あの街の素顔

パールハーバーの戦艦ミズーリ記念館 戦争について考えられる場所

パールハーバー(真珠湾)はハワイ・オアフ島屈指の観光スポット。その穏やかな入江に、アメリカ海軍最後の戦艦となった戦艦ミズーリが係留されています。退役した現在は戦争の歴史を伝える記念館として一般公開されています。この船は、第二次世界大戦終結という歴史の大きな舞台となりました。1945年9月2日、東京湾に停泊した戦艦ミズーリの艦上で降伏文書調印式が行われ、世界史上最も多くの犠牲者を出した戦争が終結したのです。この記念館を訪れると、日本人の知らない第二次世界大戦の様子を知ることができます。
(文・写真:松田朝子、2019年12月に取材しました)

戦争の「始まり」と「終わり」が並ぶ真珠湾

パールハーバーは、オアフ島の玄関口、ダニエル・K・イノウエ国際空港から車で15分、ワイキキの街中からは車で30分ほどのところにあります。ここは、日本からの飛行機で朝早くホノルルに着いて、ホテルのチェックイン時間まで間がある時の立ち寄り場所としても便利なロケーション。ビジターセンターのチケット窓口は午前7時から開いています。ビジターセンターからはシャトルバスで、戦艦ミズーリ記念館のあるフォード島に向かいます。ここから先は手のひらサイズのもの以外は持ち込めないので、荷物は預り所を利用します。軍の施設を通るため、シャトルバスでの移動中は撮影禁止です。

シャトルバスがパールハーバーにかかる橋を渡ると、アリゾナ記念館の白い建物が見えてきます。この下には1941年12月8日の真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナがそのまま眠っています。

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戦艦アリゾナは、記念館の白い建物の下に十字を描くようにして眠っている

真珠湾攻撃の時、戦艦ミズーリはまだ完成しておらず、ミズーリのある場所にあった戦艦オクラホマも攻撃を受けて沈没しました。フォード島にはオクラホマの慰霊碑もあります。
戦艦ミズーリは、アリゾナ記念館から約450メートルのところに係留されており、パールハーバーでは開戦と終戦が隣り合わせになっているのです。

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アリゾナ記念館(上)とミズーリ。白い浮島みたいなものは、真珠湾攻撃当時、停泊していた他の戦艦の位置(戦艦ミズーリ記念館提供)

巨大戦艦の威容に圧倒

いよいよミズーリの艦上へ。ミズーリという名前は、ミズーリ州出身のトルーマン大統領(当時は上院議員)の娘マーガレット・トルーマンが命名したもの。全長270.4メートル、最大幅33メートル、高さ66メートルという戦艦は、間近で見ると巨大な工場のよう。1944年に進水式をしたミズーリは、アメリカ海軍で63番目に造られた最後の戦艦で、以後は空母の時代になりました。主砲は前向きに2基、後ろ向きに1基あり、それぞれ16インチ(40.6センチ)砲が3門ずつあります。

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長さ20メートルの砲身は重さ108トン。スペースシャトル1機分とほぼ同じだそうです(戦艦ミズーリ記念館提供)

砲塔が90度動く速さは23秒、砲身が水平から斜め45度になるまで4秒。最大射程距離は37キロとのこと。

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アンカーチェーンは全部伸ばすと338メートルある

戦艦ミズーリは第二次世界大戦に参戦ののち、1950年代の朝鮮戦争を経て、1955年にいったん退役しますが、改装して巡航ミサイル・トマホークを積んで1986年から再度就役。1991年の湾岸戦争に参戦後、1992年に退役し、1999年からこのパールハーバーで「戦艦ミズーリ記念館」として一般公開されるようになりました。

艦内を見て回ると30分くらいかかり、目印のとおりに順路を進めば問題ありませんが、日本語のガイドツアーもあって、主な見どころをエピソードを聞きながら巡る35分間のスタンダードツアーがあります。さらに、一般公開されていない戦艦心臓部まで見学できる90分間の「探検家ツアー」(2020年8月現在休止中)もあります。

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世界の歴史が大きく動いた場所では、国籍を問わず多くの人がガイドさんの話を聞いています

艦体に刻まれたさまざまな歴史

次は降伏文書調印式会場へ。右舷01デッキは1945年(昭和20年)9月2日、降伏文書調印式が行われた場所。ここに掲げてある星条旗は当時使われたものですが、星が31しかありません。これは、1853年にペリー来航の際に使われた星条旗と同じもの。また、東京湾内でいかりを下ろした場所は、ペリーが1854年に2度目の来航をした時にいかりを下ろした場所と同じ。この演出は日本に対する「2度目の開港」要求とも言われています。

