城旅へようこそ

須知城と笑路城、光秀の関わりは? 明智光秀の城番外編(3)

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は京都府の須知(しゅうち)城と笑路(わろうじ)城です。二つの城は、明智光秀に関連して共通点があるのですが……。
(トップ写真は須知城主郭東面の高石垣)

須知城の石垣、在地国人が独自に積んだか?

本連載でも紹介したように、黒井城(兵庫県丹波市)、福知山城(京都府福知山市)、周山城(京都市)などには明智光秀が丹波支配の際に積んだ石垣が残っている。いずれも信長の城の石垣との共通項が見出せる。しかし丹波には、光秀による改修と伝わる一方で、在地の国人が独自に積んだと考えられる石垣もある。その例が、須知城(京都府京丹波町)や笑路城(京都府亀岡市)だ。

須知城は、南北朝時代に地元の国人である須知氏が築いたとされている。1579(天正7)年、光秀の丹波攻めにより落城。その後光秀が改修したと推察され、城内に残る石垣は光秀によるものと考えられてきた。

しかし、須知城の石垣には信長や家臣の城の石垣とは異なる特徴があり、光秀による改修ではないとする指摘もある。それを示すのが、最大の見どころになっている主郭東面の高石垣だ。人の頭ほどの大きさの石が積まれた野面積(のづらづみ)の石垣で、高さは約4メートルに及び丹波地方の城では随一の高石垣といえる。

須知城と笑路城、光秀の関わりは? 明智光秀の城番外編(3)

主郭東面の高石垣

注目したいのは、その積み方。1面だけに石垣を積めばいいところを、わざわざ鈍角の出隅を3カ所つくり、少しずつ平面をずらすようにして4面の石垣を積んでいる。この鈍角を「シノギ角(ずみ)」という。通常は、ファスナーのように石材と石材を交互にかみ合わせるように積むことで隅角部を鈍角に仕上げるのだが、須知城の主郭東面の高石垣は、南側から直角に隅部を積み上げ、その後に隣の面を増設することで鈍角の石垣を生み出している。信長の城では類似した例がない、珍しいシノギ角だ。石垣は主郭の外側にしかなく、主郭の内側は土塁状になっている。

須知城と笑路城、光秀の関わりは? 明智光秀の城番外編(3)

主郭東面、高石垣のシノギ角


須知城と笑路城、光秀の関わりは? 明智光秀の城番外編(3)

主郭北側の高石垣。直方体の石の長辺と短辺を交互に積む算木積(さんぎづみ)になっている

特徴的な石塁と虎口(こぐち)も見逃せない。須知城は須知川の東岸に突き出す標高385メートルの山上に築かれた山城で、東西に伸びる尾根上に階段状に曲輪(くるわ)を置き、城域の中央付近に設けられた巨大な堀切を境に、東側曲輪群と西側曲輪群に大別される。

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東側曲輪群と西側曲輪群を大別する堀切

西曲輪群は、最高所に主郭を置き、西側に向けて階段状に曲輪が置かれている。主郭の西側に見られるのが、前述の石塁だ。一直線に構築され、一段下の曲輪との境界線になっている。一段下の曲輪の西側も、同じように石塁が一直線に積まれ、その下の曲輪とを区画している。

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一直線に構築された石塁

主郭の虎口は南端にあり、石塁で小さな内枡形(ますがた)虎口がつくられている。一段下の曲輪の虎口も南端にあるが、こちらはスロープ状の虎口となっており、曲輪の西南端に櫓(やぐら)台を設けることで下段の曲輪へ射撃できるように設計されていたようだ。ただ曲輪を並べただけの城とは異なる戦略的な設計が感じられ、信長の城を連想できる。

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スロープ状の坂虎口になっている

主郭や主郭に隣接する曲輪には石垣や石塁があるが、前述の石塁を伴う二つの曲輪の西側にはさらに三つの曲輪が連なるものの、石塁や石垣は見られない。西端の曲輪は広く、中央に櫓台状の土壇がある。主郭周辺では瓦は見られず、信長の城の特徴の一つである瓦葺(ぶき)建物が存在した可能性は低そうだ。

東側曲輪群は2本の堀切を隔てて展開しているが、西曲輪群と様相が異なり、曲輪が小規模で石垣もほとんど用いられていない。主郭東面の高石垣の東側はガクンと下がり、斜面上に1本目の堀切がある。その東側に、城域を分断する巨大な堀切が設けられている。

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西側曲輪群

笑路城にも須知城思わせる特徴が

須知城の石塁と内枡形を彷彿(ほうふつ)させるのが、同じく丹波国人・長澤氏の城とされる笑路城だ。1978(昭和53)年の発掘調査で、最高所の曲輪を東西に分断する石塁付近から石段や櫓台と思われる石塁が検出されている。現況からはあまりよくわからないが、櫓台はスロープを伴う枡形虎口と連動できる位置にあり、信長の城の傾向は否定できないようだ。

須知城と笑路城、光秀の関わりは? 明智光秀の城番外編(3)

笑路城の石垣

判断材料は上記だけではないのだが、どちらの城も、光秀の改修ではなく丹波独自の城である可能性が高いように感じた。構造を読み解くのは難易度が高いかもしれないが、石垣の積み方に注意してみると、雰囲気の違いが感じられるだろう。黒井城や周山城などとともに、訪れてみてはいかがだろうか。

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笑路城の主郭。鉄塔建設の折に発掘調査が行われた

(この項おわり。次回は3月8日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■須知城
http://www.kyotamba.org/%E9%A0%88%E7%9F%A5%E5%9F%8E/(京丹波町観光協会)

■笑路城
https://www.city.kameoka.kyoto.jp/kirin/areamap/010waroujijyou.html(亀岡市)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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