クリックディープ旅

那須塩原から溶岩の原をたずね柳を探して 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅4

下川裕治さんが、松尾芭蕉の「奥の細道」の行程をたどる旅。前回、日光から那須塩原にたどり着いた下川さんの足に異変が。しかし今回も、足を癒やしつつ芭蕉が見た光景を求め旧街道を歩きます。

本連載「クリックディープ旅」(ほぼ毎週水曜更新)は、30年以上バックパッカースタイルで旅をする旅行作家の下川裕治さんと、相棒の写真家・阿部稔哉さんと中田浩資さん(交代制)による15枚の写真「旅のフォト物語」と動画でつづる旅エッセーです。

(写真:阿部稔哉)

奥の細道を歩く・那須塩原から白河関手前まで

地図

「奥の細道」をたどる旅の4回目。芭蕉は現在の大田原市黒羽から那須高原にある那須湯本温泉の殺生石(せっしょうせき)に向かい、そこから白河関をめざした。僕らもそのルートをたどることになる。那須高原をくだってから白河関までは大きな街はない。JR東北線に沿ったのびやかな田園風景が続く一帯だ。芭蕉が句を詠んだ遊行柳(ゆぎょうやなぎ)からは、旧奥州街道が残る道。そこを歩いてみることにした。東京を出発してから3日目。路線バスと徒歩という旅も、ようやくペースがつかめてきた。足はやや筋肉痛だが。

「奥の細道」は、1689年、松尾芭蕉が約150日をかけ、東京(江戸)から東北、北陸などをまわった紀行文。馬や船も利用しているが、基本的には歩き旅である。発刊は芭蕉の死後の1702年。

短編動画1

「奥の細道」で掲載されている「野を横に馬牽(ひ)きむけよほとゝぎす」。芭蕉は馬に乗り、殺生石に向かった。その途中で詠んだ句。意味はわかりやすい。芭蕉の句にしたら勢いがある句だ。

短編動画2

遊行柳を眺めながら、芭蕉は「田一枚植て立去る柳かな」と詠んだ。難しい句だ。「田一枚に苗を植えた」のは、土地の女性。それを見て「立ち去る」のは芭蕉自身という解釈が一般的。「遊行柳を見ている間に、一枚の田の田植えが終わった。それを見て旅を続けた」という意味だと思う。かなり長い間、柳の眺めに浸っていたわけだ。

今回の旅のデータ

那須高原の那須湯本温泉までは、那須塩原駅と黒磯駅からかなりの本数のバスが運行されている。那須湯本温泉までは、東京から高速バスもある。黒磯から白河関に近い白河までは東北新幹線やJR東北線が走っているが、芭蕉が歩いた道は少し鉄道とはそれている。駅と旧奥州街道エリアを結ぶ路線バスは本数が少ない。旧奥州街道に沿った旧跡を結ぶバスはなく、その都度、駅に戻るようなルートしかとれない。しかたなく途中の一部はタクシーを利用した。

那須塩原から白河関手前まで「旅のフォト物語」

Scene01

道

那須塩原駅から那須湯本温泉へは路線バス。ちょうど紅葉のシーズンで、那須岳などに登る人たちでバスがほぼ満席。途中にはホテルやベーカリー、カフェ、チーズ工房など、絵にかいたような高原リゾートが広がる。僕流の旅にはそぐわないおしゃれなエリアだが、芭蕉の旅のイメージとも無縁です。

Scene02

バス

那須湯本温泉に着いた。殺生石はここから遠くない。「奥の細道」に描かれたのは、噴出する有毒ガスで生き物が死んでしまう世界。しかし僕は漂う硫黄のにおいで、温泉モードが刺激され、気分はほんわか。その差が埋まらずに戸惑いながら、車が多い道の脇を歩いて殺生石をめざした。那須塩原からのバス代は1020円。

Scene03

遊歩道

殺生石は遊歩道がつくられ、ちょっとした公園のようになっていた。硫黄を採った跡もあった。芭蕉が訪ねた頃に比べると、火山性のガスの噴出量はだいぶ少なくなったらしい。振り返るとこの眺め。今日、僕らが進む一帯が見渡せた。「石の香や夏草赤く露あつし」。芭蕉がここで詠んだ句だ。「奥の細道」には載っていないが。

Scene04

殺生石

殺生石は溶岩。「奥の細道」には、「有毒ガスが多く、ハチやチョウの類の死骸が砂が見えないほど重なっている」といった内容が記されている。荒涼とした風景だが、ふと石の周りを見るとバッタの姿。柵の上にはトンボがとまっている。そして観光客の明るい笑い声。「奥の細道」気分は想像力で補ってください。

Scene05

那須湯本温泉

那須湯本温泉といったら鹿の湯。浴槽は多く、48度といういちばん熱い湯につかったことが温泉マニアの自慢になる。江戸時代には大名が湯治に訪れていた。芭蕉や曾良も入浴しているはずだが、「奥の細道」ではなにも触れていない。「奥の細道」という本は、俳句ひと筋。料理の話もなし。時代を超え、一緒に旅に誘われたら、遠慮します。

Scene06

足湯

那須湯本温泉のバス停近くに、無料の足湯。この湯もかなり熱い。前日は2時間近く歩き、血豆ができた足を浸す。じーんとしみます。今日も旧奥州街道を歩くつもりだ。この湯の効果が少しでもあれば……。ここまできて足湯だけというのも寂しい。「奥の細道」に影響され、僕らの旅も少しだけストイック?

