クリックディープ旅

日本海を見ながら最北端の象潟へ 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅11

下川裕治さんが、松尾芭蕉の「奥の細道」の行程をたどる旅。前回は、最上川を船で下り、出羽三山神社へも参拝しました。今回は日本海が登場。11月でも冬を感じさせる海を見ながら、この旅最北の地へ進みます。

本連載「クリックディープ旅」(ほぼ毎週水曜更新)は、30年以上バックパッカースタイルで旅をする旅行作家の下川裕治さんと、相棒の写真家・阿部稔哉さんと中田浩資さん(交代制)による15枚の写真「旅のフォト物語」と動画でつづる旅エッセーです。

(写真:阿部稔哉)

奥の細道を歩く・鶴岡から新潟へ

地図

「奥の細道」をたどる旅は、この旅の最北端、秋田県の象潟(きさかた)をめざす。そこから日本海に沿って新潟に向かうことになる。芭蕉や同行の曾良のなかに、往路、復路といった発想があったのかはわからないが、方向では、江戸から離れていく旅は終わり、終着の大垣に向かうことになる。これまではどちらかというと、山道が多かったが、これから先は海岸線を進む機会が増える。僕らも冬の日本海を眺めながらの旅になった。

「奥の細道」は、1689年、松尾芭蕉が約150日をかけ、東京(江戸)から東北、北陸などをまわった紀行文。馬や船も利用しているが、基本的には歩き旅である。発刊は芭蕉の死後の1702年。

短編動画

象潟駅から「道の駅象潟」まで歩いた。途中、蚶満寺(かんまんじ)に寄った。すると境内に合歓(ねむ)の木。それを背景に、「象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」。わからないのは西施。山本健吉は、『奥の細道』のなかでこう解説している。「西施は『呉越軍談』の美女である。いくさに負けた越王が、国中第一の美女として呉王に献じた。なにか心に病んで、面をひそめたさまが美しかったので、国中の女たちがあらそってこれにならい『西施の顰(ひそみ)』という故事が生まれた」。江戸時代の知識人は皆、知っていたらしい。僕は引用しかできませんが。

今回の旅のデータ

JR羽越線の旅になる。徒歩という芭蕉の旅に少しでも近づこうと、普通列車を選んでいったが、時間的には、特急「いなほ」が便利。鶴岡、酒田、象潟、新潟と今回のルートで紹介するどの街にも停車する。象潟から酒田まで路線バスも考えたが、象潟は秋田県、酒田は山形県。路線バスは県境をまたぐ運行が少ない。日本海に沿って走るバス路線はなかった。

鶴岡から新潟へ「旅のフォト物語」

Scene01

ハクチョウ

鶴岡から普通列車で酒田に向かった。田にはハクチョウの姿が。あたりが雪で埋まる本格的な冬も間近だ。芭蕉はこの区間を歩いていない。船。鶴岡から酒田までの船便があった。赤川から最上川をたどるルートだ。曾良日記にも、「船ノ上七里也」と記されている。楽ちんの旅だったわけだ。

Scene02

日本海

「おぉ、これ、これ」と車窓を眺めながら、つい言葉が。冬の日本海である。芭蕉の時代、酒田から象潟までの道は、砂地が続く悪路だったらしい。どんな道? 女鹿(めが)駅で降りて歩いてみようか。ところが午前中の下り列車はすべて女鹿駅を通過。女鹿駅は普通列車からも見放されつつあった。ちょっとかわいそう。

Scene03

看板

象潟駅に着いた。「奥の細道 最北の地 象潟」の看板。「僕らを歓迎?」。そんなわけないか。駅に観光案内所があった。芭蕉も訪ねた能因島(のういんじま)や蚶満寺などを訪ね、「道の駅象潟」まで歩くつもりだった。その資料を……と入ると、コーヒーをごちそうになり、道順も教えてもらった。ついでに荷物も預かってもらい、身軽な象潟歩きがはじまった。

Scene04

能因島

まず、能因島へ。「奥の細道」には、「まづ能因島に舟を寄せて~」と書かれている。芭蕉の時代、茶や酒、菓子を舟にもち込み、島めぐりを楽しんだ。島? 写真を見ればわかるが、能因島は島ではない。ただの小山。なぜこれが島? そのあたりはscene7で。

Scene05

道

「松島は笑ふがごとく、象潟は憾(うら)むがごとし」と芭蕉が書いた象潟は、旅の目的地のひとつだった。芭蕉は舟でめぐったが、僕らは歩くしかない。周囲には島、いや小山が点在している。多くが田のなかにポツンと。小山には申し訳程度の松の木が生えていることが多い。道は平坦(へいたん)で、快調に島、いや小山めぐりを続けた。日本海からの風は冷たいが。

Scene06

蚶満寺

小山を眺めながら進むとひとつの集落に。その中心に蚶満寺があった。集落の規模にはそぐわない立派な寺。芭蕉も訪れている。動画で紹介した「象潟や~」の句はこのあたりでつくられた。境内を歩いていると合歓の木が。もともと合歓の木が多い土地? 芭蕉好きへの蚶満寺のさりげないサービス? 

