浜松に集う個性との出会いを楽しんで 古くて新しい、昭和レトロな「カギヤビル」
文: 石野明子

スリランカと日本を拠点に活躍する写真家の石野明子さんが故郷を撮り歩く連載、「カメラと静岡さとがえり」。第16回は、浜松市のレトロな建物「カギヤビル」。見た目はちょっと古びていますが、中に入ると若い世代が営む、個性的なお店がいっぱい! 出会えるのは、魅力的な商品ばかりではないようです。
(トップ写真は、同ビル内に店を構える「BOOKS AND PRINTS」オーナーで写真家の若木信吾さん)
※情報は取材した2019年8月当時のものです。
うわさの、浜松の面白い場所
私が高校生の頃、ふるさと・浜松の街には元気があった。ちょっと変わった店主が営むセレクトショップや古着屋、70年代のアメリカのダイナーのようなケーキ屋など……、個性的な個人経営のお店がたくさんあった。だが時代の移り変わりとともに、人やにぎやかさが消えていったように感じる。私も里帰りしても、街中に出かけることが少なくなってしまった。しかし数年前から「浜松に面白い場所ができたよ」という声が聞こえてくるようになり、なんだかうれしくなった。どんな所なんだろう?
時が止まったような、そのビルは

浜松駅から徒歩8分ほどの交差点に立つカギヤビル
浜松駅から徒歩8分ほど。築50年以上経ったレトロな外観の「KAGIYAビル(以下、カギヤビル)」。戦後、強度のある建物を造るため、複数のオーナーからの出資を集めて建てられたビルだ。しかし時代とともに、複数のオーナーが存在する物件は貸す方も借りる方も扱いづらくなってしまった。2010年頃には、2階以上はほぼ空室だったそうだ。
そんな中、2012年に浜松市内の老舗不動産会社がオーナーたちをとりまとめ、一棟買い。若い人たちに、新たな文化発信の場として提供したいという思いからだったという。

カギヤビルのエントランス
こうしてカギヤビルの止まっていた歴史がまた動き出した。味わいある風情と、立地の良さなどが手伝い、若い世代が集まってきた。
人が出会って起きる化学反応を
カギヤビルを有名にしたのが、写真家・若木信吾さん(49歳)がオーナーを務める「BOOKS AND PRINTS」だ。

「BOOKS AND PRINTS」オーナーの若木信吾さんの肩書きは写真家だけでなく多岐にわたる
直木賞作家の西加奈子さんや、「写真界の芥川賞」とも呼ばれる木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家の佐内正史さん、ミュージシャンの曽我部恵一さんなどの著名人をゲストに迎え、本にまつわる超豪華なイベントを開催し、注目を集めている。店内には若木さんが国内外から集めてきた写真集はもちろん、絵本もあれば小説も、雑貨だってある。

ジャンルにとらわれない品揃えにワクワクする
「始まりは写真に関することは何でもやりたい、という気持ちから。ここがあるから、自分が得た刺激や出会いを還元できる。メディアとしての役割も発揮できる。訪れた人たちに、きっかけを与え続ける場所でありたいと思っています」と若木さんは話す。

出会いが生まれる本屋
この地方都市・浜松を著名人がイベントで訪れることはそうそうない。ここで起こった人と人との化学反応はいかほどだったのだろうか!
若い世代が続々と
お店はほかにも、3階にある雑貨店「Rohan」の鈴木林太郎さん(36歳)。鈴木さんが出会った日本全国の器や道具、書籍が並んでいる。

取材に訪れた昨年8月、Rohanでは箸置きの企画展が開催されていた
かつては東京で会社員として働いていた。だが自分にあった働き方を模索しているうちに、好きな器をメインにお店を始めることに。「がむしゃらに働いて出世や成功を収めるより、好きな物に囲まれて過ごすことが幸せだと気づいたんです。作品の良さ、作家さんたちのルーツを発信していくことが、僕のやりたいことなんだな、と」

オーナーの鈴木さんは愛知県出身だが浜松は鈴木さんにとってよく遊びにきていた青春の街
店内はひっそりとしていて、違う世界に入ってしまったかのような不思議な感覚。でもそれが心地良いのか、訪れるお客さんたちのおしゃべりは止まらない。「ここは昼間のスナックなんですよ」と鈴木さんは笑った。
そして2階の服飾店「Violet」。店主は松下ゆかりさん。服飾デザイナーである松下さんの夫がデザインした服と、フランスで仕入れたアンティーク雑貨を置いている。

古いビルとアンティークが織りなす、Violetの美しいディスプレー
パリで服飾産業に携わっていた松下さんご夫婦、フランスから浜松に引っ越してきた当初は店を持つつもりはなかったそうだが、自分たちを表現できる場所が欲しいと出店を決めた。「フランスだろうと浜松だろうと、感性が豊かで何かを求めている人たちは集まってきてくれる。それから面白さが増していきました」。今はファッションを学ぶ地元の学生とショーを企画したり、自分たちのブランドを世界に発信する準備を進めたりしているという。

Violetオーナーの松下さん
そして忘れてはならないのが、1階にある喫茶「さくらんぼ」。店主は80歳の大澄富子さん。この場所でお店を開いて41年、もちろんビルの中で一番の古株だ。「郊外にあるショッピングモールや大型店がもてはやされる時もあったけど、街を魅力的にみせるのはやっぱり個人店よ。チェーン店には出せない個性があるもの」。日本経済の浮き沈みを見てきた大澄さんの言葉には、すごみすら感じる。

年季の入ったさくらんぼの店内。大澄さんはサイフォンでコーヒーをいれる
2000年ごろには都市開発のデベロッパーやいわゆる地上げ屋の人たちが、浜松の人と土地をよく知る大澄さんに話を聞きたいと訪れることも多かったそうだ。「カウンターの中からずっと人通りや街の人たちを見てきたわよ」と大澄さんは言う。
「お客さんたちがやめないでって言うから気づけばここまできちゃったの」と困ったように大澄さんは笑う。
昔からの常連客はもちろん、カギヤビルに入る店舗のオーナーが一休みに来るそうだ。そしてかつては訪れることのなかった若い客層や取材も増えた。みんな大澄さんの優しい接客と、鋭い考察を楽しんでいく。
カギヤビルに集う個性との出会いを楽しんで
他にも4階には、植物療法士の鈴木七重さんが営むスタジオ「chimugusui」が。良質なアロマオイルやハーブティーの商品が購入でき、フィトセラピー(植物療法)の講座も開かれている。1階には根っからの服好きの店主がお母様から古着屋を受け継いだ「GROOVE」、ユニセックスで独自の感性が目を引くセレクトショップ「SHHH」がある。

現在テナントはほぼ埋まっている
このビル一つに個性的な店舗が多くあると同時に、それぞれの店主たちが見せてくれるそのライフスタイルにも出会う価値がある。生き方は本当に人それぞれで、自分をどう表現して生きていくのか、オーナーたちのその決断にはっとさせられる。インターネットだけでは得られない手触りをぜひ訪れて感じてほしい。魅力的な大人たちが、予想外の出会いが、このビルにはぎゅっと詰まっている。
カギヤビル
https://kagiyabldg.hamazo.tv/
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