ローマ帝国の巨大な円形闘技場が クロアチアの旅 (2) プーラ
文: 相原恭子(文・写真)

ツアーの行き先としてはメジャーでないけれど足を運べばとりこになる街を、ヨーロッパを知り尽くした作家・写真家の相原恭子さんが訪ねる「魅せられて 必見のヨーロッパ」。2018年秋に訪れたクロアチアの旅、今回はイストラ半島の先端に近いプーラです。巨大な円形闘技場など、ローマ帝国の名残があちこちにある街です。
(トップ写真は夜の円形闘技場)
幻想的な三日月の出迎え
前回紹介したロヴィニを車で出発して、イストラ半島先端の西側に位置するプーラへ約45分のドライブ。
プーラを代表する見所である円形闘技場近くの駐車場で車を降りると、ちょうど三日月が、出迎えてくれたように美しく夜空に昇っています。
10月の旅で午後8時まで円形闘技場がオープンしていたので、時間的に入れます。さっそく行ってみると……。

遺跡から眺める三日月が、ローマ帝国時代へ私を誘うかのようです
プーラは紀元前177年にローマ人に征服され、この円形闘技場はローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(在位紀元前27年~紀元14年)の時代に建設が始まりました。
イストラ半島はアドリア海をはさんで対岸がイタリアという立地で、歴史的にイタリアの影響が強い地域です。

円形闘技場へ入ってみると、大きさに圧倒されます
この円形闘技場はローマ帝国有数の規模を誇るモニュメントであり、当時は2万3千人の観客を収容したとされます。
秋の夜風に吹かれながら人気(ひとけ)のない巨大な円形闘技場の中を歩くと、ローマ帝国時代の人々の喧騒(けんそう)が響いてくるような錯覚に陥り、悠久の歴史に包まれて行くような気持ちになりました。

円形闘技場の外観
町のシンボルとも言える円形闘技場は高さ約32m、最大幅は約132m、最小幅は約105mあります。
外から見ても、確かに圧倒される大きさです。

(左)町を歩くとイタリアの路地に迷い込んだような雰囲気があります
(右)イタリアを思わせる建物も
ローマ帝国の建築技術を実感
一夜明けて、昼間の円形闘技場を訪ねました。

昼間の円形闘技場

ゆるぎなく積み上げられた巨大な石
今に残る遺跡から、ローマ帝国の建築技術の確かさを実感します。

夜景とは違って爽やかな印象
現在、地元ではアリーナとも呼ばれ、コンサートなど文化イベントが夏の間は毎週のように開催されています。5000人の観客を収容できます。

細部を見ると、石の隙間にかれんな花が
2000年も前のローマ人が手で積んだ石に私も手を当ててみると、時を越えた人の営みが伝わってくるような気がします。遺跡のエネルギーを感じるのです。

円形闘技場の地下にある展示室
私が最初にここを訪ねた7年前の春のことでした。ドイツ語ガイドのシルヴィアさんが私の名刺を見て「あ、英語の『Geisha – A living tradition』 というあなたの本を読みました! 家にありますよ」と驚いて私の顔を見ました。私もびっくりしました。それ以来何年か彼女とメールのやり取りがあったので、プーラは思い出深い場所でもあります。
当時は、地下通路に無造作に古いアンフォラ(陶器のつぼ)などが並べられていましたが、現在は展示室として整えられています。古代イストラ半島のオリーブ栽培、オリーブ油やワインの輸送用に使われたアンフォラなどの展示を見ることができます。
風格ある旧市街の凱旋門や神殿
円形闘技場を出て、旧市街を散策します。

街中に風格を感じさせる門が
セルギウスの凱旋門です。プーラの要人であったセルギウス家により紀元前29~27年に建てられました。この門には町を取り巻く壁が建てつけられていましたが、19世紀に街の整備と拡張により取り壊されてしまいました。

アウグストゥス神殿(左)と市庁舎(右)
アウグストゥス神殿は、皇帝アウグストゥスが亡くなった頃に完成したとされます。街の各所にローマ帝国時代の名残が見られます。
なぜローマ帝国の史跡がクロアチアに多数あるのか、さらには北方の英国にもあるのか、と考える人もいるかもしれませんが、ヨーロッパ内は支配者と国家の興亡が紀元前から続き、国境は民族圏や文化圏によってではなく、支配者により、政治的権力の利害関係などにより変遷してきました。
その点を踏まえてヨーロッパを見ると、20世紀以降のユーゴスラヴィアの変遷や、東西ドイツ再統一について政治的、文化的理解も深まり、旅の楽しさも増すのではないでしょうか。
ここプーラからイストラ半島の内陸部を走り、フムに向かいます。
■クロアチア・ハートフルセンター
https://croatia.heteml.jp/chc/
■Croatian National Tourist Board
https://www.croatia.hr/en-GB