クリックディープ旅

芭蕉がほめた湯を求めて山中温泉へ 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅14

下川裕治さんが、松尾芭蕉の「奥の細道」の行程をたどる旅。前回は雪のなか富山県と石川県の間にある倶利伽羅峠を訪れ、金沢に着きました。今回は、芭蕉の句に湯が登場する山中温泉へ。下川さんは温泉を堪能できたのでしょうか。

■本連載「クリックディープ旅」(ほぼ毎週水曜更新)は、30年以上バックパッカースタイルで旅をする旅行作家の下川裕治さんと、相棒の写真家・阿部稔哉さんと中田浩資さん(交代制)による15枚の写真「旅のフォト物語」と動画でつづる旅エッセーです。

(写真:阿部稔哉)

奥の細道を歩く・金沢から山中温泉へ

地図

「奥の細道」をたどる旅は、金沢から山中温泉まで石川県内を移動していく。金沢からの旅は、これまでの曾良とのふたり旅が一変する。金沢は俳諧が盛んな土地で、芭蕉門下の俳人たちが一緒に道を歩くことになるのだ。金沢を発ったときは、「奥の細道ご一行様」といった人数になったという。途中までの見送りが多かったが、立花北枝(たちばな・ほくし)という俳人は山中温泉、那谷寺(なたでら)も同行している。山中温泉からは芭蕉は曾良と別れる。「奥の細道」のルートを知る上で、曾良の日記は貴重だが、別行動となると……。これから先は推測の道筋も多くなる。

「奥の細道」は、1689年、松尾芭蕉が約150日をかけ、東京(江戸)から東北、北陸などをまわった紀行文。馬や船も利用しているが、基本的には歩き旅である。発刊は芭蕉の死後の1702年。

短編動画1

雪が降り続く那谷寺を眺めながら、「石山の石より白し秋の風」。少し難解。那谷寺には白っぽい大きな岩がある。それより秋の風は白い。山本健吉の『奥の細道』ではこんな趣旨で解説している。「季節を色に見立てる中国式発想。それによると秋は白。白には曾良と別れた寂しさも重ねている」。

短編動画2

山中温泉の湯の動画をバックに、「山中や菊はたをらぬ湯の匂(におい)」。これも解説がないとわからない句。菊は能の曲名「菊慈童」。菊から滴る露を飲んで長寿を保ったという中国の故事が元になっている。山中温泉の湯は、長寿の菊を折らなくてもいいほどのいいにおい……と温泉をほめている。

今回の旅のデータ

芭蕉が歩いた北陸道は、JR北陸線より内陸側を通っていた。できるだけ芭蕉が歩いた道に沿って進もうとしたため、路線バスの旅になった。北陸鉄道のバス、小松バス、加賀温泉バスを利用した。路線バスは市町村をまたぐ運行や接続がなかなかうまくいかない。しかしこのエリアは温泉が多い観光地だけに、路線バスが充実。比較的スムーズに乗り継いでいくことができる。那谷寺から山中温泉までの路線バスはないため、タクシーと徒歩でつないだ。

金沢から山中温泉へ「旅のフォト物語」

Scene01
バス

路線バスが走るルート確認は煩雑。ホームページには、簡略な路線図しかないことも多い。となるとバス停名を地図で検索し……。ふーッ。こんな作業、芭蕉の旅にこだわりがなければ誰もやらない。だが北陸鉄道のバスは、詳細地図型路線図があって助かった。バスは金沢駅前から出発。

Scene02
空

バス路線を調べ、比較的、北陸道に近い道を走る寺井中央行きに乗る。芭蕉は見送りの金沢俳人たちと歩いた。餅や酒を持参し、別れ際には酌み交わす道筋だったとか。僕は相変わらず阿部稔哉カメラマンとふたり旅。酒もない。金沢の上空を覆う雪雲を見やりながら、この雲が僕らの行き先まで追ってこないことを願うだけ。

Scene03
バス停

北陸鉄道の路線バスに1時間強乗り、終点の寺井中央。ここで小松バスに乗り継いで小松駅へ。バス停名は同じ寺井中央。しかし北陸鉄道のバス停には小松バスの文字が、ない。「??」。北陸鉄道のバスの運転手さんに聞くと、バスを降りて丁寧に教えてくれました。四つ角を曲がった先。ありました。ひと安心。

Scene04
小松駅

寺井中央で乗ったバスが小松駅に着くのは午前10時だった。那谷寺行きバスが小松駅を発車するのも午前10時。間に合わないよなー。ダメもとで運転手さんに聞いてみると、「渋滞がなければ、通常、1分前ぐらいに小松駅に着きます」。バスが小松駅に着いたのは、9時58分30秒。駅前の道を那谷寺行きバスに向かって走る。間に合いました。

Scene05
那谷寺

40分ほどバスに揺られ那谷寺に着いた。那谷寺は岩山を巧みに利用し、本堂や塔などを斜面に配置するなどなかなかみごと。参詣(さんけい)客は石段や橋を伝って進む。雪がなければ、半日ぐらいは寺の敷地内を歩いて楽しめそう。この入り口では、そんなレイアウトも知らず、雪道に気分がなえていただけでしたが。

Scene06
三重塔

那谷寺の三重塔。1642年に建てられた。芭蕉は山中温泉で曾良と別れ、金沢の俳人、北枝と那谷寺を訪ねている。しかし、「奥の細道」では、那谷寺の後に山中温泉。芭蕉はこういうことに無頓着。律義な曾良の性格を足して2で割りたいところ。曾良は腹痛。この体では足手まといになると、あえて芭蕉との別行動を選んだらしい。なんといい人。

