あの街の素顔

カナダのルーツ、ケベック州で「わたしは忘れない」旅をする

フランス語圏のカナダ、ケベック州をご存じですか。人口比では少数派ながら、実はカナダのルーツはここにあるのです。フランスの薫りを漂わせる植民地時代から伝わる美しい街並みの陰には、英仏による争奪戦のあおりで辛酸をなめてきた歴史がありました。そんな忘れがたい体験を、デザイナーでエディターのコヤナギユウさんが報告します。3回シリーズでお伝えするカナダの旅の初回です。

フランス語圏の「ケベコワ」たち

「ジュ、ム、スヴィアン(Je me souviens)……」

慣れないフランス語に唇がこわばる。これは東カナダにあるケベック州のモットーで、ケベックの人々(ケベコワという)は好んでこれを口にする。直訳すると「わたしは忘れない」。

カナダのルーツ、ケベック州で「わたしは忘れない」旅をする

カナダといわれて思い浮かべるものは何だろう。広大なカナディアンロッキー、大自然の中を雄大に流れるユーコン川、イエローナイフから見えるオーロラ爆発、はたまた北米を横断するVIA鉄道か、ウィンタースポーツか。

カナダの国旗を思い浮かべて欲しい。赤と白の国旗の中央に描かれているのはメープルリーフ、サトウカエデの葉っぱだ。サトウカエデの樹液を煮詰めてつくるメープルシロップも、またカナダをほうふつさせるものだろう。カナダでつくられているメープルシロップのうち、90%はケベック州でつくられている。

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出来たてのシロップを雪の上で固めて味わうメープルタッフィー

フランス植民地として発展し、イギリス軍に敗れ、連邦の成立とともに州となったケベック州。人口の9割をフランス系住民が占め、カナダ国内で唯一公用語がフランス語のみだ。

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ケベック、実はカナダの起源

さまざまな顔を持つカナダの中でも異彩を放つケベック州は、実はカナダの起源でもある。

カナダが好きだという私は、行ったことがない、では済まされない気分になってきた。ケベック州の街といえば、州都のケベックシティーを筆頭に、「生きる喜び」をモットーにするモントリオール、紅葉好きの日本人なら南ケベックのリゾートエリアにあるローレンシャン地域やモン・トランブランを聞いたことがあるかもしれない。でも、ほかの街とどう違う? どこへ行けばいい? ケベック州の情報は、カナダの中で異彩を放っていならがあまりに少ない。少ないならば、行ってしまうのが手っ取り早いだろう。

エアカナダの成田・モントリオール直行便に乗って、ケベック州周遊の旅に出てみた。

「ヌーベルフランス」の面影残す古都ケベックシティー


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ケベックシティーの象徴的ホテルと、ユネスコ世界遺産登録を記念して建てられた碑

州都であるケベックシティーは、フランスの植民地時代「ヌーベルフランス」の面影を残す。旧市街は「ケベック旧市街の歴史地区」としてユネスコ世界遺産となっている。

旧市街は、川べりに発展した「ロウワータウン」と、城壁に囲まれた「アッパータウン」があり、当時のまま残る色とりどりの切り妻屋根に飛び出した屋根窓をもったフランス式の住宅が並ぶ。

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1675年に建てられたケベックシティー最古の家

特筆すべきはやはり街並みの美しさだ。ロウワータウンの「北米最古のショッピングモール」プチ・シャンプラン通りは世界中の旅行客でにぎわっているし、アッパータウンにはケベックシティーの象徴にもなっているホテル「フェアモント・ル・シャトー・フロントナック」があり、城壁外の新市街にあるケベック州議事堂も重厚なフレンチルネサンス様式建築で、正面に男女22人の青銅像が埋め込まれており目を見張る。

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いつも観光客でいっぱいのロウワータウン、プチ・シャンプラン通り

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アッパータウンの城壁の上は散歩することができる

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ケベック州議事堂の正面にも「Je me souviens」の文字がある

先住民の言葉で「狭い水路」を意味する街

大航海時代にフランス人の探検家ジャック・カルティエが「黄金の国」を目指してアジア航路発見に出発。地球は丸いと分かっていたため、ライバルの多い東の陸路ではなく、西回りの海路をつくろうとしたのだ。

