「旧石器時代のミケランジェロ」にはせる思い ショーヴェ・ポンダルク洞窟を訪ねて
- 文・写真 藤原かすみ(在パリ)
- 2019年1月18日
ショーヴェ・ポンダルク洞窟にある旧石器時代の壁画のレプリカ。駆け抜けるような馬4頭の絵は、体は輪郭だけだが、表情が生き生きしている©Patrick Aventurier - Caverne du Pont d’Arc
いつも目的なしに出かける、私たち欧州在住のリタイア女性4人組。今回は3人で、フランス、アルデッシュ県にあるショーヴェ・ポンダルク洞窟を見に行こう、となった。あとは気の向くまま、である。
ショーヴェ・ポンダルク洞窟は、1994年末にショーヴェ氏ら3人の洞穴学者が発見し、世界にセンセーションを巻き起こした。洞窟の壁画は3万6000年前にさかのぼることができ、ライオン、マンモス、馬、水牛、サイ、クマなど分かるだけで13種の動物が描かれ、その数は425にのぼるという。2014年、ユネスコ世界遺産に登録された。
有名なラスコー洞窟やスペインのアルタミラ洞窟(いずれも本物の洞窟には入れず、現地でレプリカが見られる)の絵は2万年から1万数千年前という。
ラスコーで壁画を劣化させた苦い経験から、この洞窟は一度も一般公開されていないが、コンピュータ技術のおかげで、レプリカの洞窟の中で寸分違わない壁画が見られるようになった。私は7、8年前、この洞窟の3D映画を見て度肝を抜かれ、レプリカの公開を待ち望んでいた。
2015年に完成したレプリカ洞窟の中は、岩の凸凹や散乱する動物の骨、柔らかい地面についたクマの足跡まできっちり再現されており、中に入るとレプリカであることを忘れてしまう。
岩の凸凹をうまく利用して壁画に立体感を出しているところなど、旧石器時代のアーティストの表現力はすごい。描く能力は稚拙なものからだんだん洗練されていった、などというのは常識のウソだった。彼らの目はカメラだ。大きな壁に描かれた躍動感あふれる動物の群れ、入り組んだ岩の一番奥に、まるでご神体であるかのように描かれた1頭の馬――。アーティストがたいまつを持つ人を従えて描いている姿を想像しようとしても、旧石器人の姿が思い浮かばない。彼らが人間を描かなかったのは残念でならない。
入場者26人にガイド1人がついて中を案内する。フランス語以外は日本語を含む9言語のオーディオガイドが用意されているが、説明を聞いてからもう一度絵を見ようと後戻りしたら、電気が消えていて何も見えなかった。
「レプリカなのにこんなに厳重なのか」という批判の声も聞かれるが、本物の絵に使われたのと同じ木炭や赤土の顔料で描かれ、本物の洞窟のように温度や湿度も管理されているから、撮影を禁止するほど管理が厳しいのもうなずける。
次に本物の洞窟がどこにあるか、場所だけでも確認しようと車を走らせた。洞窟は、アルデッシュ渓谷のランドマークとしてよく知られる天然のアーチ、ポンダルクの向かい側の石灰岩台地の中腹にある。もとの入り口は2万年ほど前に崩れたため、これらの絵は長い間眠りについていた。そのおかげで保存状態がいい。
洞窟探検家は、岩穴に耳を当て、空気が吹き出すかすかな音を聞いたり感じたりして、未発見の洞窟を探し当てるという。アルデッシュ渓谷は洞窟の宝庫だが、これだけの絵が描かれた洞窟はほかに類を見ない。しかしまだ、どこかに発見を待っている素晴らしい洞窟があるかもしれない。ラスコーもアルタミラもショーヴェも、旧石器時代後期のオーリニャック文化に属すると言われており、その前後に絶滅したネアンデルタール人とは担い手が違うらしい。
ポンダルクはアルデッシュ渓谷の水でうがたれた美しいアーチだ。夏は、カヌー遊びや川遊びの人でにぎやかなことだろう。アーチを見るための駐車場は、かつて蛇行していた川が流路を変えたため平らになったところにあり、ここから見える石灰岩台地に本物の洞窟の入り口がある。探してみたが、木が生い茂っていて見つからなかった。アーチはすでに約4万年前にはあったというから、洞窟で描いた人たちもこの景色を楽しんでいたのだろうか。
翌日は、もと来た道を戻らず、アルデッシュ渓谷に沿って走り、「フランスで最も美しい村」の一つ(同名の協会に認定された村)になっている村エゲーズと、洞窟に行く途中、「帰りに寄らねば」と思った不思議な村サン=モンタンを訪ねることにした。サン=モンタンに寄らなかったのは、レプリカ洞窟には入場予約時間前までに着く必要があったためだ。
エゲーズはアルデッシュ渓谷とローヌ川の合流点に近い川向こうにあり、アヴィニョンと同じガール県に属している。渓谷を見下ろす崖にへばりついたような村で、数人の観光客が村唯一のレストランにいたものの、人が住んでいるのかどうかもわからないほどの静けさだった。後で調べると人口は200人ほど。11世紀に起源を持つサンロック教会はきれいに修復されていた。
ここからローヌ川まで出て北上し、サン=モンタン村へ。通りすがりに見た、石造の家の塊のような村は期待を裏切らなかった。この地方に多い洞窟で苦行していたカトリック僧が教会を作り、そこから発展した村らしい。フランス革命で一時は廃れたが、1960年頃から人口が増え出した。人口流入に伴って1970年、「サン=モンタン友の会」ができて廃虚が次々と修復されていった。
ご多分にもれず、12世紀の砦(とりで)をいただく階段の村は夏季だけアーティストが住んでいるらしく、「ギャラリー」の矢印が多かった。新しい村人はほとんど、平らなところに住んでいる。
この人口増加は、60年代以降、ローヌ川沿いに巨大な原子力施設が作られたためではないか、と思われる。何か起これば、コート・デュ・ローヌのワインはただでは済まないのだが。
洞窟にひかれてのアルデッシュの旅。フランスの田舎中の田舎だが、行ってみると、洞窟のほかにも何かと得るものが多い旅だった。
