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未来の宿泊券、オンラインストア、VRで自宅温泉気分 生き残りかけ観光業界

私たちは今、歴史的な転換点を目撃しているのかもしれない。新型コロナウイルスの感染拡大によって大打撃を受けている観光業界だが、逆境の最中にあっても希望を捨てずに動き続ける人たちがいる。大変革を予感させる時流の中で、生き残りを賭けたスクラップ&ビルドに挑む戦略を追った。
(文・矢口あやは トップ写真は画像提供=有馬温泉湯めぐりVR)

宿の命を未来へつなげ! 「未来に泊まれる宿泊券」

観光庁の宿泊旅行統計調査によると、2020年3月(第1次速報値)の延べ宿泊者数は2361万人で、前年の同じ月に比べ49.6%のマイナスとほぼ半減。客室稼働率はわずか31.9%で、前年同月比30.9%のマイナスだった。同じ月の「主要旅行業者の旅行取扱状況速報」では、取扱額は約1200億円と前年同月の28.6%しかない。緊急事態宣言が出された4月以降は、さらに厳しい状況が予想される。

新型コロナウイルス感染症が深刻化した2020年1月以降の旅にまつわるニュースやリリースを調べていくと、観光業界が大きく二つの戦略をとったことが見えてくる。一つは延命のためのキャッシュを確保する動き。もう一つは、「アフターコロナ」に向けて投資する動きだ。

前者は、宿を支援するクラウドファンディングや、ホテルが高級弁当の宅配事業へ参入したことなど。なかでもユニークなのは「未来に泊まれる宿泊券」だ。

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「未来に泊まれる宿泊券」が購入できる「CHILLNN(チルン)」のホームページから

東京や大阪など7都府県に緊急事態宣言が発令された4月7日に始まったサービスで、「#安心な世界で旅に出ようぜ」というハッシュタグとともにSNSで広く拡散し、支持を集めた。

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龍崎翔子さん

サービスを提供するのは、「HOTEL SHE, OSAKA」など全国で五つのホテルを経営するL&Gグローバルビジネス(京都市)と関連会社のCHILLNN(チルン、京都市)。L&Gグローバルビジネスは自社ホテルを4月5日時点ですべて休館させていた。メディアプラットフォーム「note」上の「HOTEL SOMEWHERE」の記事の中で、両社の代表取締役・龍崎翔子さんはこうつづっている。

「このままでは大好きなホテルへ、旅に出られなくなってしまう。そんなことは絶対に嫌だと思いました。そこで、休業を決めたわたしたちは、一つのサービスを作りました。それが『未来に泊まれる宿泊券』の販売サービスです。できることは簡単。いつか旅に出る日のために、未来の予約をするのです。その支援が少しでもホテルや旅館のためになるかもしれない。そのためのプラットフォームを作りました」

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「CHILLNN」のトップページ

そのプラットフォームが「CHILLNN」だ。龍崎さんによれば、「街の空気感や、その宿が生まれた背景、旅人たちの物語を語っていくための宿泊予約プラットフォーム」として、2019年4月から開発を続けてきた。コロナ禍を受けて一部機能を開放する形で実用化に踏み切った。

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「HOTEL SHE, OSAKA」のチケットページ

応援したい宿をクリックすると、各宿の紹介ページに遷移し、それぞれのチケットを簡単に購入できるようになっている。事前決済により宿泊施設はキャッシュフローを確保でき、宿泊客は宿の応援を兼ねたチケットを割安で購入可能で、L&Gグローバルビジネスは手数料収入が入る、という仕組み。

「CHILLNN」では現在、ラグジュアリーホテルからゲストハウスまで200軒以上の施設がチケットを販売。多い施設は2週間で300万円分を売り上げた。参加施設にとっては、連携しての強力なPR力も魅力だ。龍崎さんは語る。

