あの街の素顔

50年ぶりに再訪した思い出の地 対馬・下島をめぐる

九州と朝鮮半島の間に浮かぶ長崎県の対馬。北部の上島への旅を前回の記事で紹介しましたが、お読みいただけたでしょうか。上島の北端にある展望所からは韓国・プサンの景色や明かりが見えて感動しました。まさに「国境の島」。今回はその続編です。島の歴史の痕跡が色濃く残る厳原(いづはら)町のある南部の下島に皆さんをご案内しましょう。個性的な地元グルメの数々も合わせてご紹介します。
(文・写真、宮﨑健二、トップ写真は挑戦したシーカヤック。記事中の価格は2019年11月時点です)

<ヤマネコ、とんちゃん、砲台跡 対馬・上島を味わい尽くす>から続く

鏡の海でシーカヤック

前編でもご紹介した島の中心部の浅茅(あそう)湾に再びやって来ました。シーカヤックを体験するためです。旅をした一行のうち、私を含めて男女各2人が手を挙げました。男女でペアを組み、いざ出発!

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シーカヤックで海に漕ぎ出しました。どんな景色を見ることができるでしょうか

前部に乗った女性とパドルの動きを合わせて左右交互に漕いでいきます。前編では浅茅湾の北にある烏帽子岳展望台から湾を見下ろした写真を載せましたが、シーカヤックでは下から目線の風景が楽しめます。晴れわたった空の下、山々がとてもきれいに見えました。そして、なんといっても透明度の高い海。漕ぐのをやめると、まったく波がなく、海面はまるで鏡のよう。内海なのでもともと波は少ないのですが、インストラクターの方によると、こんなに波がない日は珍しいそうです。

無人島に到着しました。

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無人島でのんびり。腰を下ろして景色を楽しみました

インストラクターの方がふるまってくれた紅茶とお菓子をいただいた後、再び海に漕ぎ出しました。実は私、奄美大島(鹿児島県)と小笠原諸島・父島(東京都)でシーカヤックの経験があります。ここだけの話ですが、もし、猛暑の東京を避けてオリンピックのカヤックの会場が浅茅湾に移されたら、出場に名乗りを上げようと思っておりました。今日はそのための予選みたいなものだ、と自分に言い聞かせて漕いでいたのです。ところが、です。あれま、ひそかにライバル視していたもう一艇にどんどん引き離されていくではありませんか。

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前を行くシーカヤックがどんどん小さくなっていきます

神経痛、高血圧、高血糖、動脈硬化、動悸(どうき)息切れ、胃酸過多、筋肉痛、肩こり、花粉症、虫歯、老眼、水虫、健忘症、誇大妄想……激動の昭和を生き抜いてきた私の体は悲鳴を上げていました。顔をゆがめながら私は「もう漕ぐのをやめてしまおうか」とも思ったのです。ただ、それでは、一緒に漕いでいる女性にも、併走して励ましてくれているインストラクターさんにも、申し訳が立ちません。合意なき離脱は許されないのです。

思い直した私は、人生最後の力を振り絞ってようやく出発地点まで戻ることができました。ふう。
利用した対馬エコツアーのシーカヤックは、半日コース(3時間)が税込み6500円、1日コース(6時間)が同1万2千円。要予約とのことでした。

麺「ろくべえ」を食べ、酒蔵も訪ねて

ここで腹ごしらえを。美津島町の「そば道場」で食べた「ろくべえ」です。人の名前ではありませんよ。

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ろくべえ。茶色なのでコンニャクのように見えます。税込み800円でした

サツマイモを原料とする郷土料理の麺です。つなぎを使っていないので、麺は5センチくらいの長さしかありません。やわらかく素朴な味がします。酒を飲んだ後に食べると胃にやさしくていいかも、と思いました。

同じ美津島町には、島唯一の酒蔵、河内酒造があります。訪ねると、代表社員の伊藤浩一郎さんが気さくに話をしながら案内してくれました。

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河内酒造の伊藤浩一郎さん。焼酎の蒸留タンクの前で酒造りについて説明していただきました

ここでは日本酒、焼酎、梅酒が作られています。

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河内酒造の商品。大吟醸白嶽(しらたけ)を試飲させてもらうと、まろやかな味でした

ちょうど樽(たる)巻きの作業が行われていました。酒蔵らしい光景ですね。手際のよさに見入ってしまいました。

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樽巻き。木の樽に縄を巻いていきます

河内酒造は、予約すれば見学ができます。

金石城跡の立派な石垣

さあ、対馬の中心地、厳原町にやって来ました。朝、散歩をして厳原港を写真に収めました。博多からの船はここに入港します。

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朝の厳原港。イカ釣り船が停泊していました

ぶらぶら歩いていると、こんな広告がありましたよ。

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ツシマヤマネコのイラストをあしらった広告。ホントでしょうか?

