城旅へようこそ

駿府城の石垣の故郷 先人の労が刻まれた小瀬戸石切場

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は、2020年2月に駿府城の石垣の「故郷」を訪ねた、ひと味違う城旅です。静岡市の小瀬戸石切場に今も残る採石の痕には、先人の労苦が、まるで謎解きのように刻まれていました。
(トップ写真は下沢奥上石切場の、約40個もの矢穴が残る石)

【動画】小瀬戸石切場を訪ねて

河川と街道が通じる、駿府城石垣の採石場

<波紋のように広がる美しく希少な「輪郭式」駿府城(3)>でも触れたように、現在の駿府城は、徳川家康による幕命で諸大名が築城を請け負った「天下普請」で1607(慶長12)年から改修された。城を取り囲む石垣の石材には、築城に関わった諸大名の家紋や符丁が彫り込まれた「刻印石」が150種類300個以上も確認されている。しかし、広大な城域を埋め尽くす石垣の石材が、どこで採石され、どのように運ばれたかはよくわかっていない。

現在、確認されている採石場(石切場)は3カ所ある。駿府城から直線距離で北東へ8キロほどの長尾川沿いの地点、西へ9.5キロほどの藁科川(わらしながわ)沿いの地点、そして駿河湾に面した大崩海岸(静岡市駿河区から焼津市浜当目あたり)だ。地元の「小瀬戸の文化と歴史を未来につなぐ会」が精力的に保存・整備活動をされていると聞き、会の方とともに藁科川沿いの小瀬戸石切場を訪ねた。

小瀬戸は、新東名高速道路の静岡サービスエリアの西側にある小さな里山だ。駿府城から安倍川を渡り、安倍川の支流である藁科川に沿って車を西へ15分ほど走らせたところにある。

藁科川も安倍川も、かつてとは川幅や流路が異なると思われるが、駿府へ通じる藁科川の舟運は、駿府城への資材搬入に役立ちそうだと想像がつく。藁科川沿いには静岡市街へ通じる南藁科街道があり、陸上交通も申し分ない利便性があったようだ。小瀬戸の集落入口には「石場」や「牛込」と呼ばれる場所があり、採石した石を「石場」に集め、「牛込」につなぎとめていた牛に引かせて駿府城へ運搬したと伝わる。

駿府城の石垣の故郷 先人の労が刻まれた小瀬戸石切場

新東名高速道路越しに見る、藁科川、小瀬戸石切場のある山、小瀬戸の集落

集落でも見かける落石

「小瀬戸の文化と歴史を未来につなぐ会」の事務局長、藤原俊さんの案内で、小瀬戸石切場の登山口へ向かった。驚いたのは、登山口までに至る道端にもゴロゴロと採石された石が落ちていたことだ。民家の軒先にも、残石と思われる石が並んでいる。だいぶ山が崩れ、大雨の後の大水で石が集落に流れてくるらしい。

遊歩道から見える「ムジナ石」と呼ばれる沢の残石も、崩落の激しさを示すものだ。苔(こけ)むした巨石には採石の跡が確認できるというが、大水で沢に落ちたそうで、もともとどこにあったかははっきりしない。

小瀬戸には、下沢のほか、板谷島沢、崩沢、行司沢、小谷の沢などいくつかの沢があり、沢沿いのさまざまな場所に採石の痕跡が確認できるという。そのうち下沢の上流にある「下沢奥下石切場」と「下沢奥上石切場」の2カ所が「小瀬戸石切場」として整備されている。登山口から徒歩5〜10分で下沢奥下石切場に着き、そこからさらに5分ほど登ったところに下沢奥上石切場がある。

駿府城の石垣の故郷 先人の労が刻まれた小瀬戸石切場

下沢奥下石切場

矢穴から読み解く採石の様子

二つの石切場は、想像以上のスケールで明瞭(めいりょう)に残っていて驚いた。下沢奥下石切場は、作業場のようなテラス状の平場の脇に、切り出しの跡が残る高さ5メートルほどの巨大な岩石がある。岩石底面にも採石の跡が見られることから、岩ごと崩れ落ちた可能性もありそうだ。下沢奥上石切場には、より採石の痕跡が顕著に残るさらに巨大な岩盤があった。突如として現れる壮大な歴史の産物に、思わず声を上げてしまった。

採石の様子を物語るのが、岩盤の表面に彫り込まれた「矢穴」だ。通常、岩盤から石を切り出したり、大きな石を分割するときには、矢穴と呼ばれる長方形の穴を彫り込む。割りたい石の表面に長方形の穴をキリトリ線のように等間隔に彫り込み、その穴にくさびを打ち込み、げんのう(ハンマー)でたたき割る。

駿府城の石垣の故郷 先人の労が刻まれた小瀬戸石切場

矢穴。左側にあるのは、彫り込みを途中でやめた痕跡

岩盤や石垣の表面に見られる歯型のような痕は、矢穴の断面。矢穴は、石目という岩石の割れやすい方向に沿わせなければならず、石目を無視して矢穴を開けても、割ることはできない。矢穴を彫りながらも割れなかった石や、矢穴の彫り込み自体を途中でやめた石がよく見つかる。逆にいえば、残された矢穴から、採石の順番が読み解ける。