「今は感染が収束しつつありますが、第2波、第3波が予想される中で、おそらく観光業の低迷は避けられないでしょう。だからこそ、ホテルの役割を観光業だけにとどめるのではなく、たとえば住居やオフィスとして利用する『不動産業』、身の回りのケアをする『ケアサービス業』、あるいは『エンタメ業』といった他業種の文脈で読み替えて、新しい社会のニーズに応えていくことが大切です。こうした動きは、業界全体が連携をすることではじめて可能になると考えています」

富山の魅力を届けるオンラインストアが緊急オープン

同じくキャッシュフローを確保する動きの中で、活況が続くEC(ネット通販)分野に活路を見出す企業や地域も。富山県高岡市の一般社団法人「富山県西部観光社 水と匠(たくみ)」は、地元の魅力を伝える食品や伝統工芸品を扱うオンラインストアを4月30日に開設した。

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「水と匠」オンラインストアのトップページ 画像提供=水と匠

「水と匠」のプロデューサー・林口砂里さんによると、きっかけは、全国的に知られるブランド魚「ひみ寒ぶり」で知られる氷見漁港で、「魚の売り先がない」と耳にしたことだった。「都心のデパートや料理店の休業で、鮮度の良い魚を安い加工品に回さざるを得なくなっていたのです。農家の米や野菜も同じ状況で、伝統産業の職人や工芸作家の皆さんも売り場や発表の場を失っていました。私たちもツアーの中止が相次ぎ、何かできることはないかを考え続けていたんです」。それが2020年3月の状況だった。

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オンライン取材に応じる林口砂里さん

経済が悪化の一途をたどる中、4月7日の緊急事態宣言を受けた同社は、かねて構想のあったストア開設を決断した。

「今だからこそ伝えられることがあるはず」とスピードを重視し、林口さんと3人のスタッフが、生産者との仕入れ交渉と取材、撮影に奔走。県内にある約80の企業・団体と行政が設立した観光法人ならではのネットワークを生かして生産者と連携。短期間で県内の良品がぞくぞくと集まった。

プラットフォームには、手軽にECサイトを開設できるサービス「BASE」を活用。デザインをカスタマイズし、「水と匠」らしい世界観を作り上げ、動き出してから2週間あまりで開設にこぎつけた。

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「水と匠」オンラインストアの商品紹介ページ

ストアでは、風光明媚(めいび)な富山ならではの「天然ぶりしゃぶ」「たらの一夜干し」といった海産物やコシヒカリなど農産物、世界的に知られるシマタニ昇龍工房の「すずがみ」や伝統工芸の器など、およそ50点を扱っている。

「オープンして2週間後のデータではページビューが約8000、注文数は40件で、毎日2〜3件は注文が入っている計算になります。食品はもちろん、器などの工芸品も売れ行きが好調で、売り手の皆さんも私たちも非常に驚きました」

ストア内には、商品である食材を使ったレシピ、器への盛り付け例を紹介した動画もある。腕を振るうのは、フランスの星付きレストランで技を磨いたシェフだ。

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動画で料理を披露する山下貴民(よしひと)シェフ 画像提供=水と匠

このオンラインストアの魅力がもう一つ。近江商人が伝えてきた”三方よし”を発展させ、”五方よし”を目指している点だ。

売り先や展示先がなくなった生産者、職人、作家が、ものを販売できる「作り手よし」。それが外出を自粛されている人たちの暮らしを豊かにする「買い手よし」。経済が回って「世間よし」。水と匠社も事業を継続できる「売り手よし」。最後に、手わざや文化が確かに未来へとつながる「未来よし」。

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工芸作家・尾崎迅さんの「ひょっとこ」一輪挿し 画像提供=水と匠

「未来よし」で守りたいものは日本中にあると、林口さんは考えている。

「今後、効率の追求には陰りがでて、その土地にしかないものにより強くスポットライトが当たるはず。都市圏じゃない地域にかろうじて残るものにこそ、豊かになるヒントが詰まっている。今まで地方で自信を失ってきた方が、本当は大事なものを守ってきていたのだと理解される時がきっときます。それが競争力になるはず」

