刺激で涙と鼻水が止まらない! インドのトウガラシ市場
文: 三井昌志
インドには「マーケット・ヤード」と呼ばれる農作物専門の卸売市場がある。穀物や綿花、野菜や果物など、さまざまなマーケット・ヤードが存在するのだが、その中でもっともカラフルで刺激的なのがトウガラシ専門の市場だった。

トウガラシ専門の市場で働く男。集められたトウガラシを床一面にばらまき、品質を一定に保っている(撮影:三井昌志)
この市場で働く男たちは、近隣の農家から集められた大量のトウガラシを床一面に敷き詰め、それを棒を使ってかき混ぜていた。収穫したトウガラシは畑によって大きさにばらつきがあるので、一斉にかき混ぜることで全体の品質を一定に保っているという。
あたり一面に広がる鮮烈な赤と、そこで働く男たちの姿はとてもフォトジェニックだったが、撮影するのは大変だった。男たちがトウガラシを床にばらまいたり、棒でかき混ぜたりするたびに、辛み成分であるカプサイシンが大量に飛散し、その刺激によって涙と鼻水が止まらなくなってしまったのだ。市販の催涙スプレーのほとんどはカプサイシンを主成分にしているそうだが、その理由がよくわかった。こんなものをまともに食らったら、どんな猛者でもたちまち戦意を喪失するだろう。
しかし、市場の男たちは平気そうな顔で働いていた。マスクもゴーグルも着けていないのに、せき込んだり涙を流したりしている様子はまったくないのだ。
「我々はトウガラシに慣れている。だから平気なんだ」
10年以上もこの仕事を続けているというベテランの男が言った。
「最初の数カ月は大変だった。でも、しばらくしたら慣れてしまったよ。このマーケットにもせきやくしゃみをしている人がいるけど、あれは新人だね」
さすがはトウガラシのプロである。人間にはどんな環境にも慣れる適応力が備わっているのだ。
「もともと辛い料理が好きだったんですか?」と僕が尋ねると、男は笑いながら答えた。
「この国に辛くない料理なんてあるかい?」
愚問だった。インドには「辛くない料理」なんてものはほとんどないのである。トウガラシだけでなく、ターメリックやクミン、カルダモンやシナモンといった多種多様なマサラ(香辛料)をふんだんに使った料理ばかりが食卓に並ぶインドにおいて、料理というのは舌(および右手)へのホットな刺激を楽しむものなのだ。

インド北西部ラジャスタン州でトウガラシを収穫している女性(撮影:三井昌志)
ちなみにインド人が一日に消費するトウガラシの量は2.5g。これは世界でもトップレベルで、日本人の約10倍もの量なのだそうだ。インド料理が刺激的なのは、この数字にもはっきりと表れていると言えるだろう。日本料理にしょうゆが欠かせないように、インド料理はトウガラシ抜きには成立しないのだ。
旺盛な需要に応えるために、トウガラシ栽培はインド各地で行われている。現在、インドは乾燥トウガラシの生産量でぶっちぎりの世界ナンバーワン(年間180万トン)であり、2位の中国(32万トン)に6倍もの大差をつけて独走している。

インド南部カルナータカ州で収穫したトウガラシを天日干しする女性(撮影:三井昌志)
「トウガラシは辛いだけじゃないんですよ」
と教えてくれたのは、この市場で長年仲買人をしている男だった。
「良いトウガラシというのは、香りも良いし、色もとても鮮やかです。そして食材の味を引き立ててくれるものなんです」
そのあと、彼に勧められるまま、最高品質だというトウガラシをかじってみたのだが、強烈な辛さで舌がしびれてしまって、香りの良しあしまではわからなかった。僕が正直に感想を述べると、仲買人の男は笑って言った。
「我々は子供の頃から毎日トウガラシを食べ続けていますからね。あなたもインドに10年住んだら、トウガラシの違いがわかるようになるかもしれませんよ」
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インドに魅せられ、バイクで8周してきた写真家の三井昌志さんが、文と写真でつづる連載コラム「美しきインドの日常」。隔週木曜更新です。
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