クリックディープ旅

再び「12万円で世界を歩く」ロシア・サハリン編6

再び「12万円で世界を歩く」の番外編。昨年取材した、12万円の総予算で海外に1週間暮らす、ロシア・サハリン編の6回目です。前回ユジノサハリンスクの街を歩いた旅行作家・下川裕治さん。今回は、下川さんがこの旅の前から思いをはせていた海岸へ向かいます。

本連載「クリックディープ旅」(ほぼ毎週水曜更新)は、30年以上バックパッカースタイルで旅をする旅行作家の下川裕治さんと相棒の写真家・阿部稔哉さんと中田浩資さん(交代制)による15枚の写真「旅のフォト物語」と動画でつづる旅エッセーです。
現在、約30年前に発刊された『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)と同じルートを再び辿(たど)る旅を紹介しています。ロシア・サハリン編はその番外編。「12万円の総予算で海外に1週間暮らす」をテーマにしています。

(写真:阿部稔哉)

宮沢賢治が訪ねたオホーツク海に面した浜へ

6回目につく地図

サハリン暮らしも残り2日になった。この島を訪ねる前から、行ってみたいところがあった。宮沢賢治が訪ねたドリンスク、そしてその先、オホーツク海に面したスタロドゥプスコエの海岸だった。宮沢賢治が訪ねた頃、サハリンの南半分は日本領だった。ドリンスクは落合、スタロドゥプスコエは栄浜と呼ばれていた。サハリンに滞在し、その思いはさらに強くなった。晴れた日、街や山を眺めたとき、その透明感が、宮沢賢治の世界にシンクロした。ドリンスクに向かうマルシュルートカという中型乗り合いバスに乗った。

今回の旅のデータ

ユジノサハリンスクからドリンスクまでは列車も利用することができる。本数は多くないが。サハリンの鉄道は日本領だった時代に整備された。宮沢賢治が訪ねた頃、スタロドゥプスコエにも栄浜駅があり、日本の最北端駅だった。日本の鉄道は線路幅が狭いため、ロシアの車両を使うことができなかった。長い時間をかけ、線路の付け替え工事が行われ、いまはロシアの幅の広い線路になっている。

長編動画


スタロドゥプスコエから眺めるオホーツク海をたっぷりと1時間。海の色が少しずつ変わっていくのがわかります。

短編動画


ユジノサハリンスクの駅前広場。子供がつくりはじめた雪玉は大きくなりすぎ、お父さんが登場。なごんでください。

ドリンスクを経てスタロドゥプスコエへ「旅のフォト物語」

Scene01

マルシュルートカ
ユジノサハリンスク駅前のバスターミナルから、ドリンスク行きのマルシュルートカに乗り込む。間もなく発車した。ホルムスクとコルサコフに比べると便数が多い。ドリンスクまで100ルーブル、約171円。便利な乗り物だが、難点はやや寒いということ。車内ではコートを脱がない。誰も。

Scene02

マルシュルートカの車窓の風景
マルシュルートカは北へ向かって進んでいった。すぐに工場や住宅がなくなり、車窓には冬ざれの風景が広がりはじめた。宮沢賢治は戦前、豊原と呼ばれたユジノサハリンスクから列車で北上している。季節は夏。木々は緑の葉をつけていたのだろうが、この空気の透明感は同じだったはず。

Scene03

ドリンスク駅前
ドリンスクに着いた。きっかり1時間だった。ドリンスク駅の前がバスターミナルになっていた。帰りは列車にしてみようかと思い、駅舎のなかをのぞいてみたが、乗客はもちろん、駅員の姿もなかった。本当にここに列車はやってくるのか……と思ってしまう。駅舎の向こうには列車が停車していたが。

Scene04

ドリンスクの街
ドリンスクの街を少し歩いてみた。駅前の四つ角にスーパー、その2階にカフェ、向かいには家電の店。ホルムスクコルサコフに比べて、新しいロシア風の街といった印象が伝わってくる。道も無駄に広い。日本の面影はまったくない。戦後、日本時代の街は再開発されたようだ。

Scene05

タクシーの運転手
スタロドゥプスコエまでのバスを探したが、バス停がどこにもない。しかたなく、スーパーの前で客を待っていたタクシーの運転手に声をかけた。すぐにわかってくれた。朝鮮系の顔立ちのおじさんだった。日本の北海道で働いたこともあると、英語の単語を口にしてくれた。勘のいい運転手だった。それは次の写真で。

Scene06

日本語の碑
まっすぐの道を車は進んだ。すると、急に右折し、雑木林のなかにのびる未舗装路に。「ん?」。墓地のなかで車が止まった。左手に日本語の碑があった。運転手が気を利かせてくれた。この街で亡くなった日本人の碑。札幌でつくり、船で運んだと裏に刻まれていた。1988年に建立されていた。久しぶりの日本語だった。

