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高山城と古い町並、高山陣屋を歩く 飛驒の城(1)

  • 城郭ライター・萩原さちこ
  • 2018年11月19日

「古い町並」と呼ばれる、高山城下町の上町・下町の通り

「飛驒の小京都」とも呼ばれる、飛驒高山の城下町。海外からの観光客もたくさん訪れる、人気の観光スポットだ。宮川に並行して南北に続く上三之町と上二之町を中心にした上町・下町の3筋は「古い町並」と呼ばれ、「高山市三町伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

城下町を築いたのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた金森長近だ。1585(天正13)年、長近は秀吉から3万3000石で飛騨一国を拝領し飛驒に入封。それまでこの地の中心だった鍋山城を廃して高山城を築城すると、城下町づくりにも着手した。街道整備のほか、新田の開墾や鉱山の開発、治水工事などを始め領内の産業発展に努め、以後107年間、飛驒は金森氏が治めた。

高山城跡の二の丸公園にある、金森長近の像

風情ある古い町並は、のんびりと歩くだけでも楽しい。しかし、17世紀後半に描かれた城下町の絵図と照らし合わせながら歩くと、さらにおもしろい。絵図に描かれた江戸時代の道筋と現在の道筋が一致していて、まるで江戸時代にタイムスリップしたような感覚に陥るのだ。

近世の城下町は、城を中心に武家地(武家屋敷)、町人地(町人町)、寺社地(寺町)が階段状または同心円状に並ぶのが基本構造だ。高山城下町の場合、高山城のある城山を中心として、城山周辺の高台に武家屋敷が並び、武家屋敷の東側に寺町、西側に町人町が広がる。南北に流れる宮川とそれに合流する江名子川に囲まれた地域を中心に形成され、東西約500メートル×南北約600メートルの範囲に広がっていた。

宮川。ここから東側に城と城下町が形成されている

「古い町並」と呼ばれる一帯は、町人町にあたる。もっとも標高が低いところに形成され、3筋の通りに面して町家が並び、城に近いほうから一番町、二番町、三番町(現在の一之町、二之町、三之町)とされた。鍛冶橋交差点のあたりから安川通りを見ると上り坂になっていて、突き当たりには大雄寺が見える。そう、このあたりが寺町で、現在でもこの通りには南北に寺がずらりと並んでいる。

鍛冶橋交差点のあたりから見る安川通り。ここから江名子川に並行するように、寺が建ち並んでいる

一般的に、全国の城下町は武家地のほうが町人町よりも広いが、高山城下町はその逆で町人町が武家地の1.2倍ある。長近が商業の発展に力を入れた証しなのだろう。高山は飛驒の中央に位置し、金森氏6代が統治した時代には街道も整備され、飛驒の中心地として発展した。北は越中街道、南は尾張(益田)街道、西は郡上(白川)街道、そして東には平湯街道と江戸街道が通じていた。

中心になる高山城を軸に城下町をみていくと、戦国時代末期から江戸時代初期の高山の構造がわかってくる。長近は先進的な城と城下町づくりをした人物といえ、高山城も築かれた時期を考慮すると先駆的だ。そのため、どこか中世的でもある。現在は公園化されてあまり城の風情はないが、本丸には石垣が残り、石垣をいち早く取り入れた城の痕跡がある。

中橋の東側あたりから見た高山城

高山城の本丸。本丸には最高所に本丸屋形、一段下に十三間櫓(やぐら)や十間櫓、太鼓櫓などがあった。二の丸は東西に分かれ、西側の照蓮寺が建つ場所には城主の館があった

三の丸北側に残る水堀。飛驒護国神社のある場所が、三の丸の跡

高山を訪れたら、高山陣屋も外せない。陣屋とは、代官や郡代などの役人が政務を行った建物のことで、いわば幕府直轄の行政・財政・警察施設だ。御役所のほか、郡代役宅、御蔵などの建物をまとめて陣屋と呼ぶ。1692(元禄5)年に金森氏6代藩主・頼時が出羽の上山(秋田県)に転封になると、飛驒一円は徳川幕府の直轄領になり、明治維新まで江戸から派遣された代官や郡代と呼ばれる役人が高山陣屋で政務を行った。1695(元禄8)年に高山城の破却がはじまると、金森家の下屋敷跡に高山陣屋が築かれた。

高山陣屋。飛騨代官は1777(安永6)年に飛騨郡代となり、関東・西国・美濃郡代と並び幕府の重要な直轄領となった

全国に60数か所あった郡代・代官所の中でも、建物が現存するのは全国で高山陣屋だけだ。1725(享保10)年、1816(文化13)年と幾度も改築されたが、火災を受けることはなく、明治時代には主要建物は地方官庁として引き続き使用された。

玄関は、1816年の改築時のもの。駕篭(かご)からそのまま屋敷内へ入れる式台があり、幕府の使者など高い身分の来客者専用だった。御役所や会議が行われた書院造りの大広間も1816年の改築で、濡縁(ぬれえん)からは役宅の庭園がのぞめる。庭園は天明年間に造りかえられ、その後も手が入れられて現在の姿になった。変わったところでは、復元された吟味所や御白州(おしらす)も興味深い。犯罪を犯した者が取り調べを受けた場所が再現されている。

御蔵は、高山城の三の丸に建てられていた米蔵を1695年に移築したものだ。全国最古、最大規模の米蔵といわれる。軸部は慶長年間の良質のヒノキ。壁面の傾斜や通風のすき間など、飛騨匠(たくみ)の手法も見られる。

幕府が飛驒を直轄地とした理由は諸説あり定かではないが、豊富な木材、金・銀・銅・鉛などの資源が目的だったといわれる。しかし、幕領時代にはさほど金や銀は採れなかったようだ。天領となって高山城が廃城になると高山城下町も変化したが、町人町は存続して商人の町として繁栄した。金森氏時代にはじまった高山祭も継続され、日本三大曳山(ひきやま)祭のひとつに数えられるまでに発展することになる。

高山陣屋大広間の濡縁から見る、役宅の庭園

高山陣屋の復元された、南側の御白州。刑事関係の取り調べは南の御白州、民事関係の取り調べは北の御白州で行われた

(つづく。次回は11月26日に掲載予定です)

【交通・問い合わせ・参考サイト】
■高山城
JR高山本線「高山」駅から徒歩約20分
http://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000021/1000119/1000847/1000954/1000969.html
■高山陣屋
JR高山本線「高山」駅から徒歩約15分
https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/27212/

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PROFILE

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)城郭ライター、編集者

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。
http://46meg.com/

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