駿府城の石垣の故郷 先人の労が刻まれた小瀬戸石切場

歯型のような痕は、矢穴の断面

矢穴の彫り方に違い 過酷な作業状況も

二つの石切場を見て気になったのは、矢穴の彫り込み方に統一感がないことだ。通常、同じ作業場であれば似た矢穴になるものだが、大きさや間隔などにばらつきがあり、下沢奥下と下沢奥上とでも様相が異なる。矢穴を彫り込む前の長方形の指示線の入れ方も、よく見ると間隔や手順に違いがあるようだ。一般的に矢穴の幅は時代が下るにつれて狭くなるのだが、下沢奥上石切場ではほとんどの矢穴が7センチなのに対し、なぜか山頂部の一部分だけ10センチあった。

採石が長期間に及んだり、別の目的で異なる時期に採石していればその違いもあり得るが、小瀬戸は駿府城築城後に石材産業が発達した地域ではないため、切り出したのは駿府城の石材にほぼ限られるだろう。同じ技術を持つ大きな組織が一手に引き受けたのではなく、採石技術が異なる複数の集団が作業した可能性があるのかもしれない。

駿府城の石垣の故郷 先人の労が刻まれた小瀬戸石切場

下沢奥下石切場の矢穴

作業工程を推察するのも難しい。何度か矢穴を入れた痕跡は、2〜3本の線であれば入れた順番の予測がつくのだが、線がここまでたくさん入っていると、順序を予測しにくい。

また、落石が多く山崩れが進んでいるため、採石や運搬の手順も推察が難しい。たとえば江戸城の石材を切り出した伊豆半島の石切場では、岩盤から石を切り出した場所、切り出した石をある程度の大きさに整形した場所、整形した石を山麓(さんろく)に運搬する石曳道(いしびきみち)と、一つの山の中である程度の作業行程を追うことができる。しかし、小瀬戸石切場ではそれが難しく、石曳道も今のところは確認できていない。

駿府城の石垣の故郷 先人の労が刻まれた小瀬戸石切場

下沢奥上石切場の矢穴。「Y」の字のように、異なる作業で入れられた2本の矢穴が入る

ただ、二つの石切場がこれほど至近距離にあることを考えると、ほかにもたくさんの石切場があるのは間違いなさそうだ。かなりのスピードで築かれた駿府城の築城には、採石に慣れない地元の人々も動員されて、石材がかき集められたのだろうか。

石切場が高所にあるのも気になるところで、過酷な作業状況がうかがえる。石材は山麓に近いところから運ぶほうがもちろん効率がよい。山麓から切り出し始めて段階的に掘り進め、これほどの高いところまで至ったのかもしれない。

駿府城の石垣の故郷 先人の労が刻まれた小瀬戸石切場

下沢奥上石切場からの眺望。駿府方面がしっかり見える

トップ写真で紹介した下沢奥上石切場の約40個も残る矢穴は圧巻で、等間隔に彫り込まれた指示線には職人の細やかな手仕事が感じられる。約400年前の人々が汗を流し採石する息遣いが聞こえてくるようだ。当時の様子を思い浮かべるとなんとも胸が熱くなり、その証しである矢穴を見つけるだけで、先人が残した歴史の片鱗(へんりん)を見つけた気分になる。

しかし裏を返せば、これほど膨大な数の矢穴は、石目が読めておらず効率よく採石できていないということでもある。採石者の技術力を知る手がかりにもなるのかもしれない。

駿府城の石垣の故郷 先人の労が刻まれた小瀬戸石切場

下沢奥下石切場の矢穴。下には矢穴の指示線も

天下普請による採石を解明する手がかりの一つが、刻印石だ。たとえば江戸城の石切場では、刻印や刻文によって担当した大名や採石時期が判別できるケースが多いが、残念ながら小瀬戸石切場では決定打となる痕跡は確認されておらず、見つけられたのは下沢奥上石切場の一つだけだった。刻印石の種類の多さは駿府城の謎の一つでもあり、興味深い。

発掘調査が進む駿府城では、採石の実態についても、調査・研究が進められるようだ。採石の時期、方法、作業の様子などが解明されることを期待したい。

駿府城の石垣の故郷 先人の労が刻まれた小瀬戸石切場

下沢奥上石切場に残る刻印

ところで、下沢奥上石切場が別名「トミサク石」と呼ばれるのは、藤原さんの祖父・戸崎富作さんが発見したからだそうだ。木々に埋もれて近づけなかった小瀬戸石切場を見学できるよう整備したきっかけは、富作さんが書き残した、地元の郷土史家とともに調査した資料を手にしたからだとか。小瀬戸石切場は、江戸時代の貴重な遺跡である以上に、小瀬戸の宝なのだと感じた。尊い遺跡が守られ、後世に伝え残されることを願う。

(この項おわり。次回は5月18日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■小瀬戸石切場
小瀬戸の文化と歴史を未来につなぐ会

>> 連載一覧へ

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

動画で巡る話題の城 おうち時間で城旅気分!

一覧へ戻る

河川と街道の交差点を押さえる、南北朝時代発祥の城 小瀬戸城

RECOMMENDおすすめの記事