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ドイツ・古城街道 ワーグナーの聖地と世界遺産の街 バイロイト

  • &TRAVEL編集部
  • 2018年7月30日

バイロイト音楽祭が開かれる祝祭劇場

ドイツ有数の観光ルートであるロマンチック街道を訪ねる旅に出た編集部員は、箱庭のようなローテンブルクから古城街道へ入り、歴史の重みを感じさせるニュルンベルクへ。ニュルンベルクからさらに、日帰りでバイロイトへ足を延ばしました。毎年夏にワーグナーの舞台作品を上演する「バイロイト音楽祭」の開催地です。世界文化遺産に登録されている豪華なバロック様式の劇場「辺境伯歌劇場」でも知られています。

ニュルンベルクから快速電車で約1時間、6月17日のバイロイトはかんかん照りでした。まずは「緑の丘」にあるバイロイト祝祭劇場を目指します。この劇場は晩年この街に住んだワーグナーが建てさせ、毎年夏にワーグナー作品を入れ替わり立ち替わり上演するバイロイト音楽祭の会場。ワグネリアンと呼ばれる愛好家が世界中から集まってくる、ワーグナーの聖地なのです。今年の音楽祭は7月25日の「ローエングリン」で開幕しました。約1カ月間の会期中は盛装に身を包んだ聴衆でにぎわうこの劇場も、編集部員が訪れた日はひっそり。音楽祭準備のため内部の見学はできませんでした。

祝祭劇場の外観

外観を眺めていたら、ガイドとして同行してくださった田中バッハフィッシャー也恵さんが、劇場の構造を記したお手製パネルを手荷物から取り出して教えてくれます。「この劇場は、ギリシャの円形劇場を模しています。オーケストラピットは舞台の下に潜っていて、管弦楽と歌手の歌声が溶けあう、ここでしか聞けない独特の響きが生まれます」

いつの間にか、周囲に観光客の人だかりが。日本語がわかりそうな方は見当たりませんが、設計図のような図面やパノラマ風の写真を見ながらの会話なので、何となく伝わるのでしょう。みなさんうなずいています。

ヨーロッパの古いオペラハウスといえば、重厚な石造りで、華麗な装飾を建物内外に施したものが相場のところ、この祝祭劇場は木造で、見た目も簡素です。第2次世界大戦でバイロイトが空襲を受けた際にこの劇場が無事だったのも、「上空からビール工場に見えたので標的にならなかった」という説もあるとか。

バイロイト音楽祭ゆかりの音楽家らを紹介したパネル

劇場そばのワーグナー頭像の周囲では、戦前のバイロイト音楽祭で活躍した音楽家らをパネルで紹介していました。その中のひとり、バイオリニストのヘンドリック・プリンスは、ユダヤ人であることを理由にハノーバー歌劇場コンサートマスターを解任され、1943年にアウシュビッツで亡くなった、とあります。戦争とナチスがここにも影を落としていました。

車で丘を下って旧市街へ向かっていると、期せずしてカーラジオから、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲が流れてきました。

世界遺産の辺境伯歌劇場。外観はシンプルですが……

辺境伯歌劇場は2012年に世界文化遺産に登録されました。大勢の観光客に交じって午前11時すぎのガイドツアーに参加します。1745年から1750年の間に、当時の領主だった辺境伯の夫人ウィルヘルミーネの肝煎りで建設されました。その空間のきらびやかさといったら! 欧州で最も美しいバロック劇場という呼び声もうなずけます。

実は、バイロイト音楽祭がこの地で開かれることになったきっかけの一つに、この辺境伯歌劇場の存在がありました。自作を上演する場所を探していたワーグナーは、辺境伯歌劇場を見にバイロイトに来たものの、狭すぎると感じ、別途上演会場を作ることに。それが、現在の祝祭劇場というわけです。

思わずため息がもれる辺境伯歌劇場の内部。舞台側から入り口側を見る

辺境伯歌劇場では椅子に座って紹介映像を見たり、スタッフの解説を聴いたり。この解説がドイツ語で断片的にしかわからず、目をつむって腕組みしながら聞いていると……。がやがやと回りの人たちが立ち上がる音で、はっと我に返りました。不覚にも居眠りをしていたのです。時計を見ると20分ほどたっています。わずかながら時差ぼけが解消したことだけが救いでした。

豪華な客席部分に比べると、裏側は質素

おまけに、歌劇場を出ると、にわか雨が。朝いい天気だったので油断し、傘の用意がありません。びしょぬれになって商店の軒下へ駆け込み、しばし雨宿り。10分ほどで小雨になったので、昼食をとりに移動しました。

観光案内所の入り口のベンチには、作曲家ワーグナーと愛犬の像が

昔の市役所から教会へと続く「花嫁の小道」

入ったレストランでは、前日のニュルンベルクに続き、地元のフランケン料理をいただきました。レストランはかつて市役所だった建物に入っており、ここで結婚の手続きをした若いカップルは、建物脇の路地を通って教会へ向かったとのこと。そんなわけで、その路地は「花嫁の小道」と呼ばれています。

強い通り雨がうそのように晴れ上がった

旧宮殿

雨も上がり、こぢんまりとした街を歩いて見て回ります。地図をもらった観光案内所の入り口には、ベンチに座ったワーグナーと、愛犬の像が。日本と違って湿気が少ないので、ぬれた服もいつの間にか乾いていました。まずは旧宮殿へ。1603年から18世紀半ばまで宮廷が置かれていましたが、火事に遭い、徒歩で10分ほど離れた場所に新宮殿が造られました。「バイロイト・ロココ様式」で知られるこの新宮殿は、歌劇場ゆかりの辺境伯夫人ウィルヘルミーネがデザインにかかわったと伝わります。プロイセン王家出身のウィルヘルミーネは芸術的感性の持ち主で、当代きってのパトロンでもありました。

新宮殿

ワーグナーも朝夕散歩したという庭園の道

新宮殿を通り抜けて建物の反対側に出ると、緑に囲まれた庭園の中を、一本道がまっすぐ延びています。歩くこと数分、左側にワーグナーの旧居「ハウス・バーンフリート」が見えてきます。現在はリヒャルト・ワーグナー博物館として、楽譜や遺品などゆかりの品が展示されています。すぐ近くにはこの地で没した大ピアニストにして作曲家でワーグナーの盟友の旧居「フランツ・リスト博物館」もありました。

ハウス・バーンフリート(リヒャルト・ワーグナー博物館)

ハウス・バーンフリートの敷地には、墓碑銘のないワーグナーの墓があります。彼の墓に寄り添うようにして置かれた、小さな石がありました。愛犬の墓です。

9000キロあまり離れた我が家の犬を、ふと思い出しました。(&TRAVEL編集部・星野学)

フランツ・リスト博物館

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