城旅へようこそ

関東屈指の巨大な山城、名城といわれる理由は? 八王子城(2)

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は北条氏照の居城だった八王子城(東京都八王子市)の第2回。要害地区と太鼓曲輪(くるわ)地区を歩いて、八王子城が名城と呼ばれるゆえんを読み解きます。
(トップ写真は八王子城・八王子城、太鼓曲輪の堀切)

【動画】八王子城の要害地区・太鼓曲輪地区

戦時の拠点「要害地区」 抜群の眺望

関東山地東端部の丘陵に築かれた、関東屈指の巨大山城・八王子城。かなり広大な城域は、山麓(さんろく)の「居館地区」、その東側「根古屋(ねごや)地区」、そして山上の山城「要害地区」、居館地区南側の外郭防衛線「太鼓曲輪地区」の四つに大別できる。今回は「要害地区」と「太鼓曲輪地区」を紹介しよう。

<秀吉軍の殲滅戦で落城 関東屈指の名城・八王子城 (1)>で述べた通り、八王子城は相模・武蔵と甲斐を結ぶ脇往還(わきおうかん)だったらしい奥高尾山稜に通じる丘陵に築かれている。豊臣秀吉の小田原攻めに備えて、甲斐方面からの侵攻の備えとして強化された城と考えられる。城主不在のまま大軍に攻められ、半日で落城。城主の北条氏照が小田原城へ入った後も八王子城の築城は続けられており、未完成だったとも推察されている。

城は関東山地東端部にあり、城域は少なくとも東西約1.6キロ×南北1キロに及ぶ。すべてを歩くことは難しいが、現地を訪れたならその広大さを想像してみてほしい。

氏照の居館・御主殿がある「居館地区」を政治的な中心地とするなら、戦闘時の要塞(ようさい)となるのが背後の山上に築かれた「要害地区」だ。標高460.4メートル地点に本丸が置かれ、その一段下の曲輪には、現在八王子神社がある。山麓の鳥居から八王子神社を目指し、登城道を30~40分ほど登れば本丸に到達する。

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要害地区への登城口


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山頂の本丸

登城口から10分ほど登ると、尾根をひな壇状に削って造成した金子曲輪が見えてくる。中腹にも物見の場と思われる小さな曲輪が点在するので、休憩しながらくまなくチェックしていくといいだろう。

八王子城は、東に八王子盆地、その東には武蔵野台地が見渡せ、南には相模原台地が開ける好立地だ。本丸に至る登城道の途中からは晴れていれば東京スカイツリーも見え、眺望のよさは申し分ない。山頂付近の松木曲輪からの眺めもよい。

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エントランス広場にあるジオラマ。山頂が要害地区、山麓が居館地区、手前の尾根が太鼓曲輪地区

本丸の西「伝大天守部分」 尾根上に石塁で防壁

本丸を目指すだけでそれなりに体力と時間を要する山城だが、八王子城が関東屈指の山城と言われるゆえんは、ほかにある。山上の「要害地区」は本丸を中心とした「主城部分」だけではなく、西側に「伝大天守部分」と呼ばれるエリアが構築されているのだ。「馬冷(こまびや)し」と呼ばれる大堀切を挟み、西側の尾根に構築されている。

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主城部分西側にある巨大な堀切「馬冷し」

このエリアは、主城部分の背後を守る「詰城(つめのしろ)」と解説されることがあるが、背後を守る防衛線ではなく、敵の正面に構築された前線ととらえていいだろう。最高所の標高は約479メートルと本丸より高く、石積みで囲まれた多角形の堡塁(ほるい=陣地)になっている。「伝大天守部分」と呼ばれるが天守があったとは考えにくく、呼称にすぎない。

恐ろしいのは、この最高所の堡塁から南北に各約300メートルの石塁が構築されていることだ。総延長約600メートルの石塁で尾根上に防壁をつくり、主城部分を囲い込んでいるのだ。

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最高所の堡塁


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石積みの跡が累々と残る

尾根上に連続する堀切 太鼓曲輪地区

「太鼓曲輪地区」も、八王子城の強靭(きょうじん)な防衛力を語る上で欠かせないエリアだ。居館地区から城山川を挟んで並行するように延びる南側の尾根に、曲輪群が展開する。曲輪群といっても居住空間や駐屯地としてスペースを確保するものではなく、尾根そのものを城を囲む防衛線とするような構造といえる。

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太鼓曲輪の堀切


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太鼓曲輪。尾根に沿って堀切が連続する

尾根上は遮断線が強く意識され、巨大な堀切が連続する。どこまでも執拗(しつよう)に設けられているうえ、いずれの堀切も抜かりなくしっかりと掘り込まれていて、思わず感嘆の声を上げてしまう。尾根上に堀切を等間隔に設けて遮断する様子は、浄福寺城を彷彿(ほうふつ)させる。

また、堀切に対して櫓(やぐら)台のような突出部がみられ、だいぶ崩落しているものの石積みらしき痕跡がある。伝大天守部分の最高所にあるような堡塁が構築されていたのかもしれない。

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太鼓曲輪に残る石積み

(この項おわり。次回は4月19日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■八王子城
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/003/001/001/p005201.html(八王子市)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

秀吉軍の殲滅戦で落城 関東屈指の名城・八王子城 (1)

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