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ピカソの“エロティックな1932年” パリ アート旅(3)

  • &TRAVEL編集部
  • 2017年12月22日

ピカソ美術館

パリ アート旅(2)から続く

 パリでアートをめぐる旅、最後は「ピカソ美術館」を訪れた。1973年にピカソが亡くなってから遺族がフランスに寄贈したものを中心に、絵画、彫刻、デッサン、版画など合わせて約5000点もの作品がそろっているという。2009年から改修工事が始まり、5年の歳月を経て、2014年にリニューアルオープンした。

 ピカソ美術館は、セーヌ川右岸、おしゃれなブティックやカフェが集まるマレ地区にある。貴族が建てた美しい建物がそのまま残る、歴史的街区だ。17世紀、アンリ4世がロワイヤル広場(現在のヴォージュ広場)を造り、その周辺に貴族たちが好んで住むようになり、シックな街並みが築かれたのだという。マレ地区には、アートギャラリーが多いのも特徴。たしかに歩いていると、ギャラリーをよく見かける。

ピカソの作品5000点がそろう、“塩の館”

 石造りの高い外壁に囲まれた瀟洒(しょうしゃ)な館、ピカソ美術館に到着。ここはもともと、塩税の収税史だったピエール・オベールが1660年に建てた自邸だった。私腹を肥やして建てたことから、当時、皮肉を込めて「サレ(salée)館」=「塩の館」と呼ばれたという。その後さまざまな人の手に渡り、1964年にパリ市が買収。ピカソ美術館へと改修する計画が進められ、1985年に完成した。

 多作で知られるピカソだが、彼は生涯にわたってその多くを自身の手元に保管していたという。案内してくれた学芸員は、こう話す。

 「文化相をつとめた作家のアンドレ・マルロー(在任期間:1960~69年)が、あるとき南仏にあるピカソのスタジオを訪問しました。『ピカソ亡きあと、作品が売却されるようなことになったら残念ではないか』と話したそうです。そして在任中に『税金は、お金でなく物納でもよい』という法案が成立したのです」。たくさんの作品を目にすることができるのは、この法案のおかげなのだ。

 地下では彫刻、デッサン、ポスターなどが並んでいた。さらには舞台衣装や舞台セットを手がけた様子がわかる展示もあり、ピカソというアーティストの幅広さ、作品の多彩さに改めて気づかされる。

Tête de femme(女性の頭)(1931-32年)

 女性の頭部の彫刻の前に立つ。

 「これは、誰がモデルになったか分かりますか? ピカソの愛人、マリー・テレーズです」

 ピカソは1927年、パリの百貨店ギャラリー・ラファイエットの前で、金髪で健康的な17歳の女性、マリー・テレーズと出会う。そのときピカソは45歳で、最初の妻、オルガ・コクラヴァと結婚していた。

 1930年、ピカソはノルマンディー地方のボワジュルー城を購入。パリのアパルトマンよりもはるかに広々とした空間で彫刻制作にいそしみ、この作品も生まれたという。

愛人マリー・テレーズをモデルに

 優雅な階段を上り、「ピカソ1932 エロティックな年」展(2018年2月11日まで)へと移る。1932年という1年だけにフォーカスした、珍しい展示だ。この年に制作された作品を、1月から12月まで時系列に並べている。

建築家ジャン・ド・ブイエが建てたこの館の中でも、傑作といわれる階段

ディエゴ・ジャコメッティ(彫刻家アルベルト・ジャコメッティの弟)によるシャンデリアが調和する

 代表作「Le Rêve (夢)」は、目を閉じてほほえむマリー・テレーズが椅子に座っている。右どなりには、その数日前に描いた「Le Repos(休息)」。短時間にこれだけの作品を手がけるエネルギーに驚く。

Le Rêve (夢)(左/1932年1月24日)
Le Repos(休息)(右/1932年1月22日)

 「この年、パリやチューリッヒでピカソの初の大回顧展が開かれることとなり、名声を確実にするためにも、彼は作品を精力的に手がけたのです。1932年は、創意あふれる作品がたくさん生まれた、ピカソを語るうえで重要な年です」と、学芸員は説明する。

