跨線橋から見下ろす八代海と小さな集落 熊本県・上田浦駅
文: 村松拓

海と山に囲まれた、小ぢんまりとした集落。その先に見える、広大な八代海と天草の島々。跨線橋(こせんきょう)に上って初めて見られるこの景色は、車窓では味わえない「海の見える駅」ならではの光景だ。
穏やかな八代海の大パノラマ
熊本県の八代駅から、鹿児島県の川内(せんだい)駅までを結ぶ、全長およそ117kmの肥薩おれんじ鉄道。九州新幹線が開業するまではJR鹿児島本線として、九州の南北移動の大動脈を担っていた路線だ。その起点の八代駅を出て四つ目に、ここ上田浦(かみたのうら)駅がある。
訪れたのは、2016年9月。1両編成のディーゼルカーからホームにひとり降り立つと、残暑の風が体を包んだ。周りを見回せば、海沿いには瓦屋根の家が連なり、山側にもぽつぽつと民家がある。上田浦駅は、小さな集落の中にある無人駅だ。

趣ある瓦屋根の家々が、線路と海の間に連なる
建物に囲まれたロケーションゆえ、ホームからはあまり海が見えない。しかし、上田浦駅のハイライトはホームの「上」にある。期待を胸に向かったのは、線路を越えるための跨線橋。一気に上りきり、振り返ると、八代海の大パノラマが現れた。
波のほとんど立たない、穏やかな海。遠くにはうっすらと天草の島々。よく見れば、船がのんびりと島の前を通り過ぎていく。
広々とした海とは対象的に、陸では緑の山が三方を囲み、集落の家々と線路が窮屈そうにまとまっている。まさに「箱庭」を眺めているかのようだ。山陰本線でかつて出会った、山口県の飯井駅を思い出した。
車窓やホームでは見過ごしてしまう景色も、跨線橋に上ってみると、心動かされる美しい景色に変わる。海の見える駅に降り立つ楽しみは、そんなところにもある。

対岸の天草までは、およそ10キロ。その手前を船がのんびりと通り過ぎていった
駅から歩いて、誰もいない海水浴場へ
跨線橋の上から見渡す限り、上田浦駅の周りには民家が集まるばかりで、観光スポットはなさそうだ。ただ、地図を見てみると、駅のすぐ近くの海岸が「黄金ケ浜海水浴場」と示されていた 。
せっかくなので、跨線橋を降り、海のほうへと向かってみる。

上田浦駅の駅前。駅舎のように見える赤い建物は駐輪場だった
駅前の道を線路沿いに進み、海の見える小さな踏切を渡れば、すぐに海水浴場があるはずだ。
しかし、海岸にあったのは、延々と続く護岸。浜もわずかな砂利浜しか残っておらず、海水浴場のイメージとはほど遠い姿だ。かろうじて、水面から顔を出す小さなやぐらが、かつての監視台か飛び込み台を思わせた。

写真左側、遠くの海面に、小さなやぐらや塔のような建物が二つ見えた
それでも、八代海そのものは透き通っており、湖のように静かな波と相まって、ただ見ているだけでも十分に癒やされる。防波堤に腰掛けて耳をすませば、ちゃぷちゃぷという波の音と、夏の終わりを告げるツクツクボウシの声。車もほとんど通らなければ、人の姿も見えない。誰もいない、静かな場所だからこそ、味わえるぜいたくだ。列車の時間を気にするのが、ただただ惜しい。
ちなみに、上田浦駅がここまで静かな理由は、後から地図を見て知った。三方を険しい山に囲まれたこのエリアは、幹線道路からかなり離れた場所にあるのだ。海沿いの鉄道路線は幹線道路と並行することも多い中、上田浦駅を囲むのは細い道ばかり。もっとも近い国道である国道3号に出るためにも、細い県道を5〜6キロは走らなければならない 。
喧騒(けんそう)から隔絶された、上田浦駅の穏やかな情景。それは鉄道の旅だからこそ、気軽に出会えたものだった。

この日、上田浦駅で唯一出会った「お客さん」。駅にはしばしば現れるようで、SNS上では「駅長」とも呼ばれているようだ
八代駅から肥薩おれんじ鉄道で約22分。
■肥薩おれんじ鉄道
https://www.hs-orange.com/