河口では川幅100キロを超えるセントローレンス川を「アジアへ続く新海」と思い船を進め、1534年に達したのがセントローレンス湾に突き出たガスペ半島だ。3度にわたりカナダを訪れセントローレンス川を遡上(そじょう)し、スタダコネ村(現在のケベックシティー)に上陸した。

「ケベック」とは先住民の言葉で「狭い水路」を意味し、海と見間違えた川幅も10キロ程度と狭まり、流れも穏やかになる。

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対岸の街レヴィから眺めたケベックシティー

ケベックがフランスの植民地として誕生したのは1608年。フランス国王アンリ4世の命を受け、地理学者のサミュエル・ド・シャンプランが現在のロウワータウンのロワイヤル広場にある「勝利のノートルダム教会」の場所に、最初の建物「アビタシオン」を建築。ビーバーの毛皮交易などで経済発展を遂げた。

“ユリの元に生まれ、バラの元に育つ”

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ロワイヤル広場にある勝利のノートルダム教会。石畳に描かれているのは17世紀に建設された石造りのアビタシオン跡地(初代は木造で焼失)

そのまま遡上すれば現在のアメリカまで到達できるセントローレンス川の関所のような場所にあったケベックシティは、あらゆる意味で魅力的な場所だった。

勝利の後に来た、苦難の時代

「勝利のノートルダム教会」が勝利の名を掲げたのは、1690年と1711年、2度にわたるイギリス軍侵略から逃げ切ったことを記念して。以来、ケベックシティーはアッパータウンに城壁を築き街を守った。ヌーベルフランスの終焉(しゅうえん)は1763年。いまは戦場公園と呼ばれているアブラハム平原が決戦地だった。ここで、フランスはイギリスに敗れ、フランス語系住民にとっては苦しい時代となる。

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シタデルから見下ろすセントローレンス川

地図で見ると星形の敷地が印象深い要塞(ようさい)はシタデルといい、フランス式のデザインだがイギリス統治下に建設された。セントローレンス川を一望できるダイヤモンド岬にあり、現在もカナダ陸軍第22連隊が駐屯している。英語のガイドツアーで見学することが可能で、エントランスには「王立第22連隊博物館」が併設され、アブラハム平原で大敗したフランス軍の様子などが展示されており、何ともいえない気分になった。

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シタデル内でもいくつか「Je me souviens」の言葉を見つけることができる

1960年代に「静かなる革命」が起こった。ケベック州選挙でフランス語系で自由党のジャン・ルサージュ氏が勝利して州首相となり、産業、教育面での改革を行った。それによってケベコワたちは自身のアイデンティティーに誇りを持つようになったのだという。

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ケベックシティの歴史と四季を描いた壁画。ロワイヤル広場は映画「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」のロケ地でもある。「フランスのモンリシャール村」という設定で撮影された

これまでのケベック州の沿革をなぞり「歴史がある街だ」と、ひと言でまとめるには飲み下せない思いがうずまく。だけど、それをケベコワはたった3語で片付けるのだ。

「ジュ・ム・スヴィアン」

忘れないのは苦い歴史だけではない。この美しい街並みの礎を築き、守ってきたという事実だ。

この言葉にはつづきがある。
「ユリのもとに生まれ、バラのもとに育つことを」
ユリはフランス、バラはイギリスの象徴である。

過去をおもんぱかり、未来を見据え、いまを楽しむ。そんなケベコワたちの生き方が、旅することで垣間見えた気がする。だから、わたしは<この旅を>忘れない。

取材協力:ケベック州観光局

<つづく>

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PROFILE

  • 「あの街の素顔」ライター陣

    こだまゆき、江藤詩文、太田瑞穂、小川フミオ、塩谷陽子、鈴木博美、干川美奈子、山田静、カスプシュイック綾香、カルーシオン真梨亜、シュピッツナーゲル典子、コヤナギユウ、池田陽子、熊山准、藤原かすみ、矢口あやは、五月女菜穂、遠藤成、宮本さやか、小野アムスデン道子、石原有起、高松平蔵、松田朝子、宮﨑健二、井川洋一、草深早希

  • コヤナギユウ

    デザイナー・エディター
    1977年新潟県生まれ。「プロの初心者」をモットーに記事を書く。情緒的でありつつ詳細な旅ブログが口コミで広がり、カナダ観光局オーロラ王国ブロガー観光大使、チェコ親善アンバサダー2018を務める。神社検定3級、日本酒ナビゲーター、日本旅のペンクラブ会員。
    公式サイト https://koyanagiyu.com/

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