城旅へようこそ

本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は、山口県萩市の萩城の2回目。指月山(しづきやま)の山麓(さんろく)にある天守台にはかつて、全国でも珍しい五重五階の天守がそびえていました。幕府への配慮から天守の建設すらしない大名もいた中、なぜ、立派な天守を建てられたのでしょう?
(トップ写真は勾配が美しい萩城天守台)

【動画】萩城の山麓部分をめぐる

<毛利家260年間の居城 萩城(1)>から続く

立派な構えの南門跡や本丸門跡

萩城跡指月公園になっている萩城の本丸へは、中堀跡である駐車場に車を停め、二の丸(二の曲輪)への入り口となる南門を抜けて北へと進んでいく。築城した毛利輝元の像がある場所が南門だ。二の丸とはいえ正面玄関だけあって、大きな石がふんだんに用いられた立派な構えだ。巨大な鏡石も据えられている。枡形(ますがた)は改変されて狭くなっているが、それでも随分大きな枡形だったとわかる。城と城下町のようすが詳しく描かれた1652(慶安5)年の「萩城下古図」を見ると、高麗門を抜け、食い違うような形で北側に大きな矢倉門(櫓門=やぐらもん)が設けられている。

本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)

二の丸南門枡形の石垣

二の丸を抜けると、萩城見学の出入り口となる本丸門前の内堀に出る。萩城跡の石碑が建ち、内堀と天守台が望めるベスト撮影スポットだ。内堀はジグザグと折れ曲がる独特の形で、その折れを利用して突き出すように巨大な天守台がそびえている。「萩城下古図」と照合すると、内堀は幅も形状も、現在とほぼ一致する。ここから見る天守は、さぞ圧巻だったことだろう。

本丸門跡は、さすが萩城本丸の正門といえる構えだ。城門はないが、枡形門の土台となる石垣が残る。高さ約3.6メートルの石垣で囲まれた、約11メートル×約15メートルの枡形だ。枡形から内堀に沿って続く高さ約5.5メートルの石垣上にある通路のようなスペースには、鉄砲狭間(さま)が開いた練塀(瓦や栗石を壁土と交互に積み上げた壁)がめぐっていた。城内の場所によって石垣の高さは異なるが、本丸はぐるりと練塀に囲まれ守られていた。

石垣上への動線しっかり 全国屈指の雁木も

本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)

本丸門の枡形。石垣の上に登る階段(合坂)もある

萩藩庁と藩主の居館を兼ねた本丸御殿が建つ本丸は、いわば領国の中心地だ。激戦の最前線となることを想定した戦闘性はないが、高い警備力が感じられ、落ち着いた雰囲気の中にピリピリとした緊張感が漂っている。石垣しか残っていない城だが、こうしたセキュリティの厳重さを感じ取ることができるのが萩城の魅力だ。本丸門付近で練塀を見ることはできないが、本丸北側の西端付近に練塀と思われるものが一部残っている。

射撃場となる石垣の上への動線がしっかりと確保されていることも、萩城の大きな特徴だ。石垣には、区画を仕切り、ところどころに置かれた櫓台をつなぐ壁としての役割があるが、それに加えて、監視や射撃を行う台座としての役割もある。効率よく台座への移動ができるように設けられているのが、「合坂」と呼ばれるV字の石段、「雁木」と呼ばれる石段。いずれも石垣の上に上るための昇降用の階段で、スムーズな移動を可能にする装置だ。本丸門枡形を通り抜けてすぐ左手に見えてくる本丸南面の雁木は、全国屈指の長大さで必見。何度見ても度肝を抜かれる。

本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)

本丸南面に残る、長大な雁木

かつてあった五重天守 なぜ建てることができた?

雁木の西側には、どっしりとした天守台がある。高さ約10メートルに及ぶ石垣の上に、かつては五重の壮大な天守がそびえていた。

関ケ原の戦い後に築かれた城には、過剰な防備や装飾を控える江戸幕府への配慮がある。とりわけ城の顔といえる天守には気を使ったようで、思いのまま豪華な天守を築くことはしなかったようだ。例えば黒田長政が築いた福岡城では、天守台はあるものの天守の存在は明らかになっていない。諸説あるが、江戸幕府に配慮して天守を築かなかったとも考えられている。赤穂城や明石城など、天守台が築かれながら天守は建てられなかった城も珍しくない。

幕府からの制約があったかはわからないが、天守の大きさも慎重に検討されたようだ。五重天守の建造は幕府に制限されていたという説もあり、津山城の天守では、四重目の屋根を短くすることで五重天守を四重天守と申告したという逸話がある。現存する松江城の天守も、五重天守に見えるが実は四重天守。築いた堀尾吉晴が豊臣恩顧の外様大名であり、徳川幕府に配慮したのではといわれている。関ケ原の戦いに敗れて失脚し、中国地方8カ国112万石から周防・長門2か国36万石へと大幅に減封された毛利輝元が、これだけの処遇を受けながらも萩城に五重天守を建てられたのは、毛利氏の家柄あってのことなのかもしれない。

