城旅へようこそ

幕末ファン必見! 高杉晋作の生誕地も 古地図で歩ける城下町 萩城(4)

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は、山口県萩市の萩城の4回目。城を出て城下町を歩いてみても、あちこちに防戦の工夫が。高杉晋作生誕地などもあり、幕末ファンにはたまらない町でもあるのです。
(トップ写真は萩の城下町)

【動画】萩の城下町を歩く

<毛利家260年間の居城 萩城(1)>はこちら
<本丸の雁木、海に面した二の丸の石垣が見どころ 萩城(2)>はこちら
<山頂の要害に、度肝を抜かれる石切丁場 萩城(3)>から続く

古地図を片手に歩ける城下町

萩は、城下町も魅力だ。1852(嘉永5)年に描かれた「萩城下町絵図」を現在の地図と重ね合わせてみると、町割りがほぼ一致する。もちろん古い建物はほとんど残っていないが、町の骨格はそのままだ。碁盤の目のように区画された道沿いに、武家屋敷や町家が建ち並ぶようすが浮かぶ。萩の城下町は、古地図を片手に歩ける城下町なのだ。

<毛利家260年間の居城 萩城(1)>で触れたように、萩城は指月山(しづきやま)を背後に本丸、二の丸、三の丸が置かれている。三の丸の東側と南側東半を覆う外堀が城下町との境目で、外堀の東側に城下町が展開していた。外堀は1622(元和8)年に完成したとされ、長さは約740メートル、幅は約36メートル。17世紀の終わりごろから町家が増え、外堀の幅も狭まっていったとみられている。

幕末ファン必見! 高杉晋作の生誕地も 古地図で歩ける城下町 萩城(4)

南の総門付近の外堀の名残り

三の丸へ通じる三つの門 厳重な警備

城下から三の丸へは、北の総門、中の総門、南の総門(平安古の総門)の三つの門が出入口となっていた。その様相がもっともわかりやすいのが、2004(平成16)年に復元された北の総門だ。門前の小川のような流れが外堀で、城下からは橋を渡り、門を抜けて三の丸へと入った。昼間は門番が常駐し、夜は閉扉された、厳重な警備の門だった。

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復元された北の総門。外堀を隔てて城内側にあった

元文年間(1736〜41)の絵図を見ると、門前には枡形が設けられ、南北に船着場が描かれている。枡形から船着場に通じる通路は南北ともに喰(くい)違いになっている凝った設計だ。枡形と土橋には土塀がめぐる、立派な構えだったようだ。萩博物館の東側あたりが中の総門で、枡形の跡が残る。

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北の総門。門前の橋には土塀がめぐっていた

外堀にかかる橋の雰囲気が残るのは、南の総門前にかかっていた平安橋だ。「萩城下町絵図」には木橋として描かれているが、新堀川にかかる橋がいずれも明和年間(1764〜72)に石橋であることから、平安橋もこの頃に石橋にかけ替えられたとみられている。

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平安橋。安山岩でできた石橋だ

御成道に沿う菊屋家、久保田家など豪商の屋敷

城下町の中でも風情や家並みの配置がよく残るのが、中の総門東側の一帯だ。中の総門の門前から東へ延びる呉服町筋は「御成道」と呼ばれ、この通りに面して萩藩御用達の豪商であった菊屋家、幕末の商家・久保田家などの家々が並んでいた。菊屋家住宅は江戸時代初期に建てられた大型町家の貴重な現存例。毛利家の本陣・御用宅であり、藩主や藩の賓客をもてなした書院座敷や庭園も見られる。

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御成道だったところが、カラー塗装で示されている


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右が菊屋家住宅。5棟が国の重要文化財に指定されている

御成道に直交する形で、菊屋横町、伊勢屋横町、江戸屋横町と呼ばれる3本の小路が南北に走り、これらの道に沿って武家屋敷が並んでいた。海鼠(なまこ)壁の土蔵や土塀、旧家の門などが残り、城下町風情が味わえるスポットだ。菊屋横町は日本の道百選にも選ばれている。

幕末ファン必見! 高杉晋作の生誕地も 古地図で歩ける城下町 萩城(4)

海鼠壁の土蔵などが続く、菊屋横町

幕末の志士、高杉晋作の生誕地や木戸孝允旧宅、蘭学医の青木周弼(しゅうすけ)の旧宅があるのもこのエリアだ。萩といえば幕末ファンにとっては憧れの地といえよう。

幕末ファン必見! 高杉晋作の生誕地も 古地図で歩ける城下町 萩城(4)

高杉晋作生誕地。幕末ファンも多く訪れる

迷路のような道筋「鍵曲」

城下町で忘れずに見ておきたいのが、「鍵曲(かいまがり)」と呼ばれるクランクする道筋だ。左右に高い土塀を築き、道を直角に曲げることで、見通しが悪く閉鎖的にしている。城下に侵入した敵の方向感覚を狂わせ、追い詰めるための工夫だそうで、「追廻(まわ)し筋」とも呼ばれる。もっともわかりやすいのは、口羽家住宅そばの鍵曲。道路も未舗装のままになっていて、江戸時代の風情が感じられる。

幕末ファン必見! 高杉晋作の生誕地も 古地図で歩ける城下町 萩城(4)

口羽家住宅そばの鍵曲。迷路のような道筋だ

(この項おわり。次回は7月13日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■萩城
https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100049(一般社団法人萩市観光協会)

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PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

山頂の要害に、度肝を抜かれる石切丁場 萩城(3)

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