あの街の素顔

殺人犯がこもった塔のある村 欧州の「秘境」アルバニア紀行(3)セシ

アルバニアをご存じですか? 東ヨーロッパのバルカン半島にある小さな国です。戦後長らく鎖国状態にあり、現在は旅行者も増えているようですが、日本での知名度はまだいま一つ。そんな国を訪れ、とりこになったライターの太田瑞穂さんが、2018年と2019年の体験を3回に分けて紹介します。最終回は、山岳地帯のセシです。時間が止まったような小さな村で見たものは……。
(トップ写真は、絶景続きのセシへの道中)

アクアブルーの海が美しい港町 欧州の「秘境」アルバニア紀行(2)サランダから続く。
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アルバニアのアルプスにある時間が止まったような村

窓の外は天をつくような山々が連なる絶景ながら、視線を下ろすと一転して何も見えない。私たちを乗せた四輪駆動のワゴン車は、山肌に切り込むような道を走っていた。対向車とかろうじてすれ違えるほどの狭い砂利道にガードレールはなく、生きた心地がしない。恐怖で張り詰める乗客を笑顔でなだめながら、運転手は、ひっきりなしに鳴り響く携帯電話に答えている。アルバニア北部の山岳地帯にあるセシへの道中は、みな一様に、祈るような気持ちで乗り越えるしかなかった。

2000メートル級の山々が連なるプロクレティエ山地は、「アルバニアのアルプス」とも呼ばれ、その山あいにあるセシは、おとぎ話からそのまま飛び出してきたように美しい集落だ。隣国のモンテネグロとの国境までは15キロほど。山々の間を縫うように流れるセシ川を中心にして、長いあいだ時間が止まったままのような古い石造りの家が点在する。ハイカーにとっては天国のような場所で、夏の間には、ハイキング客が押し寄せるという。

殺人犯がこもった塔のある村 欧州の「秘境」アルバニア紀行(3)セシ

セシ周辺にはいくつかハイキングコースがあり、秋には紅葉が楽しめる

国外の移住先から戻り開いた宿

宿泊した「ゲストハウス・シュペッラ」 (Guesthouse Shpella)の主人、ジョン・シュペッラさんは、集落にある唯一の教会で産まれ、スイスで育った。「宗教が禁止された共産主義時代、教会やモスクは、破壊されるか、別の用途で使われた。だから、(診療所として使われていた)教会で産まれたというわけさ」とジョンさんは語る。

セシにはかつて200世帯ほどが住んでいたが、1992年に共産主義政権が崩壊すると、生活の苦しかった村人たちは新たな暮らしを求め、次々と国外へ移住していった。6人の子供を抱えたシュペッラ一家もこの年にスイスへと向かい、子供たちはスイスで育った。

2008年、20代半ばに差し掛かったジョンさんは、「自分の生まれた場所が見てみたくて」初めてセシを訪れた。「普通に観光客として来た。軽い気持ちで訪れたのに、こんなにきれいなところだったのか、と感動したよ」

殺人犯がこもった塔のある村 欧州の「秘境」アルバニア紀行(3)セシ

宿泊したのは、もともとあった母屋の一室。内装も可愛らしい

驚くことに、ジョンさんの家族がかつて住んでいた家は、そっくりそのまま残っていた。当時、セシを訪れていたハイカーから「宿泊場所を探すのに苦労した」と聞くや否や、生家をゲストハウスに改装することを決意。必要最低限の手を加え、部分的にではあるが、次の年にはオープンにこぎつけた。

当初は1シーズンで200人ほどだった宿泊客も、10年を経て8000人を超えるように。私が訪れたのはハイシーズンをすでに過ぎた10月初旬だったが、ジョンさんのお母さんをはじめ、家族が掃除や料理に奔走していた。ハイシーズンには、ヨーロッパ各国に住んでいる親戚たちも代わる代わる手伝いに来るそうだ。

殺人犯がこもった塔のある村 欧州の「秘境」アルバニア紀行(3)セシ

ジョンさんのお母さんは、裏庭のかまどに火を起こしてパンを焼き、野菜をローストする

絶景だらけの日帰りハイキングコース

集落の周りには、片道30分から2時間強の日帰りできるハイキングコースがいくつかある。「ハイキングコース」とは言っても、かろうじて矢印が書かれた岩や看板があるだけで、すれ違う人もまばらなので、携帯電話を持参して全地球測位システム(GPS)で現在地をチェックできると心強いだろう。

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ハイキングの途中ですれ違ったヤギ飼いの女性。翻訳アプリを通して話を聞いたところ、「向かいの山から常にオオカミがヤギを狙っているので、注意していないといけない」そうだ。この後通りかかった男性は、「最近、オオカミにヤギを数匹殺されてしまった」と教えてくれた

