ダンテ「神曲」に名を刻む城塞、モンテリッジョーニの中世祭り

写真

花の都フィレンツェ(イタリア)からシエナに向かって南へ約60km。のどかな景色を眺めながら車を走らせていると、モンテリッジョーニの城塞(じょうさい)が見えてくる。小高い丘にいくつもの塔を備えたその姿は、フィレンツェ出身の詩人ダンテ・アリギエーリにも強い印象を与えたようだ。彼は自身の作品「神曲・地獄編」で城塞の名を記している。

歴史はフィレンツェ、シエナの両共和国が教皇派と皇帝派に分かれて戦争を繰り広げていた13世紀にさかのぼる。シエナ側がその見晴らしの良さから、対フィレンツェの軍事基地として選んだ場所が、モンテリッジョーニの丘だった。城塞は1213年~1219年にかけて建てられたものである。東西わずか200m足らずの基地だが、兵士を支えるべく内部に住居や畑も作られた。

その後、幾度にも及ぶ攻撃に耐えたものの、1554年モンテリッジョーニはフィレンツェ軍の手に落ちる。シエナの防衛隊長ジョヴァンニ・ゼーティの裏切りによるものだったとされる。ゼーティは、かつてフィレンツェから追放された身であった。フィレンツェを治めるメディチ家は、複雑な身上の彼を利用した。和解を条件に、モンテリッジョーニの城門の鍵をフィレンツェ軍に渡すことを彼に提案したのだ。ゼーティは、それに従った。

開城から5世紀近くたつ今も、モンテリッジョーニはほぼ当時の面影を残している。「ゼーティは裏切り者だったかもしれません。しかし見事な城塞が消滅せずに戦いが終焉を迎えたことを好意的に捉える人も少なくないのですよ」と、住人のひとりは語る。

今日も城塞内には住民がいるが、その人口は40人ほど。しかし城塞を取り巻く同名の基礎自治体(コムーネ)を含めると、その数は9900人に達する。彼らは、城塞の美しさを後世に伝えるべく、毎年7月に「中世祭り」を開催している。1991年に始まったイベントは今年で28回目となる。大道芸人によるパフォーマンスや中世装束のパレード、そして地元の人々による俳優顔負けの寸劇が真夏の夜を盛り上げる。2018年は7月6~8日と13~15日の週末に行われ、約1万4000人もの観光客が訪れた。

いにしえの兵士たちはやりと矢で城塞を守ったが、現在の住人たちは笑顔とおもてなしという武器で、愛すべき故郷の姿を守ろうとしている。

(文 大矢麻里 Mari OYA、写真 大矢麻里 Mari OYA/大矢アキオ Akio Lorenzo OYA、Bruchi)

インフォメーション: Festa Medievale Monteriggioni  www.monteriggionimedievale.com
取材協力:Ufficio turistico di Monteriggioni

写真をクリックすると、大きな画像が表示されます。環境によっては表示に時間がかかる場合があります。

    PROFILE

    大矢麻里

    大矢麻里(おおや・まり) Mari OYA

    イタリアコラムニスト。東京生まれ。短大卒業後、幼稚園教諭、大手総合商社勤務などを経て、1996年にイタリア・トスカーナの古都シエナに移り住む。国立シエナ外国人大学で学び、現地の料理学校で通訳・アシスタントを務めるかたわら執筆活動を開始。NHKラジオテキスト『まいにちイタリア語』をはじめ、イタリア文化や生活関連の連載・執筆多数。NHK『マイあさラジオ』など、ラジオ番組でもリポーターとして活躍中。著書に『イタリアの小さな工房めぐり』(新潮社)がある。

     

    PROFILE

    大矢アキオ

    大矢アキオ(おおや・あきお) Akio Lorenzo OYA

    コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。東京生まれ、国立音大卒(ヴァイオリン専攻)。二玄社『SUPER CAR GRAPHIC』編集記者を経て独立。30歳でイタリア・シエナに渡る。現在、雑誌、webに連載多数。実際の生活者ならではの視点によるライフスタイル、クルマ、デザインに関する語り口には、根強いファンがいる。

     
    [PR]