城旅へようこそ

若狭と近江を結ぶ、若狭街道の重要地点 熊川宿と熊川城

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は福井県若狭町の熊川宿と熊川城です。織田信長や明智光秀が越前侵攻時に立ち寄り、若狭街道の宿場町の風情を残す場所。「鯖街道」の一大集積地でもありました。
(トップ写真は江戸時代の風情が残る熊川宿)

【動画】熊川宿と熊川城

宿場町の風情が残る重要伝統的建造物群保存地区

1570(元亀元)年、織田信長が越前の朝倉氏を攻める際及び撤退の際に入ったのが、若狭と近江の国境付近にある福井県若狭町の熊川だ。「信長公記」によれば、信長はここで若狭入りの第一夜を過ごしている。明智光秀も、その先遣隊として入ったらしい。その立地の利便性から、江戸時代には若狭街道が通る「熊川宿」として繁栄し、現在も宿場町の風情がよく残る「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。

現在見られる熊川宿は、信長や光秀が立ち寄った戦国時代の姿ではない。1587(天正15)年に豊臣秀吉配下の浅野長政が若狭の国主となると、1589(天正17)年に熊川に諸役免除を布告し、若狭街道の宿場として整備した。1600(慶長5)年の関ケ原の合戦後に若狭国主となった京極高次は、熊川陣屋(後の熊川奉行所)を設置。1634(寛永11)年に酒井忠勝が若狭小浜藩主となると、熊川番所が置かれた。

若狭と近江を結ぶ、若狭街道の重要地点 熊川宿と熊川城

熊川宿に置かれた熊川番所

熊川宿は、小浜湾に注ぐ北川に並行するように、おおむね東西約1キロに渡り広がっている。北側の北川と南側の山々に挟まれた一帯だ。近江に通じる東側から上ノ町、中ノ町、下ノ町の3区画に区分された。一帯には北川上流の天増川や河内川から取水した前川と呼ばれる用水路が流れ、せせらぎが心地よい。

若狭と近江を結ぶ、若狭街道の重要地点 熊川宿と熊川城

熊川宿を流れる前川

江戸時代の風情伝える中ノ町

熊川宿の代表的な景観が、中ノ町だ。街道に沿って、町家が建ち並んでいた。虫籠(むしこ)窓と袖壁が見られる漆喰(しっくい)壁の荻野家住宅は、熊川宿最古の問屋。そのほか、海鼠(なまこ)壁の土蔵、足軽長屋に通じる長屋道と呼ばれる細い路地、藩米を松木神社境内にあった小浜藩の蔵屋敷に運ぶために使われた御蔵道と呼ばれる道など、江戸時代の宿場のようすと活気が伝わる。

若狭と近江を結ぶ、若狭街道の重要地点 熊川宿と熊川城

長屋道と呼ばれる細い路地


若狭と近江を結ぶ、若狭街道の重要地点 熊川宿と熊川城

中ノ町にある、荻野家住宅

下ノ町と中ノ町の境にある、道を折り曲げた「まがり」からは、軍事的な工夫も感じられる。どうやらこの場所は高札場にもなったようだ。一般的に宿場町の出入口に設置される高札場が町中にあるのは、町が徐々に西側に拡大されたからと考えられるそうだ。この場所から西側は、下新町とも呼ばれるという。

「鯖街道」のメインルート 物資の集積地

若狭街道は、若狭と京都を結ぶ街道群「鯖(さば)街道」のメインルートでもあった。鯖街道とは、主に魚介類を京都へ運搬するための物流ルート。京極高次が小浜市場をつくって流通の一大拠点とし、中世から一大港湾都市だった小浜を起点に、京へ通じる古来の街道も整備したのだ。

小浜で水揚げされた大量の魚介類が運ばれ、中でも鯖が多かったことが、鯖街道の通称の由来という。小浜市場を出た物資は熊川宿の問屋に集められ、琵琶湖西側の朽木、大原を経て京都へと運ばれた。若狭名物の「へしこ」も鯖街道の歴史が育んだ食文化で、「一塩(ひとしお)」された若狭の海産物は「若狭もの」「若狭一汐(ひとしお)」などと珍重された。海産物だけでなく物資や人、文化が往来する道でもあり、京都から多彩な文化がもたらされ、街道沿いに民俗行事が息づいている。

若狭と近江を結ぶ、若狭街道の重要地点 熊川宿と熊川城

下ノ町と中ノ町の境にある「まがり」

宿場町と戦国時代の熊川城が隣接

熊川宿のおもしろいところは、重要伝統的建造物群保存地区の指定区域と、戦国時代の熊川城が隣接しているところだ。

熊川城は、熊川陣屋跡の背後、若狭街道を見下ろすようにのびた丘陵上に築かれている。1351(観応2)年に足利尊氏から若狭瓜生の下司職に任命された沼田氏の城で、熊川城の築城年代は定かではないが、永禄年間(1558〜1570)頃に沼田清延が改修したとみられる。沼田氏は足利義昭が没落すると細川藤孝に仕えたが、1569(永禄12)年に武田氏の被官である松宮玄蕃に攻められ落城し、沼田一族は近江へ逃れたという。その後は松宮氏が使用していたようだが、1584(天正12)年に丹羽長秀が若狭に入ると廃城になったと考えられる。

若狭と近江を結ぶ、若狭街道の重要地点 熊川宿と熊川城

熊川城の登城口となる白石神社

熊川城へは、熊川地区の氏神である白石神社の境内から登っていく。東側は河内川、西側は急斜面に守られた尾根だ。最高所に主郭を置き、尾根の先端に向かって7〜8段の曲輪(くるわ)が直線的に配置されている。登城道入口から主郭まで10〜15分と小規模な城だが、尾根にたくさんの段曲輪を設けて敷地を確保しているのがわかる。

若狭と近江を結ぶ、若狭街道の重要地点 熊川宿と熊川城

熊川城の曲輪群

若狭街道に面する山腹には、張出郭と呼ばれる出丸のような空間もある。西側には、侵略に備えて出城が築かれていたらしい。主郭は3段構造で、南東方向にのびる尾根上にも曲輪が4段ほど続き、その先端には両端が竪堀となる堀切が設けられている。主郭背後には3本の堀切がよく残り、尾根を分断して城域を独立させている。

若狭と近江を結ぶ、若狭街道の重要地点 熊川宿と熊川城

熊川城の張出郭


若狭と近江を結ぶ、若狭街道の重要地点 熊川宿と熊川城

熊川城の主郭の堀切

熊川城は近年、登城道が整備されて歩きやすくなった。山城のためそれなりの装備と準備が必要だが、熊川宿と合わせて訪れれば、戦国時代から江戸時代への時代の移り変わりをたどることができる。近江と若狭の国境にあるゆえに変貌(へんぼう)を遂げた姿が共存している。

(この項おわり。次回は10月12日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■熊川宿
http://kumagawa-juku.com/(若狭熊川宿まちづくり特別委員会)

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PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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