城旅へようこそ

秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は、徳川家康の居城・駿府城(静岡市)の2回目です。
(トップ写真は現れた二つの天守台。手前が慶長期、奥が天正期。いずれも西面。2020年2月22日撮影)

<家康の城の地下から出現! 定説揺るがす二つの天守台 駿府城(1)>から続く

天正期天守台、中村一氏でなく家康が建造?

<家康の城の地下から出現! 定説揺るがす二つの天守台 駿府城(1)>では、駿府城(静岡市)で行われている「駿府城跡天守台発掘調査」のこれまでの成果の概要をお伝えした。徳川家康が1607(慶長12)年に築いた日本最大規模の天守台が掘り起こされ、その寸法は「駿府城御本丸御天主台跡之図」(静岡県立中央図書館蔵)に記された数値とほぼ合致。一部は破壊されているものの、天守台の南側に描かれた小天守台も確認された。

2018年度には、慶長期天守台とは別の天守台も新たに出現。石垣の構築技術や出土した大量の金箔(きんぱく)瓦から、1590(天正18)年に駿府城主となった豊臣秀吉の家臣・中村一氏が築いたものと判断された。金箔瓦を用いた天正期天守台の存在は、豊臣政権下の城づくりを考察する上でも大きな発見であり、話題となっていた。

ところが、2019年度調査の発見によって、新たな見解が浮上した。この天正期天守台、中村時代からさらにさかのぼり、徳川家康が1587(天正15)年に築いた可能性が高まったのだ。今回はこの新知見についてお話ししよう。

天守台に連結する小天守台も出現

秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)

手前は慶長期小天守台の南東隅。奥に天正期天守台がある(2020年2月22日撮影)

2019年度の調査では、天正期天守台の東側に一辺約20メートルの小天守台が発見された。天守台と小天守台の石垣は同じ積み方で、その技術から判断すると同時期の石垣とみて間違いなさそうだ。天正期天守台と同じように、あまり加工されていない石材を積んだ野面(のづら)積みで、大きさの異なる大小の石材を積み上げ、隙間に河原石を詰めて固定している。

秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)

新たに見つかった、天正期小天守台の石垣(2020年2月22日撮影)

慶長期天守台と比較すると、隅角部の算木積みは完成度が低く、傾斜もやや緩やかだ。慶長期天守台とは明らかに築造時期が異なり、天正期天守台とセットで構築されたと考えてよいだろう。天守台と小天守台を連結する渡櫓台も確認されたことから、熊本城(熊本市)と同じ形式の「連結式天守」とみられる。天正期に築かれた連結式天守は今のところ確認されておらず、そうであれば最古の事例となる。

秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)

天正期天守台、隅角部の算木積み(静岡市提供)


秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)


慶長期天守台、隅角部の算木積み(静岡市提供)

「家忠日記」の記述と一致

今回着目されたのは、家康の築城時に土木工事を多く担当した家臣・松平家忠が記した「家忠日記」の記述だ。1587(天正15)年から1589(天正17)年頃の駿府城の築城に関するところに、天守と小天守を築いたと解釈できる記述があるのだ。新たに見つかった天守台と小天守台と時期や内容が一致することから、天正期天守台は家康による築造とする新説が濃厚になった。

秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)

天正期小天守台の石垣(2020年2月22日撮影)

新説により浮上する大きな論点は、「家康がいかにしてこの天守台を築き上げたのか」ということだ。なぜなら、当時の家康には、これほど立派な城を築ける技術力や財力、施工体制がないからだ。

秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)

手前は慶長期小天守台の西面。奥は天正期の石垣(2020年2月22日撮影)

秀吉が関与し、家康が築城か

同時期に築かれた石垣と比較すると、天正期天守台の石垣には秀吉の居城である大坂城(大阪市)の石垣に匹敵するほどの技術力の高さがある。1〜3メートルの巨石を用いたそれなりの高さがある石垣は、当時では最高峰の技術と財力を投じて積まれた石垣と判断できる。そもそも2018年に中村一氏による築造と判断されたのは、一氏が秀吉の重臣であり、その頃に豊臣政権による組織的な築城ラッシュがあったからだ。

<家康の城の地下から出現! 定説揺るがす二つの天守台 駿府城(1)>で触れたように、「金箔瓦を用いた総石垣の城」は誰もが築けたわけではなく、金箔瓦は織田・豊臣政権下の城に限られるいわば「特許品」で、総石垣の城は豊臣政権の城の「必需品」だった。最先端の城づくりは、秀吉に近しい家臣にしかかなわなかったはずなのだ。

