駅から歩いて、鳴き砂の浜と世界遺産の港へ 島根県・馬路駅
文: 村松拓

島根県の出雲市駅からおよそ1時間。日本海沿いの静かな集落の中に、馬路(まじ)という無人駅がある。実はここ、日本でも珍しい二つのスポットに歩いて行ける最寄り駅。ホームでの海の観賞もほどほどに、ちょっと足を伸ばして、駅にはない魅力を探しに出かけてみた。
鳴き砂の浜が見える駅
2012年10月、からっとした秋晴れの日。馬路駅のホームにひとり降り立つと、青空を映したすがすがしい日本海が迎えてくれた。家々のすき間からは、ちらりと白い砂浜が顔を出す。
この浜が、一つ目のスポット。その名も「琴ケ浜」だ。
全国的にも珍しい、歩くと砂がこすれて音の鳴る「鳴き砂」(地元では「鳴り砂」と呼ばれる)の浜で、日本の「三大鳴き砂」の一つとも言われる。2017年10月には国の天然記念物にも指定された。
砂浜には何度も訪れてきたが、鳴き砂の浜は初めてだ。しかも駅の目と鼻の先にある。となれば、行かない手はない。
さっそく駅前の急坂を降り、集落のメインロードでもある細い県道を歩く。趣ある木造の家屋や商店が端々に生活感を漂わせながら、軒を連ねている。
懐かしい家々を横目に、海へと続く細い路地を抜ければ、琴ケ浜に着く。駅を出てわずか5分。いきなり視界いっぱいに広がった砂のまぶしさに、思わず目を細めた。
琴ケ浜の全長はおよそ1.4km。集落を中心に、二つの岬の間で弧を描くように広がる。これだけきれいな浜なのに、左右を見渡す限り、誰も遊びに来ている様子がない。せっかくなので、ひとりで砂を鳴らしてみる。波打ち際まで行き、かかとから押し込むように力を加えると、小気味よく「キュッ」という高い音が聞こえた。コツをつかめば、歩くたびに砂が鳴る。これは……ちょっと楽しい。
しかし、砂が鳴るためには、石英の含有量、不純物の少なさ、砂粒の大きさなど、いくつもの条件がある。その繊細さは「茶碗一杯の砂の中に耳かき一杯のチョークの粉を入れただけで鳴らなくなる」と例えられるほど。琴ケ浜の鳴り砂も、500万年もの歳月が奇跡的に生み出したとされている。
砂を間近で見てみると、その一粒一粒がきめ細かで、透き通るように美しい。
地球のもたらした偶然に感謝しながら、渚(なぎさ)を思うままに歩く。
どこまでも続く、なめらかな砂浜。足元で奏でる、潮騒と鳴き砂の音。いつになく五感が喜んでいる気がした。
誰にも出会わなかった、世界遺産の港
二つ目のスポットは、鞆ケ浦(ともがうら)という小さな港。この港はなんと、世界遺産に登録されている。
海ばかり見ているとあまり意識しないが、馬路駅から見て山のほう、直線距離で南東におよそ5kmの場所に、石見(いわみ)銀山がある。16世紀の戦国時代から栄え、日本産の銀が世界のおよそ3分の1を占めると言われた頃、そのかなりの部分を産出したといわれる、日本最大の銀山だった。
鞆ケ浦は、石見銀山で採掘した銀を積み出すために使われた最初の港。2007年に「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の一つとして、世界遺産となった。
そんな鞆ケ浦を見るべく、馬路駅を再訪したのは、2018年11月。
鳴き砂のまぶしい琴ケ浜を右手に、海沿いをひたすら歩く。前回は鳴き砂に夢中であまり気に留めなかったが、改めて見ると海水の透明度が高い。まるで水槽を上からのぞき込んでいるかのように、海の底までくっきりと見える。美しすぎる道のりだ。
道はやがて1本のトンネルに行き着く。暗がりをおそるおそる抜けると、そこはもう鞆ケ浦。馬路駅からは、歩いて15分ほどの距離になる。
リアス式海岸の深い入り江にあり、ひっそりした、まさに天然の良港。世界遺産とはいえ、観光客はおろか、人の姿が見えない。2匹の子猫だけがこちらのことなど意に介さず、道端でたわむれているのが印象的だった。
港の奥には数えるほどの民家があり、その間を縫うように1本の細い坂道が伸びている。
およそ500年前、石見の銀はこの細い坂道を通り、目の前の小さな港に運ばれ、やがては世界へと渡っていったのか――。ひとり、道の真ん中でじっと景色を見つめ、歴史に思いをはせる。誰もいないからこその、ちょっとしたぜいたくだ。
ホームから出なくても、美しい日本海を望める馬路駅。しかし、駅を出てちょっと歩けば、地球や先人がもたらした貴重な遺産が待っていた。
駅の外に目を向けてみると、旅の楽しみはぐっと広がる。
今まで駅ばかり巡ってきた私に、馬路駅はそんなことをようやく気づかせてくれた。
JR出雲市駅から山陰線普通列車で約1時間。
■JR西日本(JRおでかけネット)
https://www.jr-odekake.net/eki/timetable?id=0640752