足場が悪く、傾斜の急な部分もあるが、国立公園だけに、どこを切り取っても絵になる絶景が楽しめる。澄んだ空気と湧き水も豊富で、体の中から浄化されて行くようだ。

殺人犯がこもった塔のある村 欧州の「秘境」アルバニア紀行(3)セシ

集落から30分ほどで行ける滝。湧き水なので、とにかく冷たいが、下着姿で果敢に飛び込む若者たちの姿もあった

殺人犯がこもった「ニコル・コチェクの塔」

セシのもう一つの見どころは、ゲストハウス・シュペッラのすぐ裏にある、「ニコル・コチェクの塔」だろう。100年ほど前までセシでは、殺人事件が起きると、犯人は15日間この塔に身を寄せ、その間に村人の中から信頼の置ける男性を1人選んで犯行の状況などを説明した。言ってみれば、自主的に入る拘置所のような場所だ。そして、状況説明を受けた男性を通じて、被害者側と犯人の処分について話し合いを行ったという。

殺人犯がこもった塔のある村 欧州の「秘境」アルバニア紀行(3)セシ

真ん中にある、灰色の屋根の建物が「ニコル・コチェクの塔」。小高い場所にあり、窓を小さくして狙撃を防いでいる

犯人が身を潜めている間、塔に入るのを許されたのは、聞き取りを行う男性と食事などの世話をする村の女性のみだった。窓が小さく、ものものしい雰囲気なのは、アルバニア北部に古くから浸透していた「掟(カヌン)」の影響もあるのだろう。殺人が起きると、このカヌンにより、被害者の家族には犯人を殺して復讐(ふくしゅう)を果たすことが許されていたのだ。塔の内部は当時の内装が再現されていて、なかなか興味深い。

殺人犯がこもった塔のある村 欧州の「秘境」アルバニア紀行(3)セシ

塔に身を潜めている殺人犯がどのように過ごしていたかを再現してくれるジョンさん。1階は身の回りの世話をする女性のみ入ることが許され、殺人犯は2階より上で生活していた

みんなでいただく夕食の連帯感

レストランなどがないに等しいセシでは、夜ご飯は基本、宿泊しているゲストハウスで食べる。食卓に並ぶのは、無農薬で育てている野菜のグリルや裏庭のかまどに薪をくべて焼くパン、ローストした肉類などで、すべてジョンさん一家の手作りだ。刻んだパプリカをヤギのチーズと炒めたものや、パプリカとナス、ズッキーニをグリルしたものは定番で、毎回登場する、むせるほど強い匂いを放つヤギのチーズや青トマトのピクルスも、何度か食べるうちにだんだん病みつきになる。

殺人犯がこもった塔のある村 欧州の「秘境」アルバニア紀行(3)セシ

ゲストハウス・シュペッラでは、宿泊客がみんなで食卓を囲む

夕食は、宿泊客がみんなで同じテーブルを囲むので、にぎやかだ。セシに来る人たちは、崖沿いの狭い砂利道を車に揺られるか、7時間ほどかけて徒歩で山を越えてきているため、同じ苦労を体験した者同士の連帯感のようなものがある。そのため、初対面でも話題に事欠かないので、話が弾むのもうれしい。

殺人犯がこもった塔のある村 欧州の「秘境」アルバニア紀行(3)セシ

ゲストハウスの庭にテントを張って寝泊まりしていたドイツ人の大学生グループ。山を越えてモンテネグロに行くとのことだったが、数日後、「無事着いたよ!」と写真付きで報告のメールが届いた

2018年に続き、2019年にセシを訪れた際は、断崖絶壁の山道は拡張工事をしている最中だった。完成すれば、アクセスはかなり良くなるはずだ。住民にとっては必要なことだとわかりつつも、訪れる全ての人を平等に恐怖の奈落に突き落とす、あの山道がなくなってしまうのは少し寂しい。セシには、もう少しだけ、孤高の秘境でいて欲しかったと願うのは、私のわがままだろうか。

(おわり)

<旅の情報>
セシへの行き方は二つ。アルバニア北部の中心地シュコドラから車で行くか、バルヴォナから徒歩で山を越える。山道はかなり危険なので、自分で運転せず、シュコドラ発のミニバス、もしくはシュコドラやセシでの宿泊先で運転手を手配してもらうのがお勧め(どちらも片道10ユーロ)。夏でも夜は冷え込むので、上着を持って行くのを忘れずに。

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PROFILE

  • 「あの街の素顔」ライター陣

    こだまゆき、江藤詩文、太田瑞穂、小川フミオ、塩谷陽子、鈴木博美、干川美奈子、山田静、カスプシュイック綾香、カルーシオン真梨亜、シュピッツナーゲル典子、コヤナギユウ、池田陽子、熊山准、藤原かすみ、矢口あやは、五月女菜穂、遠藤成、宮本さやか、小野アムスデン道子、石原有起、高松平藏、松田朝子、宮﨑健二、井川洋一、草深早希

  • 太田瑞穂

    ライター、翻訳&通訳。旅先でその土地の日常的な暮らしやそこに根付く文化を少しだけ体験するのが好き。

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