永瀬正敏フォトグラフィック・ワークス 記憶

(75) 夕暮れの空に亡き母を思う 永瀬正敏が撮った台湾

国際的俳優で、写真家としても活躍する永瀬正敏さんが、世界各地でカメラに収めた写真の数々を、エピソードとともに紹介する連載です。つづる思いに光る感性は、二つの顔を持ったアーティストならでは。今回は、台湾で撮った夕暮れの空。急逝した母への思いが重なるそうです。

(75) 夕暮れの空に亡き母を思う 永瀬正敏が撮った台湾

©Masatoshi Nagase

台湾の空を覆うウロコ雲、2羽の鳥がその空を横切っていく。
夕暮れの時の、愛情を感じる刹那(せつな)だ。

暮れゆく陽(ひ)の光が街全体を優しく包み、一日の終わりを告げる。
そして幼き日の思い出がよみがえり、自然とほおが緩む。

遊び疲れたまま家に帰り、優しい匂いの立ち込める台所へ直行する。
料理中の母の背中がいとおしく、よく腰元に飛びついた。
その時の母のぬくもりや笑顔は、過ぎ去った日々を感じさせないぐらい鮮明に覚えている。

2年前突然、その母を亡くした。
仕事で訪れた奈良の劇場で映画を鑑賞していた時、母が倒れたと外に連れ出された。
劇場外のベンチに一人座り、いつもはすんなりかける親父の電話番号を必死に探した。
いつもと違う親父の声に、僕は動揺を隠せなかった。
事情を聴き電話を切った後も真っ暗なその場所で、
時間の進行を忘れ、しばらく何も考えられず座っていた。
すると親父から着信が入った。

「ダメだった」

たったそれだけの言葉を、僕はその時全く理解できなかった。

トントントントンとまな板の上で食材を切る音、鍋から立ち上がる湯気、
時折鼻歌を口ずさみながら楽しそうに夕飯の支度をする母。

「もうすぐできるわよ」

それは夕方の合図。もうすぐ陽が暮れていく。

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PROFILE

永瀬正敏

1966年宮崎県生まれ。1983年、映画「ションベン・ライダー」(相米慎二監督)でデビュー。ジム・ジャームッシュ監督「ミステリー・トレイン」(89年)、山田洋次監督「息子」(91年)など国内外の約100本の作品に出演し、数々の賞を受賞。カンヌ映画祭では、河瀬直美監督「あん」(2015年)、ジム・ジャームッシュ監督「パターソン」(16年)、河瀬直美監督「光」(17年)と、出演作が3年連続で出品された。近年の出演作に常盤司郎監督「最初の晩餐」、オダギリジョー監督「ある船頭の話」、周防正行監督「カツベン!」、甲斐さやか監督「赤い雪」など。写真家としても多くの個展を開き、20年以上のキャリアを持つ。2018年、芸術選奨・文部科学大臣賞を受賞。

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