城旅へようこそ

波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は、徳川家康の居城・駿府城(静岡市)の3回目。コロナ禍が落ち着いた後、実際に訪れる際の見どころや楽しみ方をお伝えします。
(トップ写真は駿府城二ノ丸南西隅に復元された、坤櫓<ひつじさるやぐら>)

【動画】駿府城を歩いてみた

<秀吉と家康、出現した二つの天守台が語る戦略と情勢 駿府城(2)>から続く
<家康の城の地下から出現! 定説揺るがす二つの天守台 駿府城(1)>はこちら

「輪郭式」の構造がよく残る貴重な城

<駿府城(1)>と、<駿府城(2)>では、駿府城跡天守台発掘調査の成果と駿府城の価値をお伝えした。今回は、現在の駿府城の楽しみ方をお話ししよう。

駿府城は、曲輪(くるわ)が同心円状に配置された「輪郭式」の城だ。本丸を中心にして、波紋のように広がるおもしろい形をしている。本丸を本丸堀(内堀)が囲み、その外側に二ノ丸、二ノ丸堀(中堀)、三ノ丸、三ノ丸堀(外堀)が順番にめぐる。静岡市の中心地にあり周囲には官公庁やビルが立ち並ぶが、二ノ丸堀はほぼ完全に残り、三ノ丸堀も約半分が残存しているため、意外にも波紋の形状をたどり歩くことができる。全国の城の中でも、輪郭式の構造がよく残る貴重な城だ。

明治時代に入ると全国の城と同様に廃城となり、1870(明治3)年に城門などは払い下げられ、老朽化した建物は取り壊された。1891(明治24)年、陸軍省から静岡市に払い下げられた後、1896(明治29)年に陸軍省へ献納。本丸堀が埋め立てられて本丸と二ノ丸に歩兵連隊が設置され、三ノ丸には官公庁や学校が建てられた。戦後、本丸と二ノ丸が駿府公園として整備され、駿府城公園となり現在に至っている。

波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

静岡県庁別館21階の富士山展望ロビーから見下ろした駿府城

保存運動で残った石垣や堀

二ノ丸堀を取り囲む、静岡県庁や市立城内中学校、静岡大学教育学部附属静岡小・中学校、市立葵小学校、家庭裁判所や静岡税務署、静岡市立静岡病院がある場所が、三ノ丸だ。西〜北側には、今も三ノ丸堀が残っている。静岡県庁が建つ城の南側が、駿府城の大手(正面)。県庁の南側にも三ノ丸堀が残り、県庁の東側を通り抜けるようにクランクした道路の途中に大手門があった。人がせわしく出入りするにもかかわらず、車が運転しにくい折れ曲がった道路なのは、駿府城の大手門の名残なのだ。

よく見ると、門の礎石があった場所は、歩道のブロックの色を替えて示してくれている。ここに大きな門があったことを想像すると、ただの道路も特別なものに思えてくる。

県庁が置かれるほど都市化が進みながら、部分的とはいえ外堀まで残る城は全国的にも珍しい。聞けば、昭和40年代に起きた保存運動のおかげで、このあたりの石垣や三ノ丸堀が残されたという。城は、近現代においても、地域のシンボルだ。大手門付近の景観が守られたのもまた駿府城の歴史なのだと、胸が熱くなる。

波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

大手門。歩道のグレーのブロックで門の礎石を示している

駿府城のある地は、古代から居住に向いた安定した地勢で、交通を掌握する上でも適していた。かつての安倍川は分流しておりたびたび氾濫(はんらん)を起こしていたが、この場所は静岡平野の中でも比較的標高が高く安定していたことから、中心地として発達したようだ。後述するが、家康が駿府城を築く前には今川氏の館があったと推定され、城館を築くのに最適地であったことがうかがえる。

さらにさかのぼれば、弥生時代から古墳時代の集落跡が見つかっており、奈良時代から平安時代初期にかけては官衙(かんが)関連施設が置かれていたと推定される。

残念ながら城内に建物は残っていないが、1989(平成元)年に巽櫓(たつみやぐら)、1996(平成8)年に東御門、2014(平成26)年に坤(ひつじさる)櫓が復元されている。東御門は、高麗門と櫓門、そして南・西の多聞櫓で構成される枡形門(ますがたもん)だ。

波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

復元された東御門。東御門橋を渡り、高麗門を抜けて枡形内に入る

展示室の復元模型は必見

東御門を抜けたら、まずは東御門・巽櫓の内部を見学するのがおすすめだ。展示室になっていて、駿府城の歴史や構造がよくわかる。必見は、駿府城復元模型。断片的に残る遺構から全容を想像したり、見たこともない城門や櫓を想像するのはかなり難しい。しかしこうした模型を活用すると、実際に城内を歩くときに格段にイメージを膨らませやすくなる。

どんな構造で、どれほどの規模で、どのような建物が建っていたのか、堀の幅や石垣の高さ、建物の配置など、再現された姿を見ておくことは、想像の翼を広げるときにとても役に立つ。自分がいる場所がわかるようになり、城域の広さも実感できるはずだ。

波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

二ノ丸堀越しに見る、復元された巽櫓


波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

巽櫓は珍しいL字型をしている

例えば、巽櫓の前に公開されている本丸堀も、模型を活用すると実態がよくわかる。南東隅の一部だけが公開されているため、ぱっと見は池のようにしか見えないが、模型と照らし合わせると本丸堀の一部だとわかり、延長線上に広大な本丸堀がめぐっていたことが連想できる。この内側が本丸の範囲と想像できれば、本丸がかなり広いことも察しがつくだろう。本丸堀と二ノ丸堀をつなぐ二ノ丸水路も、実によくできた水路だと気づくはずだ。

波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

明治時代に埋め立てられた本丸堀が、一部だけ発掘調査をもとに公開されている


波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

二ノ丸水路。珍しい石敷きの水路が構築され、本丸堀の水位調整をしていたという

石垣に残る門跡をふさいだ跡

本丸には政庁と居館を兼ねた本丸御殿があり、紅葉山庭園のある場所には二ノ丸御殿と台所があった。二ノ丸から三ノ丸へは、東御門を含めて五つの門(北御門、御水門、清水御門、二ノ丸御門)が設けられていたという。県庁の向かいにある公園入口は後に改変された出入口で、二ノ丸へ入る正面の出入口だった二ノ丸御門は、その70メートルほど西側にあった。二ノ丸大手門とも呼ばれた、立派な枡形門だ。二ノ丸越しに石垣をじっくり見ると、門跡をふさいだ跡がある。

波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

中央の小石が詰まった部分が、二ノ丸御門をふさいだところ

堀沿いに残る石垣も、駿府城の見どころだ。場所により積み方が異なり、江戸時代を通じた修復の歴史が感じられる。築城に携わった大名の家紋や符丁が彫り込まれた膨大な数の「刻印石」も、天下普請で築かれた駿府城の大きな特徴だ。

波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」 駿府城(3)

刻印石。150種類、300以上あるともいわれる

城下町歩きも楽しい。静岡市街地が碁盤の目状に整備されているのは、城下町が基礎になっているから。江戸時代の駿府城下町は、城に近いところに武家屋敷が並び、城の東から南へと折れながら通る東海道に沿って町家、寺町が並んでいた。「両替町」「呉服町」「鍛冶町」など、商人や職人、寺社や街道に由来する町名碑が設置され、それらをたどることで城下町の配置を想像できる。

(この項おわり。次回は4月27日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■駿府城
https://www.sumpu-castlepark.com/(駿府城公園)

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PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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