いつかの旅

連載エッセー「いつかの旅」 (15)ドッペルゲンガーを探して

  • 文・千早茜 写真・津久井珠美
  • 2019年1月10日

  

 時代によって言葉は変わっていくから、耳慣れないものがつぎつぎに生まれる。ときおり、不可解なものにぶつかることがある。
 学生の頃、はじめて「自分探し」という言葉を聞いて首をかしげた。自分ならここにいるじゃないか。幽体離脱でもしたのか。

 よくわからない言葉は使わなければいいだけの話だ。そう思ってはいたが、大学も終わりに差しかかると友人たちがこぞって「自分探し」の旅にでるようになった。あるものはヨーロッパへ、あるものはインドへ、あるものは内政が不安定な国へ。バイトに精をだし、「本当の自分」を探しに旅立った。

 「本当の自分」を探す意味が私にはよくわからなかった。自分自身の姿を自分で見てしまうドッペルゲンガーを彷彿(ほうふつ)とさせる。旅先にはドッペルゲンガーがいるのだろうか、と的外れなことを考えた。しかし、同じ自分ならば見る必要もないし、わざわざ海外に行ってまで自分に会いたいとも思わない。

  

 そんなとき、親しくしていた男の子がバイクでお遍路参りをすると言いだした。やはり「自分探し」である。日数が限られているからかなりのハードスケジュールになる、自分を見つめ直したいから連絡は極力控えてくれ、と言われた。正直、私は毎日レポート提出のある学芸員実習で忙しく、心配もしていなかった。多少の無茶をしようとも、言葉が通じる国内だ。

 夏だった。睡眠不足と暑さで朦朧(もうろう)としながら走っていた彼は、山道のカーブを曲がりきれずバイク事故を起こしてしまった。他の人間を巻き込まなかったのは不幸中の幸いだったが、しばらく入院するはめになった。愛車も壊れ、四国で処分されたらしい。旅先で見つけたのはオーバーワークに弱い自分だったのだろうか。病院のベッドで片腕を三角巾につるされた彼にはさすがに聞けなかった。

 旅先は非日常で、普段の自分とは違う面があらわれやすい。だから、新しい自分に出会える気がするのかもしれないが、その自分はやはり旅の中にしかいない自分なのだと思う。日常の自分も、旅先の自分も、どちらも自分だ。探したりしなくてもいる。見えにくいだけで。

 自分というもののかたちはふり返ったときに認識する気がする。時間がたち、変化したときに、私たちは過去の自分をやっと見つめることができる。過去の自分はもう自分ではないという人もいるかもしれないが、私は時間という旅の中でしか人は自分を見つけられないように思う。
 そうだとすると、私にとっては毎日つけている日記が「自分探し」なのかもしれない。

  

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PROFILE

千早 茜(ちはや・あかね)作家

1979年北海道生まれ。幼少期をアフリカのザンビアで過ごす。立命館大学卒業。2008年、小説すばる新人賞を受けた「魚神(いおがみ)」でデビュー。同作は2009年の泉鏡花文学賞を受賞。2013年、「あとかた」で島清恋愛文学賞。「男ともだち」(2014年)が直木賞候補作に。著書はほかに「クローゼット」など。最新刊「正しい女たち」が6月10日に刊行された。

津久井 珠美(つくい・たまみ)写真家

1976年京都府生まれ。立命館大学(西洋史学科)卒業後、1年間映写技師として働き、写真を本格的に始める。2000〜2002年、写真家・平間至氏に師事。京都に戻り、雑誌、書籍、広告、家族写真など、多岐にわたり撮影に携わる。
http://irodori-p.tumblr.com/

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