれていて驚愕(きょうがく)した。まず驚いたのは、南山城の大きな特徴である南斜面の畝(うね)状竪堀群。想像以上に大規模かつ巧妙で、約60メートルの間に21本の竪堀が規則的に連続して掘り込まれていた。堀の幅は2~3メートル、深さは1~1.5メートルほどだろうか。よく見ると岩盤が削り込まれ、大がかりかつ手の込んだ土木工事を施したことがわかる。

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畝状竪堀群から見上げると、櫓(やぐら)台が突出していて、はいあがってきても頭上から狙われるのがよくわかる

畝状竪堀群は一般的に、敵が登りやすい緩斜面を強化するために構築するといわれる。しかし南山城南面は、決して緩斜面ではない。北面と東面に比べれば緩やかではあるものの、もともとかなり傾斜がある。横移動できないばかりか、堀底を伝って頂部の曲輪(くるわ)へ登るにも脚力がいり、なかなかしんどい。設計者の抜かりない、執拗(しつよう)なまでの意思を体感した。

城兵の攻撃空間にもなる横堀

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南側斜面の横堀と、そこから山麓(さんろく)に向けて掘られた畝状竪堀群

もっとも驚いたのは、山頂の曲輪と畝状竪堀群との間に設けられた横堀の存在だ。主郭から直接畝状竪堀群を掘り込むのではなく、中間に横堀をめぐらせている。この横堀の効力は想像に難くない。曲輪を防御するためだけではなく、城兵の通路にもなる攻撃的な空間であるところが、なんとも恐ろしい。畝状竪堀群をよじ登ってくる敵に対する絶好の射撃陣地になるのだ。もちろん、はい上がってきた敵の動きを制御する空堀としても機能する。ただし、曲輪の側面は美しいほどの急勾配に削り込まれており、たとえはい上がってきても、曲輪の側面が壁のように立ちはだかってそれ以上は簡単に登れないと思われる。

横堀の底から頂部の曲輪を見上げると、切岸が立ちはだかり登る気がなえる。横堀の東側は巨大な堀切と接続しているのだが、敵兵はまわり込もうとすれば頭上からかなり鋭角に射撃されるうえ、横堀が絶妙な折れを伴っているため、あらゆる角度から狙われ続けることになる。

攻め上る気がなえる恐怖の城 続・まもなく山ごと消滅する南山城

南側斜面の横堀(写真提供/岡山県古代吉備文化財センター)

うならされたのは、横堀両端のつくりだ。とくに畝状竪堀群の西端に当たる横堀の西端は、堀幅がまっすぐ歩けないほど細くなったところで、ひときわ高い土塁に突き当たる。敵は遮蔽(しゃへい)されつつ、絶妙な折れがついていることもありここを簡単には越えられない。さらに、この土塁は小さな櫓(やぐら)台のような突出した空間となっていて、かなり攻撃性の高い射撃場となっている。大きな柱穴が見つかっているということは、門が設置されていたのかもしれない。脇には礫(つぶて)と思われる集石がそのまま見つかっており、畝状竪堀群をよじ登ってくる敵を迎撃する生々しい戦略が感じられた。

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横堀と腰曲輪の間の土塁。大きな柱穴が見つかった

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礫石。土塁の上や曲輪の端などで、10センチ大の石の集まりが約20カ所で見つかった

<440年の眠りから覚め、まもなく消える山城 岡山県・南山城>でも述べたように、頂部の曲輪は折れを伴う土塁によって東西に仕切られ、西側にも大規模な土塁が築かれている。さらに西側には三重の堀切がある。

南側の1段下に確認された腰曲輪は、約21メートル×約5メートルで、中央に約8メートル×約4メートルの掘立柱建物があったことが判明したという。両縁には土塁があり、東側の土塁が、前述の横堀を遮蔽する土塁だ。腰曲輪からは硯(すずり)のほか、刀の鍔(つば)に添える金物の切羽(せっぱ)、鍔につける小柄(こづか)も発掘。腰曲輪の西側では虎口と柱穴が確認され、虎口の西側が竪堀になっているため、竪堀を渡る仮橋があった可能性も考えられるそうだ。頂部の曲輪で礎石建ての門が確認されていることを考えれば、それくらい凝った設計でも不思議はないと感じた。

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南側。山頂の曲輪と畝状竪堀群の間に横堀と腰曲輪がある(写真提供/岡山県古代吉備文化財センター)

山頂の曲輪では大小さまざまな掘立柱建物が見つかっており、主要部からは生活の痕跡を示す天目茶碗などの土器や銅銭、鉄砲玉や刀の一部などが出土した。城兵の居住空間、物資の備蓄、見張り台などがあったようだ。やはり、ある程度の期間を滞在した前線基地だったのだろう。曲輪に円形の穴が示されていたが、これは物資の貯蔵または廃棄のためのもので、城内でいくつも確認されているという。今回は、主郭西側の巨大な土塁の上にも掘立柱建物跡が見つかったと聞き、とても驚いた。

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山頂の曲輪は土塁で東西に分けられ、一段下に腰曲輪がある(写真提供/岡山県古代吉備文化財センター)

南山城は、防御性だけ見ても、かなり緻密(ちみつ)に設計された山城であるといえそうだ。戦国時代という背景を考えれば築城に潤沢な時間をかけられたはずはなく、設計から現場への指示まで、かなり細やかに行われたように思われる。城づくりにおいて、このレベルの組織性と効率性、設計力は一般的なのだろうか。南山城の築城者は判然としないが、地方の豪族ではこれほどの城を短期間でつくるのは物理的に不可能と判断されよう。解明されていない城づくりの実態に迫る上でも、大きな事例になったのではないだろうか。南山城の歴史は文献史料がないため解き明かすことはできないが、いずれにしてもかなり腕のある人物が築城にかかわっていたのは間違いなさそうだ。

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曲輪や土塁の上から、さまざまな掘立柱建物が発掘された(写真提供/岡山県古代吉備文化財センター)

南山城は全面的な発掘調査によって全貌(ぜんぼう)が明らかになった半面、この成果が城の消滅と引き換えであるのが皮肉だ。実は、こうした例は後を絶たない。宅地開発事業で消滅予定の神戸市の松原城(蒲公英城=たんぽぽじょう、道場川原城)も、2019年12月で発掘調査が終了し、消滅する。神奈川県山北町の河村新城でも発掘調査が行われているが、こちらも新東名高速道路の建設により、いずれ山ごと消滅する予定だ。松原城と河村新城の発掘調査については、2020年にお伝えしよう。

※南山城の発掘調査は、2019年10月で終了。河川改修工事による安全確保などのため、見学は2019年9月8日の現地説明会を最後に終了している。

#交通・問い合わせ・参考サイト

■南山城
http://www.pref.okayama.jp/site/kodai/(岡山県古代吉備文化財センター)

(この項おわり。次回は1月6日に掲載予定です)

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PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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