いつかの旅

連載エッセー「いつかの旅」 (3)絵の中へ

  • 文・千早茜 写真・津久井珠美
  • 2018年7月12日

  

 私の物語の表紙や挿絵をときどきお願いしている西淑さんという絵描きがいる。イラストレーターなのか画家なのか、その区別が私にはつかない。ただ、私は自分のことを紹介するとき「もの書き」と言うので、彼女の職業を言葉にするときはなんとなく「絵描き」と言ってしまう。彼女は私のことを「言葉つかい」と呼ぶ。くすぐったく、うれしい。

 彼女の個展が名古屋であると聞いたので、早起きして新幹線に乗った。いつもは通過してしまう駅で降りる。京都からはあっと言う間だった。前に名古屋に行ったのは大学生の頃だった。高速バスで二時間半かかったのに、今回はその五分の一程度。移動時間が違うと、同じ街ではないような感じがした。

 喫茶店で名古屋モーニングを楽しみ、ひつまぶしを体験し、暑かったので赤福氷まで食べ、三時過ぎにようやく地下鉄に乗った。車内は蒸し暑く、混んでいた。知らない駅で降り、知らない道を地図を頼りに歩く。青い空に大きな雲が悠々と浮かび、まっすぐな道にはひと気がなかった。坂をのぼり、住宅街の中に白い木の看板を見つける。

  

 民家を改装したカフェだった。玄関で靴を脱ぎ室内に入ると、黄色く塗った壁の一面に無数の絵があった。ひきよせられる。「お好きな席をどうぞ」と声をかけられて、絵の正面のテーブルについた。

 金の月、金の実、金の花、骨のように白い植物、女性の上半身や横顔……背景はどれも深い紺色の夜だ。西淑さんの絵はいつも静謐(せいひつ)な空気をまとっていて、まわりの音を吸い込んでしまう。廊下で白いカーテンが風に揺れていた。私はすっぽりと深い静寂に落ちた。井戸の底にひとすじ光が差すように、絵のひそやかな輝きが降ってくる。そんな恩寵(おんちょう)めいた気分になる。

 私は生身の彼女を知っている。私と同じくらい食いしん坊であることも、小柄なのに豪快なところも、笑い顔もしゃべり方も知っている。けれど、彼女の作品を前にすると、確かにそれは彼女の作品とわかるのだが、私の知っている彼女とは違うまなざしを感じる。

 これは、彼女がひとりきりで見つめている、まじりけのない彼女の世界なのだ、と気づく。その孤独と美しさに心が震える。誰もが自分だけの世界を持っている。他人には見ることのできない景色が心の中にある。

 どんなに離れた場所へいこうとも、私は私の体を通してしか世界を見られない。なので、私は感性や考え方が興味深い人に出会うと、その人が見ている世界を見てみたいと願ってしまう。絵はその願いをほんのひとときかなえてくれ、知らない世界へと連れていってくれる。

 すごく遠くへいった気がしたのに、カフェを出たら一時間も経っていなかった。

  

[PR]

この記事を気に入ったら
「いいね!」しよう

PROFILE

千早 茜(ちはや・あかね)作家

1979年北海道生まれ。幼少期をアフリカのザンビアで過ごす。立命館大学卒業。2008年、小説すばる新人賞を受けた「魚神(いおがみ)」でデビュー。同作は2009年の泉鏡花文学賞を受賞。2013年、「あとかた」で島清恋愛文学賞。「男ともだち」(2014年)が直木賞候補作に。著書はほかに「クローゼット」など。最新刊「正しい女たち」が6月10日に刊行された。

津久井 珠美(つくい・たまみ)写真家

1976年京都府生まれ。立命館大学(西洋史学科)卒業後、1年間映写技師として働き、写真を本格的に始める。2000〜2002年、写真家・平間至氏に師事。京都に戻り、雑誌、書籍、広告、家族写真など、多岐にわたり撮影に携わる。
http://irodori-p.tumblr.com/

今、あなたにオススメ

Pickup!