秀吉の居城にひけを取らない城であることを考えると、駿府城は家康の意思により単独で築かれたのではなく、秀吉が関与して誕生した城なのだろう。現状では、家康と一氏のどちらが天正期天守台を築いたのかを判断するのは難しいようにも思うが、いずれにしても、秀吉の意図のもとに築かれた「豊臣政権の城」だった可能性は高そうだ。

秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)

天正期の井戸。積み方は天守台と同じ(静岡市提供)

これまで、「豊臣政権下での家康の城づくり」にはあまりスポットが当てられていなかった。よって、「秀吉の関与のもとで家康が築いた駿府城」は新規かつ有意義な視点となりそうだ。

家康は1582(天正10)年に駿河を拝領するが、本格的に駿府城の築城を開始したのは1587年だ。この前後に起こった、秀吉との関係の変化に注目してみよう。

1584(天正12)年の小牧・長久手の戦いの後、家康は子の結城秀康を差し出すことで秀吉と和議を結んだものの、それ以上の要求には応じず相模の北条氏との関係を深めていた。秀吉からの講和要求の末にようやく上洛と臣従を決意したのは1586(天正14)年10月下旬のことで、上洛に先立って従三位参議、上洛後には正三位中納言の叙位任官を受けている。重要なのは、家康が大坂から戻ったわずか2週間後に駿府へ拠点を移し、2カ月後に駿府城の築城に取りかかっていることだ。駿府城の築城は、家康が豊臣大名の一員になった証しであり、駿府城は“家康が築いた”のではなく“家康が秀吉に築かされた”城だったのではないだろうか。

天下統一目指す秀吉の戦略が背景に

では、秀吉が家康に駿府城を築かせた目的とは何だろうか。秀吉の政治戦略を考えると、そこに答えがあるように思う。

天下統一を目指す秀吉にとっての次なる大きな標的は、相模の北条氏だった。北条氏と同盟関係を結んでいた家康の臣従は、大きな転機となっただろう。だからこそ、あらゆる手を使って家康を臣従させたとも考えられる。駿府は相模と駿河の国境に近く、関東の入り口となる場所にある。平定を目指す関東や東北方面への動きを考える上で重要な地であるのは間違いなく、1590年の小田原攻めまで豊臣政権の最前線の城となった。こうした政治的な戦略のもとに駿府城を築かせたのであれば、居城さながらに手をかけたことにも納得がいく。

秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)

慶長期天守台の東側では、本丸と二の丸をつなぐ約37メートルの橋の痕跡も確認された(2020年2月22日撮影)

駿府城は、江戸時代に家康が大御所政治を行った城であるだけでなく、戦国時代末期には豊臣政権にとって重要な城でもあった。秀吉から家康へと政権が交代する過程において、情勢を左右するほどの重要な役割を担っていたようだ。

秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)

2020年2月22日の現地説明会には約1,600人が訪れた。関心の高さがうかがえる

2020年3月末で4年間に及ぶ発掘作業は終了し、2020年度からは出土遺物や遺構の整理・分析調査などが行われるという。考古学や文献史学など統合的かつ多角的な研究が進むことで、新たな見解や評価が出てくるだろう。眠りから覚めた、秀吉や家康が残した歴史の破片から、さまざまな謎が解き明かされていくのだ。その感動を、これから存分に味わいたい。

静岡市では、駿府城跡天守台発掘調査現場内に「発掘情報館きゃっしる」を開設しているほか、一般的には立ち入れないことが多い発掘調査現場を常時一般公開するなど、「見える化」事業を行ってきた。発掘作業は終了したが、当面は引き続き見学ゾーンから常時観覧が可能だ。日本最大級の慶長期天守台や天正期天守台を誰でも間近に見ることができ、歴史のロマンに思いをはせられる。

(続く。次回は4月20日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■駿府城
http://www.shizuoka-bunkazai.jp/castle-info/(駿府城跡天守台発掘調査 発掘情報館きゃっしる〈別館〉)

>> 連載一覧へ

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

家康の城の地下から出現! 定説揺るがす二つの天守台 駿府城(1)

一覧へ戻る

波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

RECOMMENDおすすめの記事