クリックディープ旅

富山から石川への峠をめざして 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅13

下川裕治さんが、松尾芭蕉の「奥の細道」の行程をたどる旅。前回は大雪で大変な思いをした写真家の阿部稔哉さんと、糸魚川までたどり着きました。今回も凍える寒さと雪の影響が続きますが、うれしい出会いもあったそうです。

本連載「クリックディープ旅」(ほぼ毎週水曜更新)は、30年以上バックパッカースタイルで旅をする旅行作家の下川裕治さんと、相棒の写真家・阿部稔哉さんと中田浩資さん(交代制)による15枚の写真「旅のフォト物語」と動画でつづる旅エッセーです。

(写真:阿部稔哉)

奥の細道を歩く・糸魚川から金沢へ

地図

「奥の細道」をたどる旅の13回目は、親不知(おやしらず)、市振(いちぶり)……という日本海らしい風景のなかを進み、倶利伽羅(くりから)峠を経て金沢に向かうことになる。芭蕉は、「早く金沢に着きたい」という思いが強かった。金沢には芭蕉門下の俳人が何人もいたからだ。しかしその道は遠い。僕らもその道をたどることになるが、阿部カメラマンをバスのなかに22時間閉じ込めた雪は、この一帯にも及ぶ。芭蕉の通った道は、深い雪に覆われ、歩くことも難しくなっていた。

「奥の細道」は、1689年、松尾芭蕉が約150日をかけ、東京(江戸)から東北、北陸などをまわった紀行文。馬や船も利用しているが、基本的には歩き旅である。発刊は芭蕉の死後の1702年。

短編動画1

市振の冬ざれた日本海を背景に、「一家(ひとつや)に遊女も寐(ね)たり萩と月」。「奥の細道」のなかでは知られた句だ。比較的わかりやすい句だが、遊女と萩、月といった素材で、旅の哀感を伝えようとしている。研究者の間では、この句は芭蕉の創作という説が有力。「奥の細道」という一冊の本も後半。やや間延びするところに遊女を登場させたと……。

短編動画2

「早稲(わせ)の香や分け入る右は有磯海(ありそうみ)」。芭蕉はこの句を倶利伽羅峠で詠んだといわれる。僕らが訪ねた峠は雪に埋まり、眺めは真っ白だったが、芭蕉が峠を越えたのは陽暦の8月末。早稲が実る季節である。有磯海は山本健吉によると、伏木港から阿尾城址(じょうし)あたりまでの海岸線のこと。和歌に詠まれたことから名所になっていた。

今回の旅のデータ

雪模様だったこともあり、糸魚川から金沢まで、列車を軸に移動した。この路線は、新幹線の開通で、旧JR北陸線区間が第三セクター方式の鉄道会社の運行になり、やや面倒。糸魚川から市振までは、「えちごトキめき鉄道」の日本海ひすいライン。市振から倶利伽羅までは、「あいの風とやま鉄道」。倶利伽羅から金沢までは、「IRいしかわ鉄道」を利用する。といっても、旧JR北陸線。通しで切符を買うこともできる。僕らは市振と石動(いするぎ)で途中下車し、そのたび切符を買った。

糸魚川から金沢へ「旅のフォト物語」

Scene01

列車

糸魚川から市振まで「日本海ひすいライン」のワンマン列車で。この列車が市振に向かった。山が海岸ぎりぎりまで迫る親不知・子不知の難所。芭蕉は徒歩で進んだが、僕らは列車でスイスイ。なんだか申し訳ないような気分になるが、ほとんど平地のない海岸を目の当たりにすると、歩こうなどという気にはまったくなりません。

Scene02

日本海

市振駅に着いた。無人駅。日本海は荒れ、雪交じりの強い風。ホームで思わずマフラーを巻きなおした。ホームと海の間には、防雪・防風用のフェンス。芭蕉が陽暦の8月下旬にここを通ったわけを寒風が教えてくれる。僕らは無知でした。それでも芭蕉は、「奥の細道」で親不知・子不知越えを疲れたと記している。難所なんですなぁ。

Scene03

道

市振駅から市振の集落までは少し距離があった。冷たい風のなか、急ぎ足で向かう。というのも、市振駅から石動方面に向かう次の列車まで1時間8分しかない。その間に、市振の動画も撮らなくてはならない。道には融雪水が流れる。雪がなくて助かるが、急いで歩くと水が跳ね、ズボンはびしょびしょになる。

Scene04

家

「一家に遊女も寐たり萩と月」の句は創作の可能性が高いが、ヒントになったシーンはあったはず。となると、市振で泊まった宿ということに。しかしどの宿に泊まったのかは、曾良の日記にも記されていない。おそらくここ? 代々、庄屋を務めていたという桔梗屋跡。桔梗屋は1914年の大火で焼失。案内板だけがこの家の脇にあります。

Scene05

松

「貧弱……」。思わず言葉が出てしまった。それもそのはず、この松は2016年の台風で折れてしまった「海道の松」の跡に植えられたもの。市振の集落の東端にあった「海道の松」。親不知・子不知の難所を越え、やっと市振の宿場……というとき、入り口に松の大木。これを見て、旅人はほッとしたとか。芭蕉が歩いた時代にもあったのかは不明だ。

Scene06

石動駅

市振駅から泊駅で乗り換えて石動駅へ。芭蕉はここから倶利伽羅峠を越えている。この駅の名物といったら、駅前にある「麺類食堂」。立ち食いうどんファンの間では有名な店らしい。しかしそれを知ったのは夕方。倶利迦羅不動寺でそばを食べてしまっていた(Scene11)。旅の心残り。

