楽園ビーチ探訪

波の名所、九十九里・太東 彫り師の名作から北斎・欧州を思う

九十九里浜の最南端に位置する太東海水浴場(千葉県いすみ市)は、施設が充実したビーチです。広々とした駐車場が整い、シャワーやトイレも完備。おまけにヤシの並木やイルカのオブジェもあり、どことなくトロピカルな雰囲気。サーフスポットでもありますが、海水浴場とは、緩やかにエリア分けがされています。(トップ写真:オリンピックのサーフィン会場である志田下に隣接する太東海水浴場 ©いすみ市観光協会)

連載「楽園ビーチ探訪」は、リゾートやカルチャー、エコなどを切り口に、国内外の海にフォーカスした読み物や情報を発信するビーチライターの古関千恵子さんが訪れた、世界各地の美しいビーチや、海のある街や島を紹介いたします。

サーフィン・海水浴・散歩……充実の海岸

集まる人も、多彩な顔触れ。海水浴にやってきたファミリーやドライブに訪れたカップル、地元のママ友グループや近所のワンちゃんの散歩をしている人、そしてもちろんサーファー。いわば、誰もがハッピーになれるビーチです。

基本的には波は穏やか。子供も遊べるビーチです

基本的には波は穏やか。子供も遊べるビーチです

永遠のビギナーだと私自身、自覚していますが、千葉へ波乗りに行く日は、ウキウキと心躍ります。東金九十九里有料道路を下り、海岸線と並行した道を車で走りつつ、友達から波のコンディションや混雑具合などの情報を教えてもらいます。そして一宮、東浪見(とらみ)、志田下などのサーフスポットに立ち寄って、波チェック。ビーチから海の状態をしばらく眺めつつ、どうしようか?と、しばし考えます。太東は比較的穏やかなので、他のサーフスポットの波が大きすぎる時や、海の家を利用したい時などに選ぶことがあります。

トイレやシャワーが整っているので、海水浴やサーフィンに格好

トイレやシャワーが整っているので、海水浴やサーフィンに格好

馬で海に入り、波を徹底観察した宮彫り師「波の伊八」

時はさかのぼり江戸時代後期。波チェックではないけれど、太東の海を眺めている宮彫り師がいました。

別名「波の伊八」で知られる、武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし。以下、伊八)。「波を彫らせたら日本一」との呼び声が高く、彫り物大工の間では「関東へ行ったら波を彫るな(比べられたら、恥ずかしい)」とまで言わしめた名工です。

伊八の作品の立体感や奥行き、躍動感は、他のものとは明らかに違います。崩れんばかりの波の一瞬を、みごとに形にとどめているのです。これは鋭い観察眼によるもの。

もし波の形を捉えようとするなら、ふつうは陸地から波の真正面に立つでしょう。そこを伊八は馬に乗って海の中に入り、横から波を見つめつづけたのです。それは、波をつかまえたサーファーが滑り降りてくるフェ-ス部分(えぐれた部分)。海に入った人しか、見られない横波なのです。そして覗(のぞ)き画法、動的遠近法、視点移動など近代の手法を彫刻に取り入れ、リアルな波を彫り上げたのです。

天才肌の伊八は、寺から依頼を受けても、すぐには作業に取り掛からず、酒を携えて寺の馬に乗り、毎日海岸へ通ったそうです。そんな様子を見た住職や弟子たちは、心配でやきもき。そんな日々がしばらく続き、ある日、伊八は天からの啓示を受けたように作業場に向かい、あっという間に仕上げるのだとか。

北斎「神奈川沖浪裏」に影響を与えた?