本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)

天守台。高さは約10メートル

天守台からはみ出していた天守

萩城の天守は、1874(明治7)年まで現存していたため、明治初期に撮影された古写真が残っている。古写真が残る天守の中で、ナンバーワンといっても過言ではないほどの見事な天守だ。1608(慶長13)年頃に築かれたと考えられ、五重五階で、北側には付矢倉があった。

天守の初層は、東西約20メートル×南北約16メートル。天守台は東西約18.2×南北約14.5メートルで、天守1階の外壁を半間ずつ外へ張り出させて全面に石落としを設けた、天守台より天守1階の床面積が大きい独特の形状だ。二重二階の入母屋造の上に三重三階の望楼が乗った望楼型天守で、壁には白い漆喰(しっくい)が塗られていた。窓や廻縁(まわりえん)は、銅板で覆われていたようだ。

城内では、堺や大坂で焼かれた上質な瓦が見つかっている。1769(明和6)年に天守の大規模な修理が行われながら1793(寛政5)年に再び修理が行われているのは、軽くて丈夫な堺や大坂の瓦へと葺(ふ)き替えたためらしい。

天守台は、緩やかな勾配ではじまりやがて反り返る「扇の勾配」が美しい。積み方は古めかしく粗雑な印象もあるが、そこに味わいがある。見る角度によって表情が異なり、内堀に映る姿もゾクゾクするほど美しい。内堀沿いをのんびり歩きながら、天守台を眺める時間がたまらない。

本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)

天守台。「扇の勾配」が美しい

二の丸東側 海風を受ける石垣と土塀

二の丸の東側も、見逃せない萩城のポイントだ。<毛利家260年間の居城 萩城(1)>で述べたように、萩城は日本海に突き出すような立地にあり、かつては二の丸の東・西側は完全に海に面していた。とくに、二の丸東側の海に面して築かれた石垣は、インパクトが大きい。北端にある北矢倉跡の高さ約4.5メートルの石垣をはじめ、4〜5メートルの石垣が延々と続く。

本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)

二の丸の東側。海岸が迫っている

ところどころに門や矢倉(櫓)を置き、屏風(びょうぶ)のように塁線を折り曲げる「屏風折れ」や「横矢邪(よこやひずみ)」などで、射撃面を増やして防備を固めている。石垣の上には銃眼(狭間)が開いた土塀が一部復元されており、独特の雰囲気が味わえる。石垣の内側は、東門跡から紙矢倉跡までは石垣で合坂や雁木が設けられているのに対し、潮入門跡から北矢倉跡までは土塁になっているなど、様相が変わるのもおもしろい。

本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)

二の丸東側の、石垣の上に復元された土塀

萩城は「石垣めぐり」が楽しい

萩城を歩くときは、石垣の表情の違いに注目すると楽しい。石垣は本丸の周囲のほか、二の丸の周囲、指月山山頂の「要害」に残存。場所によって表面の加工の仕方や積み方、勾配が異なるのが大きな特徴だ。

表面を平らに整えて積み上げ、隙間を小石で埋めた「打込接(うちこみはぎ)」がほとんどだが、本丸門内門北矢倉台南面などでは、石材を加工せずそのまま積んだ「野面積(のづらづみ)」に近い石垣が見られ、本丸門跡外門西側南東隅部では加工した石を隙間なく積む「切込接(きりこみはぎ)」に近い石垣もある。大きさの異なる横長の石材を横長に横目地を通さずに積んだ「布目崩し」が多いが、そうでない石垣もある。毛利氏の城や古い時代の城に多い竪石も見られる。

また、天守台は美しい勾配を描くが、枡形付近ではほぼ垂直で高さのない石垣が目立つ。毛利氏が持つ技術の多様性や、度重なる修繕によるものなのだろう。本丸の長大な雁木、二の丸の屏風折れや合坂など、防御の装備が場所に応じて工夫されているのも特徴といえる。

本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)

ほぼ垂直な、二の丸南門枡形の石垣。石を縦に置いた竪石も

隅角部の「算木積(さんぎづみ)」を見ると、慶長期に積まれたわりには古めかしさも感じる。石垣の基礎部分はしっかりとし、背面には栗石を詰めて補強するなど技術を用いているようだが、荒々しい見た目で風情がある。これも、萩城の魅力といえるだろう。

本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)

西高門(西門)の西南側にある矢倉台

使用されている石材は、指月山から切り出されたものがほとんどだ。次回は、指月山山頂に築かれた「要害」と、石を切り出した石切丁場を紹介しよう。

(次回は6月29日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■萩城
https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100049(一般社団法人萩市観光協会)

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PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

毛利家260年間の居城 萩城(1)

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山頂の要害に、度肝を抜かれる石切丁場 萩城(3)

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