Scene07

街並み

石動駅があるのは富山県小矢部市。市内にはかつての北陸道をほうふつとさせる道や街並みが残っていた。しかし芭蕉の旅は大変だった。「奥の細道」にも、「数知らぬ川を渡りて」と記されている。境川、黒部川……。橋や舟もない川もあったようだ。その疲れか、芭蕉は体調を崩してしまう。僕らは列車の椅子に座っていただけでしたが。

Scene08

埴生護国八幡宮

「高岡ヲ立、埴生八幡ヲ拜ス」と曾良の日記。芭蕉も参拝した埴生(はにゅう)護国八幡宮へ。倶利伽羅峠の戦いに臨む木曾(きそ)義仲が戦勝を祈願したとか。木曾義仲は奇襲で平家の大軍を破り、京に進軍した。本殿脇には、芭蕉門下で芭蕉の臨終をみとった各務支考(かがみ・しこう)の句碑が。彼の塚はscene12で。この頃から雪が激しくなる。はたして倶利伽羅峠にのぼれる?

Scene09

雪道

倶利伽羅峠を越える北陸道は歴史国道に選定され、整備されていた。道に雪が少なく、天候がよかったら、峠まで歩くつもりだった。1日1時間は歩くというミッションもある。で、歩きはじめたのだが、この雪……。5メートルほど歩いて諦めました。足は雪に埋まり、さらに降り積もる。車に頼るしかなかった。

Scene10

石殿

倶利伽羅峠までの雪道を車でのぼる。倶利迦羅不動寺から上は車でも難しい雪道に。歩いて最高地点の国見山の山頂に。積雪は20センチ超え? 頂からの視界は白一色だったが、五社権現という石殿があった。建立は1677年。芭蕉が峠を越えたときはすでにあったはず。しかし「奥の細道」や曾良の日記に記述はない。なぜ? その推測は次のSceneで。

Scene11

うどんとおでん

高岡で芭蕉は体調を壊す。しかし早く金沢に行きたい、という芭蕉のわがままを曾良はのみ込み、馬を手配して峠を越えたといわれる。高岡から金沢まで1日の急ぎ旅。だから五社権現は見ていない? その費用は曾良が工面したはず。倶利迦羅不動寺の前にあった店で600円の山菜そばと300円のおでんで体を温めました。

Scene12

観音寺

降りしきる雪のなかを小矢部市内に戻り観音寺へ。ここには芭蕉十哲のひとり各務支考をしのぶ獅子塚がある。各務支考は自らの死を吹聴し、実はこの観音寺のなかの草庵にいたという俳人。彼はこの地域で芭蕉風の俳句を指導している。こういった門人が、芭蕉の俳諧を広めていったわけだ。

Scene13

船見幸広さん

倶利伽羅峠を進んだ芭蕉の旅。心強い案内人がいた。小矢部市役所の船見幸広さん(49)。事前に雪の具合を聞いたのが縁で、案内してもらった。あいにくの激しい雪。彼がいなかったら、半分も移動できなかった気がする。僕の旅はいつもカメラマンとふたり旅。たまにはこんな恩恵も舞い降りてくる。

Scene14

金沢駅

石動駅から列車で金沢駅に着いた。冷たい雪が降り続いていた。金沢に着いた芭蕉は、急に元気になる。彼に心酔する門人たちに囲まれ上機嫌。それがわかっていたから芭蕉は金沢に急いだのだ。しかし曾良は寝込んでしまう。日記もそっけない内容に。自分はもう必要ない……といじけてしまった?

Scene15

料理

「奥の細道」の旅は、芭蕉と曾良のふたり旅だった。曾良は芭蕉の世話をし、旅の費用集めに奔走した。しかしふたりだけの旅はここまでだった。金沢から先の旅には門人たちも加わってくる。市内の居酒屋で生の白子、能登の魚の刺し身。僕らの旅もここでトーンが変わる。金沢はそんな予感を伝えてくれる街だった。

※取材期間:12月19日
※価格等はすべて取材時のものです。
※「奥の細道」に登場する俳句の表記は、山本健吉著『奥の細道』(講談社)を参考にしています。

【次号予告】次回は金沢から山中温泉へ。

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BOOK

富山から石川への峠をめざして 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅13

2019年に連載された台湾の秘境温泉の旅が本になりました。

台湾の秘湯迷走旅(双葉文庫)
温泉大国の台湾。日本人観光客にも人気が高い有名温泉のほか、地元の人でにぎわうローカル温泉、河原の野渓温泉、冷泉など種類も豊か。さらに超のつくような秘湯が谷底や山奥に隠れるようにある。著者は、水先案内人である台湾在住の温泉通と、日本から同行したカメラマンとともに、車で超秘湯をめざすことに。ところがそれは想像以上に過酷な温泉旅だった……。台湾の秘湯を巡る男三人の迷走旅、果たしてどうなるのか。体験紀行とともに、温泉案内「台湾百迷湯」収録。

PROFILE

  • 下川裕治

    1954年生まれ。「12万円で世界を歩く」(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。近著に「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日文庫)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)、「世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア大陸横断2万キロ」(朝日文庫)など。最新刊は、「台湾の秘湯迷走旅」(双葉文庫)。

  • 阿部稔哉

    1965年岩手県生まれ。「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーランス。旅、人物、料理、など雑誌、新聞、広告等で幅広く活動中。最近は自らの頭皮で育毛剤を臨床試験中。

思わぬ単独出発、冬の新潟を南へ 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅12

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