とはいえ、千葉に通うようになるまでは、私自身、波の伊八の存在は、知りませんでした。しかも、彼の作品が、あの葛飾北斎の富嶽三十六景の中でも傑作中の傑作「神奈川沖浪裏」の元ネタかもしれないと聞き、びっくりです。

東頭山 行元寺の山門。波の伊八 の作品のみならず、鮮やかな色調を得意とする高松又八の彫刻も

「東頭山 行元寺」の山門。波の伊八の作品のみならず、鮮やかな色調を得意とする高松又八の彫刻も

その作品「波に宝珠」は、「東頭山 行元寺(とうずさん・ぎょうがんじ)」にあります。それも本堂ではなく、ご住職のプライベートエリアのような、旧書院の欄間。居住域の欄間は表と裏で図柄が異なるので、裏に回って見上げると、たしかに見たことのある例の波の構図です。

こちらが「波に宝珠」。ひっそりと、あります。時間によってガイドツアーも開催

こちらが「波に宝珠」。ひっそりと、あります。時間によってガイドツアーも開催

けれど、「波に宝珠」が「神奈川沖浪裏」に影響を与えたという、確たる証拠はありません。

二つの作品の制作年は「波に宝珠」が1809年、一方の北斎の「神奈川沖浪裏」は1831~33年。北斎は房総を2度訪問したという史実はあるけれど、この作品を見たという確証はありません。それでも、波の裏側を教えてくれたことへの敬意からタイトルを「浪裏」にしたという話や、伊八の七回忌までは筋を通して制作しなかったという話を聞くと、想像も膨らみます。

伊八―等琳―北斎……想像はさらにヨーロッパの芸術へ

もうひとつ、伊八の代表作があるのは「天台宗 飯縄寺(てんだいしゅう・いづなでら)」。本堂の結界欄間に掲げられた「天狗(てんぐ)と牛若丸」とその左右の「波と飛龍」も壮年期の最高傑作とされています。伊八は本堂再建のために約10年間ここに滞在し、彫刻のみならず、総合的に関わったとされています。

牛若丸と天狗の伝説も有名な天台宗 飯縄寺

牛若丸と天狗の伝説も有名な「天台宗 飯縄寺」

そして飯縄寺の平成の本堂大修理の際、おどろきの発見がありました。天井に、葛飾北斎が教えを乞うたとされる3代目堤等琳の作品が描かれているのが見つかったのです。これは再建計画全体をみていた伊八が、落慶式に間に合うようにと、交流のあった等琳に描いてもらったという伝聞があります。伊八―等琳―北斎の接点がつながったように思えます。さらに作品発見から20年後、等琳が描いた52枚の天井画がこの寺で発見され、伊八と等琳のつながりが、より確信されました。

伊八による「天狗と牛若丸」の天狗。ひざ部分の木目を生かした意匠が素晴らしい

伊八による「天狗と牛若丸」の天狗。ひざ部分の木目を生かした意匠が素晴らしい

太東の海をひたすら眺めて生まれた伊八の作品がもしかしたら、等琳、北斎を通じて、画家ゴッホや彫刻家カミーユ・クローデルらヨーロッパの芸術家に影響を与え、そして、オーケストラスコアの表紙デザインに「神奈川沖浪裏」を採用したドビュッシーのクラシックの名曲「海」誕生のきっかけになったのかも――。九十九里浜の波を眺めながら、私の想像もはるか海原遠くまでつながっていくような気がしました。

【取材協力】 いすみ市観光協会 http://www.isumi-kankou.com/
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、いすみ市は2020年7、8月の太東海水浴場開設を中止しました。

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PROFILE

古関千恵子

ビーチライター。リゾートやカルチャー、エコなどを切り口に、国内外の海にフォーカスした読み物や情報を発信する。ダイビング雑誌の編集者を経てフリーとなり、“仕事でビーチへ、締め切り明けもビーチへ”を繰り返すこと四半世紀以上。『世界のビーチ BEST100』(ダイヤモンド・ビッグ社)の企画・執筆、『奇跡のリゾート 星のや 竹富島』(河出書房新社)の共著のほか、ファッション誌(『Safari』『ELLE Japon』など)やウェブサイトに寄稿。ブログも配信中。

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