Scene07

オホーツク海が見えてきた
オホーツク海が見えてきた。この先に大きな街はないのだが、交通量は意外に多い。海岸で車を降りた。寂しい海岸だった。店は1軒もない。タクシーも走っていない。運転手に1時間半後に来てくれるように頼んで、運賃の200ルーブル、約340円を渡した。ここが宮沢賢治がやってきた浜だった。

Scene08

海は穏やかだった
海は穏やかだった。マイナス6度の風は冷たかったが。宮沢賢治はこの浜を散歩し、『オホーツク挽歌(ばんか)』という詩を残している。「ひときれの貝殻を口に含み わたくしはしばらくねむらうとおもふ」(『現代日本文學大系27』より)。宮沢賢治は前年、妹を失っている。彼女の魂の行方を探す旅……と解釈する研究者は少なくない。

Scene09

スタロドゥプスコエの海岸
漁師小屋なのか、廃屋なのか……。スタロドゥプスコエの海岸の透明感に浸れればよかった。宮沢賢治は双極性障害だったといわれる。彼の意識がサハリンの空気とシンクロした気もする。彼は翌年から、『銀河鉄道の夜』を書きはじめる。着想はこの浜? それは誰にもわからない。

Scene10

海岸で琥珀を探す人
浜にも下りてみた。海草が砂の上に堆積(たいせき)し、そこに降った雪が解けずに載っていた。見ると、中年夫婦が琥珀(こはく)を探していた。この海岸は琥珀拾いで知られていた。そうだよな。ロシア人は宮沢賢治なんて知らないかも。などと考えながら、つい浜に琥珀が落ちていないか視線が動いてしまう。自分に苦笑い。

Scene11

廃虚
迎えにきてくれた朝鮮系運転手のタクシーでドリンスクに戻る途中、右手に巨大な廃虚が見えた。これも旧王子製紙の工場跡だった。ドリンスク、そしてスタロドゥプスコエまで鉄道がつくられたのも、この製紙工場と無縁ではないはずだ。この先で、運転手はハンドルを急に右に切った。「ん?」

Scene12

カフェ兼雑貨屋にあった写真
運転手は一軒のカフェの前で車を止め、なかに入っていく。いったんなかに入り、僕らにも来るように合図を送ってきた。そこはカフェ兼雑貨屋だったが、壁に戦前のモノクロ写真がギャラリーのように展示されていた。これは戦前のドリンスク。正面の煙突のある工場が、旧王子製紙だろうか。

Scene13

眠る下川さん
ドリンスクからユジノサハリンスクのアパートに戻った。屋外に出て、暖かい部屋に戻ると、どっと疲れが出る。なんだか不思議な感覚だった。これって寒さ疲れ? 寒気のなかに出ることは、かなりの体力を使うらしい。すうーっと襲ってくる眠気。はい、しっかり寝ました。夕方近くだったけど。

Scene14

ユジノサハリンスクの空港へ
最終日。ユジノサハリンスクの空港に着いた。雪のなかをターミナルに急ぐ。「サハリンはなにもないところでしょ」。チェックインカウンターの男性が英語を口にした。なんと答えていいのかわからなかった。そういわれると、なにもないけど、12万円で暮らす旅なら……。雪はさらに激しく降り続いていた。

Scene15

再び「12万円で世界を歩く」ロシア・サハリン編6
ウラジオストク行きの飛行機に乗り込んだ。乗客のなかには、こんな箱を手にする人も。日本とサハリンは海産物でもつながっている? 8泊のサハリン滞在の総費用は8万1721円だった。サハリンの物価の安さのたまもの。ウラジオストク乗り換えの飛行機だったが、荷物はちゃんと成田空港で受けとりました。

【次号予告】次回から沖縄の離島のバス旅がはじまります。
※取材期間:2019年11月30日~12月3日
※価格等はすべて取材時のものです。

■「台湾の超秘湯旅」バックナンバーはこちら
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BOOK

再び「12万円で世界を歩く」ロシア・サハリン編6
12万円で世界を歩くリターンズ
[タイ・北極圏・長江・サハリン編] (朝日文庫)
リターンズ第二弾では、タイと隣国の国境をめぐり、北極圏を北上し、長江をさかのぼる旅へ、予算12万円で約30年前に旅したルートをたどる。さらに「12万円でサハリンに暮らす」ことにも挑戦。旅は、世界はどう変わったか?
朝日文庫
3月6日発売
定価:770円(税込み)

PROFILE

  • 下川裕治

    1954年生まれ。「12万円で世界を歩く」(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。近著に「一両列車のゆるり旅」(双葉社)、「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日新聞出版)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)など。最新刊は、「12万円で世界を歩くリターンズ 【タイ・北極圏・長江・サハリン編】」 (朝日文庫)。

  • 阿部稔哉

    1965年岩手県生まれ。「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーランス。旅、人物、料理、など雑誌、新聞、広告等で幅広く活動中。最近は自らの頭皮で育毛剤を臨床試験中。

再び「12万円で世界を歩く」ロシア・サハリン編5

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