Scene07

象潟

「道の駅象潟」の最上階から象潟を眺める。紀元前466年、鳥海山で岩なだれが起き、その土石が象潟に。やがて潟のなかに小島が点在する景勝地になった。ところが1804年に象潟地震。土地が約2メートル以上隆起し、潟の水がなくなってしまう。それがいまの象潟。島は小山になってしまったわけだ。

Scene08

タンメン

再び歩いて象潟駅に戻った。急いで歩いたが、酒田へ行く特急を逃し、象潟で昼食。ここは秋田県なのだが、山形県のラーメンパワーが乗り移っていて、駅に近い園食堂でタンメン、650円。あまり好きではないのに3日連続で昼食はラーメンという、僕にとっては新記録を樹立。さっぱり味の平麺でした。

Scene09

旧道

食堂から象潟駅に戻る道。道幅と曲がり具合でぴんときた。ここが旧道。何回か昔の街道を歩いた学習効果? そこを進むとありました。「能登屋跡」とその向かいに「向屋跡」の案内板。旧道を歩いてきた勘が当たる。曾良日記に「向屋ヲ借リテ宿ス」と記された宿の跡だった。芭蕉はここにあった宿に泊まった。いまは案内板だけですが。

Scene10

酒田駅

普通列車で酒田に着いた。「奥の細道」は、酒田の次が象潟。逆になってしまったが。酒田は京都との船便で栄えた港だった。江戸時代に入り、瀬戸内海をまわる「西廻(まわ)り航路」が開発され、さらににぎわうことになる。芭蕉が訪ねたのはそんな時期。豪商らがもてなしてくれた。そんな街を歩いてみたが……。いまの酒田は次のSceneで。

Scene11

街並み

全国にシャッター通りはかなり出現しているが、ここまでの街並みは……。ほとんど人に会わない。歩いたのは11月8日。新型コロナウイルスの感染者もまだ多くなく、「Go Toトラベル」真っ盛りだったのですが。さて、どこへ? やはり最上川? そのわけは次のSceneで。

Scene12

日和山公園

「暑き日を海に入れたり最上川」。「奥の細道」に掲載されている芭蕉の句のなかで、気に入っているのがこの句。芭蕉が酒田に滞在したのは陽暦の7月末。暑い時期だった。そこで日和山公園へ。高台にある公園から最上川を眺めた。しかし日本海からの冷たい風が容赦なく吹きつけ、立っているのも大変なほど。すべて想像力で補いました。

Scene13

石碑

酒田市内の芭蕉が滞在した跡へ。ここは庄内藩の医師、伊東玄順の家があったところ。俳人でもあった。豪商の家で句会も開かれ、芭蕉はまず、「涼しさや海に入れたる最上川」という句を披露する。それが推敲(すいこう)されてscene12の句に。推敲、大切です。酒田では豪商らに囲まれ、芭蕉も快適にすごす。会計役の曾良もひと休み?

Scene14

日本海

酒田から特急「いなほ」で一気に新潟へ。理由? 「奥の細道」では、酒田から新潟までの道筋を、「病おこりて事をしるさず」。一気に新潟まで移動してしまうのだ。ちょっと疲れてきた僕らも芭蕉に倣って。次に登場する句は佐渡。車窓には、冬ざれの日本海の向こうに佐渡? 違いました。粟島でした。

Scene15

新潟駅

2時間弱で新潟に着いてしまった。芭蕉が1週間をかけた道のりだったが。新潟から夜の新幹線で東京に戻った。「奥の細道」をたどる旅の続きは翌月、新潟からスタートすることになる。ところが旅をはじめる日に大雪。阿部稔哉カメラマンは、その雪に閉じ込められることになる。その顛末(てんまつ)は次回に。

※取材期間:11月8日
※価格等はすべて取材時のものです。
※「奥の細道」に登場する俳句の表記は、山本健吉著『奥の細道』(講談社)を参考にしています。

【次号予告】次回は新潟から糸魚川へ。

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BOOK

日本海を見ながら最北端の象潟へ 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅11

2019年に連載された台湾の秘境温泉の旅が本になりました。

台湾の秘湯迷走旅(双葉文庫)
温泉大国の台湾。日本人観光客にも人気が高い有名温泉のほか、地元の人でにぎわうローカル温泉、河原の野渓温泉、冷泉など種類も豊か。さらに超のつくような秘湯が谷底や山奥に隠れるようにある。著者は、水先案内人である台湾在住の温泉通と、日本から同行したカメラマンとともに、車で超秘湯をめざすことに。ところがそれは想像以上に過酷な温泉旅だった……。台湾の秘湯を巡る男三人の迷走旅、果たしてどうなるのか。体験紀行とともに、温泉案内「台湾百迷湯」収録。

PROFILE

  • 下川裕治

    1954年生まれ。「12万円で世界を歩く」(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。近著に「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日文庫)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)、「世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア大陸横断2万キロ」(朝日文庫)など。最新刊は、「台湾の秘湯迷走旅」(双葉文庫)。

  • 阿部稔哉

    1965年岩手県生まれ。「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーランス。旅、人物、料理、など雑誌、新聞、広告等で幅広く活動中。最近は自らの頭皮で育毛剤を臨床試験中。

芭蕉がスリル感じた最上川、現代の船旅は? 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅10

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