いつかの旅

連載エッセー「いつかの旅」 (17)英国のベリー

  • 文・千早茜 写真・津久井珠美
  • 2019年2月7日

  

 旅先で出会う食べものは不思議だ。ふだんは気にもとめなかったものが異様においしく感じられ、旅の記憶として残ることがある。
 おいしかったものの記憶はひとつの旅につきひとつであることが多い。たくさんの美味に出会った旅だったとしても、その旅を思いかえすときは一皿しか浮かばない。まるでその旅を象徴するように。

 冬の室蘭取材をしたときは、地元のタクシー運転手に連れていってもらったカレーラーメンだった。ラーメンには興味がなかったはずなのに、鼻水をたらしながらはふはふすすり、指の先まで温まった思い出がある。寒い旅だった。

 四年前にひとりでイギリスに行った。ちょうど洋服の美術館の本を書く準備をしていたので、目的はヴィクトリア・アンド・アルバート博物館だった。そこでやっていたドレスの展示に毎日通った。あまりに興奮しすぎて、初日はホテルで図録を眺めて鼻血をだした。

 イギリスの食事に期待はしていなかった。私は茶全般が大好きなので紅茶を楽しむつもりだった。ちょっと無理をして老舗の高級ホテルをとった。到着するなり、ぴかぴかに磨かれた銀色のティーセットで紅茶が運ばれてきた。焼き菓子も銀皿に並んでいる。ポットにたっぷりと淹(い)れられた紅茶はとても美味(おい)しかった。滞在中、ホテルマンは目が合うと「お茶はいかがですか」と聞いてきた。メニューはない。なにがあるのか問うと、この時間ならこのお茶でしょうか、目覚めの一杯でしたらフレッシュなミントティーはどうだろう、と提案してくれる。調子に乗って言われるがまま飲んだ。どれも美味しく、天国だと思った。会計のときに地獄に突き落とされたが。

  

 パブで飲んだビールもフィッシュアンドチップスも博物館カフェのサンドイッチも、滞在中の食事で外れはなかった。特に朝食は素晴らしく、夢のトースト立てを見たときはひとりで狂喜した。
 ある朝、朝食のオーダーを取りにきた給仕におすすめを聞くと「ベリー」と答えた。卵ならば、茹(ゆ)でるのか目玉焼きにするのかオムレツにするのか具はどうする焼き具合は、と細かく聞いてくる彼が、「では、ベリーを」と言うとなにも聞かずに「ラブリー」とつぶやいた。

 「ラブリー」は「いいね」とか「素晴らしい」とかいう意味のようだった。住んでいる場所を聞かれて「京都」と答えたときも「ラブリー」と言われた。ほどなくして、白い陶器のボウルがやってきた。中はいろいろな種類のベリーでいっぱいだった。ラズベリー、ブルーベリー、ブラックベリー……知らないベリーもたくさんあった。クリームもソースもなにもない。ただ山盛りのベリーが朝の光にきらきらしていた。すこし悩んでスプーンを手にとった。

 あんなにたくさんのベリーを食べたことは後にも先にもない。鮮やかなベリーはみずみずしく、味が濃かった。まるでシリアルのようにもりもりと食べた。ケーキの上にちょこんとのっているベリーとは違う食べものに思えた。ベリーは飾りではなく腹を満たすものなのだと、はじめて実感した。

 帰国してイギリス旅行のことを聞かれ、「ベリーが美味しかったよ」と言うと、きょとんとした顔をされる。でも、百年前のドレスを眺めたあの旅で記憶に残っているのは山盛りのベリーなのだ。スーパーで小さなパックに詰められているのを見るたびに、豪快で贅沢(ぜいたく)なベリーのボウルを思いだす。

  

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PROFILE

千早 茜(ちはや・あかね)作家

1979年北海道生まれ。幼少期をアフリカのザンビアで過ごす。立命館大学卒業。2008年、小説すばる新人賞を受けた「魚神(いおがみ)」でデビュー。同作は2009年の泉鏡花文学賞を受賞。2013年、「あとかた」で島清恋愛文学賞。「男ともだち」(2014年)が直木賞候補作に。著書はほかに「クローゼット」など。最新刊「正しい女たち」が6月10日に刊行された。

津久井 珠美(つくい・たまみ)写真家

1976年京都府生まれ。立命館大学(西洋史学科)卒業後、1年間映写技師として働き、写真を本格的に始める。2000〜2002年、写真家・平間至氏に師事。京都に戻り、雑誌、書籍、広告、家族写真など、多岐にわたり撮影に携わる。
http://irodori-p.tumblr.com/

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