VRで有馬温泉を自宅のお風呂に届ける

一方、アフターコロナへの投資の動きも。外出できないなら自宅の風呂で温泉気分を堪能してもらおうと、VR(仮想現実)動画にチャレンジする観光地もある。有馬温泉(神戸市)の「有馬温泉湯めぐりVR」だ。旅館を営む若手有志5人が中心となり、4月17日から配信をスタートさせた。

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「有馬温泉湯めぐりVR」を湯船で楽しむ様子 画像提供=有馬温泉湯めぐりVR

「有馬温泉では3月頃からパタリと客足が途絶えてしまいました。4月7日の緊急事態宣言の後は8割の旅館が臨時休業を決めていましたね」と振り返るのは、旅館「有馬山叢(さんそう) 御所別墅(ごしょべっしょ)」を営む金井一篤さんだ。

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オンライン取材に応じる金井一篤さん

「お客様に『お越しください』と言えなくなってしまったけれど、有馬温泉は歴史的にも日本を代表する癒やしの湯です。外出自粛をされているお客さまに、この湯をお届けできる方法はないかと考えました」(金井さん)

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閑散とした有馬温泉=金井一篤さん撮影

緊急事態宣言がでた後、金井さんは最近VRをはじめたという知人の写真家に連絡をとった。費用は有志で出し合い、撮影をスタートしたが、VRは少しでもカメラが水平でなくなると視聴者が酔ってしまう。試行錯誤しながら、自身の宿や、「高山荘 華野」「竹取亭」など五つの旅館の自慢の湯を撮影。約7日間の編集期間を経て公開した。

「配信をスタートしてから現在で約1カ月。国内のメディアをはじめ、イタリアやスペイン、ロシア、香港、ドバイなどのメディアにも取り上げてもらい、想像以上にみなさんにご覧いただけてうれしく思います。とくに海外は日本以上に外出自粛が厳しいところも多かったと聞くので、海を越えて有馬の湯がお役に立てたのは本当に良かったな、と。第1弾でわかった撮影ノウハウを生かし、5月15日には第2弾として新たに三つの湯をリリースしました」(金井さん)

VR動画は合計八つになった。一番人気は「元湯 龍泉閣」の露天風呂だ。湯のせせらぎが聞こえ、桜が風にそよぎ、花びらが湯の表面で揺れるシーンも。スマホで眺めるだけでも楽しいが、私はこれを湯船でリアルに見たいがために3000円のVRヘッドセットを買ってしまった。本当に温泉気分だ。

有馬温泉では入浴剤も販売している。これを湯に加えれば、音と視覚に加えて色や香りも堪能できて、いよいよ自宅に有馬の温が湧いてしまう。関東のVR技術者から撮影協力の申し出もあったという。

5月25日、全国の緊急事態宣言が解かれたが、コロナ禍の第2波、第3波の襲来も指摘され、観光業界は依然逆風の中にある。しかし、地元と日本を愛してやまない人たちが、新たなネットワークを結びながら、この状況に正面から挑もうとしている。近い将来、思いもよらない新たな旅のスタイルが確立されるかもしれない。とはいえ、今はまだ希望のタネが芽吹いたばかり。折れないように、枯れないように、私たちにもできることはまだまだある。

CHILLNN公式サイト(未来に泊まれる宿泊券)
https://www.chillnn.com/

水と匠オンラインストア
https://store.mizutotakumi.jp/

有馬温泉湯めぐりVR
http://onsenvr.com/

PROFILE

  • 編集部員・ライター

    気になる旅のニュース、お得な旅情報をキャッチした編集部員やライターが、随時情報を掲載していきます。

  • 矢口あやは

    ライター
    1983年大阪生まれ。旅行誌やカルチャー誌を中心に、国内外の歴史、文化、自然科学などのジャンルで活動。生物と山歩きが好きで2013年に狩猟免許を取得。今年の目標はヨットで相模湾横断。

世界中の国々がムービーで贈る “未来の旅”

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