いつかの旅

連載エッセー「いつかの旅」 (1)海の向こう

  • 文・千早茜 写真・津久井珠美
  • 2018年6月14日

 北海道生まれの私にとって、旅とは「海を渡ること」だった。

 父親は九州の人間だったので、父方の親戚に会いに、赤子の頃から年に何度か日本を縦断した。飛行機で海を渡る。家、車、空港、飛行機と自分がいる空間が変わるだけで、移動しているという実感はなかった。もちろん海を越えたという感覚もない。

 九州の祖父母の家は北海道にはあまりない日本家屋で、こたつが物珍しく、畳の匂いを嗅いでは「草! 草!」と喜んだ。祖母は植物を愛する優しい人だった。けれど、祖父は無口で気難しく、父親ですら距離をおいている雰囲気を子どもながらに感じ、祖父の前では私もおとなしくなった。

 ある晴れた日、私が縁側から祖母が作った庭を眺めていると、祖父がやってきた。庭には野鳥の餌台があった。祖父は静かな声で、やってくる野鳥の名前や習性を教えてくれた。怖い人ではないのだと知った。

 同じ日だったかどうかはわからない。ある日、祖父は私を連れて消えた。両親と祖母は心配したが、まだ携帯電話もない頃だ、近所の散歩コースを探すくらいで見つけようがない。数時間後、祖父はなに食わぬ顔で帰ってきた。祖父の運転する車の助手席に平然とした顔で私が座っていたそうだ。どこに行っていたのか、祖父は誰にも話すことなく、その十年後くらいにがんで逝った。

 葬式の後、祖父と二人で海岸を歩いたことがある、と話すと親戚たちがびっくりした顔をした。車のシートの前に段ボール箱と座布団を詰めて、私が脚を伸ばせるようにすると、祖父は私を車に乗せて走りだした。寡黙な横顔を覚えている。やがて、ひろびろとした場所に着き、白い砂の上を歩いた。白髪の、明るい笑顔のおばあさんが私たちを迎えてくれ、お茶とお菓子をごちそうになった。そう話すと、祖母が「おじいちゃんの妹さんだよ」と言った。昔、けんかをして疎遠になってしまった家だそうだ。「頑固で折れることを知らない人だったからねえ。でも、茜を見せたかったんだね」。そう祖母は笑った。

 それは祖父が私を連れて消えた日のことだったのだろう。私はまだ三歳になっていなかったそうだ。それでも鮮明に覚えているのは、緊張していたからか、海が印象深かったからか。おそらく私の一番古い記憶だ。

 祖父と歩いた海岸はひと気がなかった。海は大きく、ずっとうねるように動き、どおん、どおんと鳴っていた。祖父の脚にしがみつきながら海を見つめて、はじめて自分が遠くにきたのだと思った。海は私の中で非日常の象徴になった。

 今、私は京都に住んでいる。もう人生の半分を京都で過ごしているのに、ものの数十分で隣の県に行けてしまうことにいまだに慣れない。住んでいる場所を離れるとき、どうも海を渡らないと旅をした気分にならないのはこの思い出のせいだと思う。

                ◇

 作家・千早茜さんの連載エッセー「いつかの旅」が始まりました。

 千早さんは泉鏡花文学賞を受けたデビュー作「魚神」で、遊郭の島を舞台に幻想的で妖しい世界を描き、今年刊行された「クローゼット」では服飾美術館に務める補修士を主人公に、服をまとうことの意味を掘り下げていきました。登場人物は人の心に住む「魔物」に絡みつかれ、もがき苦しみながらも、新しい一歩を踏み出す一筋の光を見いだしていく。そんな、深奥に達する「心の旅」の数々を作品にしてきた千早さんの、小説とはまた違う、旅をテーマにした連載です。

 津久井珠美さんのモノクロ写真が彩る、もうひとつの「千早節」をお楽しみください。

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PROFILE

千早 茜(ちはや・あかね)作家

1979年北海道生まれ。幼少期をアフリカのザンビアで過ごす。立命館大学卒業。2008年、小説すばる新人賞を受けた「魚神(いおがみ)」でデビュー。同作は2009年の泉鏡花文学賞を受賞。2013年、「あとかた」で島清恋愛文学賞。「男ともだち」(2014年)が直木賞候補作に。著書はほかに「クローゼット」など。最新刊「正しい女たち」が6月10日に刊行された。

津久井 珠美(つくい・たまみ)写真家

1976年京都府生まれ。立命館大学(西洋史学科)卒業後、1年間映写技師として働き、写真を本格的に始める。2000〜2002年、写真家・平間至氏に師事。京都に戻り、雑誌、書籍、広告、家族写真など、多岐にわたり撮影に携わる。
http://irodori-p.tumblr.com/

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