Scene07

駅

路線バスで黒磯に出て、そこからJR東北線で黒田原。ここから芭蕉が訪ねた遊行柳近くまで行くバスは1日4本しかない。そのバスを待ち、さらにその先を歩くとなると日が暮れてしまう。タクシーを使うことにした。その前に昼食……と思い、駅前を眺めてもそれらしき店がない。

Scene08

黒田原バーガー

スーパーのような「みんなの店」という店が。その前に「黒田原バーガー270円」の看板。ひょっとして有名なB級グルメ? ニンジンやヒジキなどが入った豆腐のバーガーでした。ついでに120円の野菜天ぷらも。町や商工会が協力し、地域の活性化のために開いた店。店員は地元の女性たち。丁寧につくってくれたハンバーガーでした。

Scene09

遊行柳

芭蕉が、「田一枚~」の句を詠んだ遊行柳が水田のなかにぽつんとあった。その雰囲気は短編動画で。西行も訪ねた名所だが、「ここが?」と疑問符がつく静けさ。しかし縁石に座ってぼんやりしていると、気分が落ち着く。だから名所? 柳の脇には、句を投函(とうかん)するポストのような投句箱。ちょっと迷ったが、句は浮かばず……。

Scene10

句碑

遊行柳にはいくつかの碑がある。そのなかに蕪村の「柳散清水涸石慮々」句碑。地元の絵手紙サークルの女性が拓本をとりにきていた。文化行事に使うとか。西行、芭蕉、蕪村がわざわざここまでやってきたことがちょっと信じられない。なにしろ柳があるだけなのだ。日本は不思議な国だと思う。

Scene11

道

遊行柳から白河関の方向に旧奥州街道を歩きはじめる。道は国道294号に絡むように続いていた。筋肉痛や足先の痛みがよみがえってくる。荷物も肩に重い。歩きながら、芭蕉はどれほどの重さの荷物を背負ったのだろうかと考える。紙子(かみこ)という夜着や雨がっぱの代わりになる紙で荷を軽くしたという。僕も次回は荷の軽量化を考えないと。

Scene12

道

遊行柳から2キロほど歩くと、板屋の一里塚に出た。一里は約4キロ。江戸から44里、約176キロと案内板に書かれていた。一里塚は旅人の目印。一里ごとに土を盛った塚をつくった。こうして見ると、板屋の一里塚は塚というより小山。車道をつくるために削ったため、そう見えるのかも。旧奥州街道が国道に出合う地点まであと1.6キロほど。

Scene13

碑

旧奥州街道を歩いて気づくのは、道に沿って忘れられたような寺社や仏像、欠けたりコケに覆われたりして文字が読みにくい碑が多いこと。そして沿道の杉の木だろうか。芭蕉が歩いた時代のものとは違うのだろうが、これが旧街道の伝統? 想像をたくましくして歩くと、「奥の細道」の疑似体験。足は痛いが。

Scene14

脇沢の地蔵様

旧奥州街道がいまの国道に合流する脇沢の地蔵様まで歩くことにしていた。そこにあった地蔵のまぬけ顔に疲れを忘れた。どこか宮崎アニメの「天空の城ラピュタ」に登場するロボット兵の顔に少し似ている。地蔵の前の縁石に腰かけ、タクシーを待つ。タクシー? その事情はScene15で。

Scene15

車窓

黒田原駅から遊行柳までタクシーに乗ったときに、運転手さんに脇沢の地蔵様あたりまで歩くと伝えると、「呼んでください。すぐ行きますから」と電話番号を渡されていた。脇沢の地蔵様から最寄りのJR豊原駅まで歩くと1時間ほど。白河関までは1時間半。タクシーの誘惑に負けました。白河関までものの10分。楽です。運賃は3260円。

※取材期間:10月16日
※価格等はすべて取材時のものです。
※「奥の細道」に登場する俳句の表記は、山本健吉著『奥の細道』(講談社)を参考にしています。

【次号予告】次回は白河関から仙台までの旅を。

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那須塩原から溶岩の原をたずね柳を探して 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅4
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BOOK

那須塩原から溶岩の原をたずね柳を探して 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅4
世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア大陸横断2万キロ (朝日文庫)
時速35キロの遅すぎる列車に耐え、中国では切符獲得戦争に奮闘。紛争地帯であわや列車爆破テロ、ビザ切れピンチ……そして潜伏。言葉を失う数々のトラブルに遭遇する列車旅。
シベリアからポルトガルまで26夜も寝台列車に揺られた、旅を超えた「冒険」物語。変化する旅事情をコラムに収録。

定価:990円(税込み)

PROFILE

  • 下川裕治

    1954年生まれ。「12万円で世界を歩く」(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。近著に「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日文庫)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)、「世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア大陸横断2万キロ」(朝日文庫)など。最新刊は、「台湾の秘湯迷走旅」(双葉文庫)。

  • 阿部稔哉

    1965年岩手県生まれ。「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーランス。旅、人物、料理、など雑誌、新聞、広告等で幅広く活動中。最近は自らの頭皮で育毛剤を臨床試験中。

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