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降伏文書調印式会場を見守る、かつての星条旗

式には マッカーサー元帥を始め連合国軍代表と、日本から政府全権重光葵(まもる)外務大臣、大本営全権梅津美治郎参謀総長ら11名が出席。この調印式をもって第二次世界大戦が正式に終結したのです。

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当時の日本の代表団の様子も伝える

そして右舷艦尾付近の「神風デッキ」へ。ここは1945(昭和20)年4月11日、沖縄海域での戦闘で神風特攻機が衝突した場所です。爆弾は投下済みで爆発はなかったものの、火災が発生。消火作業の後にデッキの上で発見されたのは、特攻隊員の上半身のみの遺体だったそうです。

敵兵ではあるものの、使命を果たしたことに敬意を表し、ウイリアム・キャラハン艦長はこの隊員の水葬を命じました。水葬は通常、遺体を星条旗に包んで海に送るのですが、隊員が日本人ということで、乗員は日本の旭日旗をあり合わせの布を使い徹夜で作ったといいます。翌朝、多くの乗員が見守る中、水葬が行われました。
デッキには水葬の時に乗組員が立っていた場所が記されています。

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水葬の様子を伝えるパネル


パールハーバーの戦艦ミズーリ記念館 戦争について考えられる場所

特攻機衝突の衝撃で凹んでいる部分は、あえて修理せず残してある

戦艦の中は、まるで一つの町

ここからは地下展示室へ。乗組員たちがミズーリの中でどのように生活していたかを知ることができます。ひとたび海上に出ると簡単に引き返せないので、艦内には一つの町のように郵便局や図書館、工場、そして一般公開されていませんが拘置所もあるのです。

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火薬以外は何でも造ったという工場


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食堂も再現されており、ベーカリーやアイスクリームショップも

トルーマン大統領は1947年、ブラジル・リオデジャネイロでの会議の後にミズーリに乗船しました。その時、乗組員たちと共に並んで食事をとったことから、食堂の配膳のラインはトルーマンラインと呼ばれるように。

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当時のメニューも記されています

パールハーバーの戦艦ミズーリ記念館 戦争について考えられる場所

上級士官の食堂。ここのテーブルは誰かが負傷した時、簡単な手術もできる台になります

士官の食堂は、実際には手術に使われたことはありませんでした。

そして一般乗組員の食堂があったところに、「kamikaze展示室」も設けられています。
ミズーリに特攻機が衝突した事件から70年後の2015年4月11日から、戦艦ミズーリ保存協会は鹿児島の知覧特攻平和会館と提携して、戦艦ミズーリ上で特別展示を開催しています。

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2020年4月にリニューアルオープンした「Kamikaze展示室」(戦艦ミズーリ記念館提供)

ここでは特攻隊員が母親や子ども、恋人へ書き残した遺書や手紙、遺物、写真などを見学することができます。遺書や手紙は英語や中国語にも翻訳されており、アメリカ人が考える神風のイメージとは違う、特攻隊員の素顔が垣間見えます。

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埠頭(ふとう)にて

2020年は、終戦から75年の節目。第二次世界大戦を体験した人も高齢となり、戦争の話をじかに聞くことが難しくなりました。いくたびもの戦火をくぐってきた戦艦ミズーリは、圧倒的な存在感とともに、戦争の悲惨さ、平和の尊さを、訪れる人に考えさせてくれる場所です。ハワイを訪れたならば、足を運んでみてはいかがでしょうか。

【取材協力】

戦艦ミズーリ記念館
https://ussmissouri.org/jp/

allhawaii(ハワイ州観光局)
https://www.allhawaii.jp

PROFILE

  • 「あの街の素顔」ライター陣

    こだまゆき、江藤詩文、太田瑞穂、小川フミオ、塩谷陽子、鈴木博美、干川美奈子、山田静、カスプシュイック綾香、カルーシオン真梨亜、シュピッツナーゲル典子、コヤナギユウ、池田陽子、熊山准、藤原かすみ、矢口あやは、五月女菜穂、遠藤成、宮本さやか、小野アムスデン道子、石原有起、江澤香織、高松平藏、松田朝子、宮﨑健二、井川洋一、草深早希

  • 松田朝子

    東京・銀座の料亭に生まれ、戦前から続いた料亭を2009年にたたみ、現在は旅行作家/ライターとして旅行メディア等で活動中。日本旅行作家協会会員。旅をして、変なものを見つけると書かずにはいられなくなる癖あり。主な著書に「空飛ぶベビーカー」(東京経済刊)、「子供も大人も ラスベガスの達人」(山と渓谷社刊)、「旅先だとどうして彼は不機嫌になるの」(自由国民社刊)。

ロックダウン解除、パリからマントンへ コートダジュールは海より山

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どこもかしこもイカづくし イカした佐賀県唐津市呼子町

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