Scene07
車窓

この日は那谷寺から山代温泉まで歩くつもりだった。距離は5.9キロ。那谷寺入り口前の食堂で相談すると、「この雪道じゃ無理でしょ」。昔は、「すぐそこ」といわれて、歩くと1時間なんてことがよくあった。いまは逆。地方の人は車移動ばかりであまり歩かない。しかしこうはっきりといわれると……。タクシーで途中の勅使地区まで行くことに。

Scene08
道路

勅使地区から山代温泉へ向かって歩く。おそらくこのあたりを芭蕉も歩いたはず。歩道は雪が溶けてぬれ、靴はぐちょぐちょになったが、40分ほどで着いてしまった。「那谷寺から歩けたな」というのが、山代温泉に着いた感想。あまり地元の人に聞かないほうがいいのかも。皆、親切だが、歩く機会が極端に減っている。それが地方の現実?

Scene09
九谷焼窯後展示館

山代温泉への途中、九谷焼窯跡展示館があった。見学もせずに通りすぎた。「奥の細道」をたどる旅を続けていると、工芸とか食や温泉など、現代の旅を彩るものへの関心がどんどん消えていってしまう。不思議な本だ。ただひたすら、みぞれ混じりの雪のなかを歩く。いつから僕はこんなにストイックになったのだろう。

Scene10
バス

山代温泉から山中温泉までバスで進んだ。乗り込むと何人かの観光客。ほッとした。金沢から乗り継いできた路線バスは、わずかな客しか目にしなかったからだ。芭蕉は山中温泉に8泊もしている。「奥の細道」の道筋には温泉がいくつもあった。しかし、湯に触れた句を詠んだのは山中温泉が最初で最後。少し期待が膨らむ。

Scene11
看板

山中温泉は、「奥の細道」をたどってきた僕らの目には、さながら“芭蕉温泉”の感。バスターミナルから温泉街をぷらぷら歩くと、「芭蕉珈琲(コーヒー)」。もちろん芭蕉の時代にコーヒーはなかったにしても、看板には「since1966」。ホント? 50年以上前から山中温泉の芭蕉温泉化は定着していたらしい。

Scene12
小径

さらに温泉街を歩くと、「芭蕉の小径(こみち)」。この界隈(かいわい)には、芭蕉が泊まった宿、泉屋跡の碑も。泉屋の主人は、「あるじとする者は、久米之助(くめのすけ)とて、いまだ小童なり」と、「奥の細道」にも登場する。そして「芭蕉の館」。これは山中温泉最古の宿建築を改築した博物館。10分も歩けば、芭蕉の文字が次々に目に入り、やや食傷気味。

Scene13
釜めし

山中温泉の昼食は、魚心(ぎょしん)という店で釜めしでした。700円。戸外は雪がちらつき、歩く人も少なかったが、昼どきの店内は混みあっていた。飛び交う関西弁。「奥の細道」で、「その効、有明に次ぐといふ」(有明は有馬の間違い)と書かれた温泉。当時もいまも、山中温泉は関西圏の温泉だったようですな。

Scene14
菊の湯

「芭蕉の小径」から少し歩くと菊の湯。山中温泉の中心だ。この温泉街は、昭和初期まで各宿に内湯はなく、共同浴場を利用するスタイルだったという。ということは芭蕉もこの湯に入っていた可能性が高い。菊の湯の名前は、短編動画2で紹介した句からとった。で、芭蕉がほめた湯はどんな湯?

Scene15
足湯

この日は福井まで進むつもりだった。バスの時刻が気になり、共同浴場には入らず、その前にあった足湯へ。「熱ッ」。入れた足が驚いた。湯はさらりとしている。那谷寺から歩いたので、靴も靴下もぬれ、足も冷えていた。一気に温まっていく。ふーッ。極楽。しかしバスの時刻が迫っている。ぬれて冷たい靴下を再びはく不快感……。

※取材期間:12月20日
※価格等はすべて取材時のものです。
※「奥の細道」に登場する俳句の表記は、山本健吉著『奥の細道』(講談社)を参考にしています。

【次号予告】次回は山中温泉から敦賀へ。

BOOK

芭蕉がほめた湯を求めて山中温泉へ 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅14

2019年に連載された台湾の秘境温泉の旅が本になりました。

台湾の秘湯迷走旅(双葉文庫)
温泉大国の台湾。日本人観光客にも人気が高い有名温泉のほか、地元の人でにぎわうローカル温泉、河原の野渓温泉、冷泉など種類も豊か。さらに超のつくような秘湯が谷底や山奥に隠れるようにある。著者は、水先案内人である台湾在住の温泉通と、日本から同行したカメラマンとともに、車で超秘湯をめざすことに。ところがそれは想像以上に過酷な温泉旅だった……。台湾の秘湯を巡る男三人の迷走旅、果たしてどうなるのか。体験紀行とともに、温泉案内「台湾百迷湯」収録。

PROFILE

  • 下川裕治

    1954年生まれ。「12万円で世界を歩く」(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。近著に「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日文庫)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)、「世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア大陸横断2万キロ」(朝日文庫)など。最新刊は、「台湾の秘湯迷走旅」(双葉文庫)。

  • 阿部稔哉

    1965年岩手県生まれ。「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーランス。旅、人物、料理、など雑誌、新聞、広告等で幅広く活動中。最近は自らの頭皮で育毛剤を臨床試験中。

富山から石川への峠をめざして 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅13

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福井から若狭湾を眺め敦賀へ 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅15

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