厳原町の中心部にある金石城跡に行きました。櫓門(やぐらもん)です。

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櫓門。お城らしく見えますね

櫓門は対馬藩三代藩主、宗義真(そうよしざね)が1669年に建てました。以後、火災による焼失や解体を経て、1990年に復元されました。
金石城跡には立派な石垣が残っています。

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金石城跡の石垣。鏡積みという技法で築かれています

こうした石垣は厳原町のあちらこちらで見ることができます。

近くに清水山城跡があるので、行ってみました。こちらは、宗義智(そうよしとし)が1591年に築いた山城です。肩で息をしながら山道を登ると、三の丸に到着。見晴らしがよく、厳原町を一望できました。

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清水山城跡・三の丸から見た厳原町。港も見えます

藩船の格納施設も残る

厳原港のすぐそばの入り江には、こんな名所があります。対馬藩船の格納施設、お船江(ふなえ)跡です。

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お船江跡。見事な石垣がここにもあります

森に囲まれていて、静けさの中に鳥のさえずりが聞こえてきます。しばらくたたずんで眺めていたくなる。そんな場所でした。

私は小学生のころに父が厳原町に単身赴任をしていたので、1969年の夏休みに1カ月間、厳原町で過ごしました。父の職場と宿舎があったのが久田(くた)という地区だったことを記憶していたのですが、今回訪ねたお船江のある場所がその久田であることを知りました。夏休みを過ごした宿舎のあたりには行きませんでしたが、私にとっては50年ぶりの久田。感慨深いものがありました。

町でイカ入りバーガー、夕食に「いりやき」

では、厳原町で食べたご当地グルメを一気にドドドッとご紹介しましょう。
まずは、渡辺菓子舗で食べた加壽萬喜(かすまき)です。あんをカステラで巻いたお菓子。とても上品な味です。

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加壽萬喜。黒あんと白あんの2種類があって、1本が税込み210円でした

続いては、対馬バーガー。「対馬バーガーKIYO」という店で、いただきました。島の特産であるイカが使われていて、ハンバーグの中にはヒジキも入っています。

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対馬バーガー。税込み620円、持ち帰りだと同590円です

夜は、一緒に旅をした人たちと、丸屋ホテルで夕食を食べました。大人数だったので、姿造りの刺し身が出てきましたよ。

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左上がヒラス、中央右がイシダイ、中央左がイカ。右下は……サザエでございま~す

皆でわいわい食べました。これは石焼きです。石の上で魚介類や野菜を焼くバーベキュー料理です。

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石焼き。漁師料理が原形だそうです

そして、「いりやき」。行事などでふるまわれる鍋料理です。かしわ(鶏肉)を入れるのが原形だそうですが、魚を入れる鍋もあるそうです。

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鶏肉の入ったいりやき。博多の水炊きに似ているな、と感じました

鍋の締めに入れたのは、これも島の名物、対州(たいしゅう)そばです。

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対州そば。いりやきの汁との相性がぴったりでした

対州そばは、先にご紹介した「ろくべえ」と同じように麺が短く切れているのが特色です。

初代藩主、波瀾万丈の生涯

さて、国境の島旅の締めくくりに対馬藩と藩主の宗家のことをもう少し説明しましょう。
金石城跡の近くの万松院(ばんしょういん)を訪ねました。宗家の菩提寺(ぼだいじ)です。

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万松院

対馬はもともと朝鮮との交流、交易が盛んでしたが、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して宗義智は朝鮮と戦うことに苦悩しつつ、秀吉に従います。その後、徳川家康が天下をとると、朝鮮との和平に尽力。その功績が認められて対馬藩の初代藩主となりました。
万松院には朝鮮国王から贈られた、三具足(みつぐそく)が展示されています。

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三具足。仏前に供える香具です

対馬と朝鮮の交易はその後、再び盛んになり、対馬は繁栄しました。ちなみに、私の住む福岡市には博多湾のそばに対馬小路(つましょうじ)という地名が残っています。対馬藩の蔵屋敷があったことに由来するといわれており、交易の中継地点だったようです。
万松院の中の石段を登ると、宗義智の墓がありました。

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宗義智の墓

激動の時代を生きた宗義智の生涯は、まさに波瀾万丈(はらんばんじょう)。ガイドしてくださった方の説明を聞きながら、大河ドラマにぴったりかも、と思いました。

対馬観光物産協会発行の「対馬歴史観光ガイドブック」の表紙には「国境の島 交流と国防の最前線」と書かれています。中央の権力者の意向によって、対馬の命運が左右される。そんな歴史が繰り返されてきました。それは今もまた。韓国人観光客の激減は対馬の観光業を直撃しています。ただ、現地を歩いてみると、「韓国人観光客がまた来るようになってほしい」というだけではなく、「日本人にもっと来てもらって対馬のことを知ってほしい」という地元の人たちの思いも強く感じました。

最後に、対馬への行き方を紹介しておきましょう。福岡から行くのが便利です。飛行機なら30分程度。海路なら高速船で厳原まで2時間15分ほどです。東京などから行く場合、交通費が高くなってしまいますが、格安航空券を使っていったんプサンに行き、船で対馬に、というルートで安く抑える方法もあるようです。関心のある方は調べてみてくださいね。
国境の島・対馬は皆さんを待っています。

【問い合わせ先】
対馬エコツアー
http://seakayak.kacchell-tsushima.net/

河内酒造
http://www.kawachi-shop.jp/

対馬バーガーKIYO
http://tsushima-burger.work/

対馬観光物産協会
https://www.tsushima-net.org/

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PROFILE

  • 「あの街の素顔」ライター陣

    こだまゆき、江藤詩文、太田瑞穂、小川フミオ、塩谷陽子、鈴木博美、干川美奈子、山田静、カスプシュイック綾香、カルーシオン真梨亜、シュピッツナーゲル典子、コヤナギユウ、池田陽子、熊山准、藤原かすみ、矢口あやは、五月女菜穂、遠藤成、宮本さやか、小野アムスデン道子、石原有起、高松平蔵、松田朝子、宮﨑健二、井川洋一、草深早希

  • 宮﨑健二

    旅ライター。1958年、福岡市生まれ。朝日新聞社入社後、主に学芸部、文化部で記者として働き、2016年に退社。その後はアウェイでのサッカー観戦と温泉の旅に明け暮れる。

サンフランシスコ 最新アドレス「ミッション地区」フードツアーに参加

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