 1932年の作品の多くは、マリー・テレーズをテーマにしている。ピカソは妻のオルガとともにボワジュルー城で過ごし、オルガが帰ったあと、入れ替わるようにしてマリー・テレーズがやってきてポーズをとったという。マリー・テレーズの心中は、そしてのちに愛人の存在に気づいたオルガの心中はどのようなものだったのだろう……。

  

 順に見ていくと、ピカソの心のありようの変化までもがうかがえる気がする。年のはじめのうちは、マリー・テレーズに対する激しい欲望が描かれているが、やがて穏やかな欲望、「愛」へと変化していくのだ。“人間ピカソ”をすぐ近くで、生々しく感じた。

日本人シェフが営むフレンチレストラン「モンテ」

 最後は、旅をおいしい食事で締めくくりたい。昨年9月にオープンした、滑浦(なめうら)高行シェフによるフレンチレストラン「モンテ」。場所は14区、モンパルナスの近く。席数は、奥の個室を含めて22席。シンプルなしつらえの、ぬくもりある空間だ。

「モンテ」 滑浦高行シェフ

 滑浦シェフは、神戸で9年間フランス料理店を営んできたが、かつて南フランスのニームで料理の修業を受けたときから胸にあった、「いつかフランスで」という思いを実現させることとなった。

 神戸の店は山の手にあったので、店名は「モンテ(MONTÉE=のぼり坂)」。その頃からの名前を、今も使い続けているのだという。

 「神戸の時代から、自分の店は、豪奢(ごうしゃ)な“グランメゾン”に対してプチメゾンだと思ってきました。小さいけれども、生産者や業者と密に付き合いながら、素材にとことんこだわった店。食材は、すぐ近くにあるマルシェにも仕入れに行きます。生産者から直接、よい素材を手に入れることができるんです」と、滑浦シェフ。

りんごとシードルのデザート サフランのアイスクリーム添え (c)Yuichi Aoki

プレスツアー一行のために、立食形式で料理をふるまってくれた。(手前左)サバのマリネ シトロンノワールのソース/(手前右)ニームのスペシャリテ タラのブランダード/(奥 右と左)フォワグラのロールケーキ カレー味

 「レストラン自体がエンターテインメント。ちょっとしたアイデアに驚いてもらえる料理を目指しています」

 オープン以来、舌の肥えたパリっ子たちの心をつかんできている滑浦シェフ。「モンテ」の今後がますます楽しみだ。

立地がよくてリーズナブル
デザインホテル「シチズンM」

 さて、ここで筆者が宿泊したホテル「シチズンM ガール・ドゥ・リヨン」もちょっとご紹介を。「シチズンM」はアムステルダム発のデザインホテル。

パソコンをひろげて仕事することもできるロビー。奥では食事が取れる

 立地がよく、ネット環境が整っていて、モダンでおしゃれなインテリアなのにもかかわらず価格が安いことから人気が高まり、ロンドン、グラスゴー、ニューヨーク、ロッテルダム、台北にも続々オープンしている。アナログな筆者は、はじめはレセプションがないセルフチェックイン形式に少々面食らったが、慣れてしまえば便利だ。

 何より魅力に感じたのは、大ターミナル駅であるガール・ドゥ・リヨン(リヨン駅)まで、徒歩1、2分だということ。効率的に観光したい人にはうってつけだ。

(文・写真 &編集部 辻川舞子)

    ◇

Musée national Picasso(ピカソ美術館)
5 rue de Thorigny 75003 Paris
http://www.museepicassoparis.fr/en/

Restaurant MONTÉE(モンテ)
9 Rue Léopold Robert, 75014 Paris
http://restaurant-montee.fr/ja/
ランチコース:40ユーロ、32ユーロ ディナーコース:80ユーロ

Citizen M Paris Gare de Lyon
8 Rue Van Gogh, 75012 Paris
https://www.citizenm.com/destinations/paris/paris-gare-de-lyon-hotel

取材協力:
フランス観光開発機構(Atout France):http://jp.france.fr
パリ観光・会議局(OTCP):http://ja.parisinfo.com

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