東京の台所

<2>あるけどない、ないけどある家

〈住人プロフィール〉
 主婦。44歳。
 持ち家・5LDK・営団地下鉄銀座線 表参道駅(渋谷区)
 入居12年
 夫、長男(高校生)、長女(中学生)、実母の5人暮らし

    ◇

 歩いて数分の所に高級スーパーKINOKUNIYAインターナショナルやこどもの城がある。青山のど真ん中。しかし、少し路地を入ったところにぽっかりと空が抜けた敷地があり、その家はある。

 越してきたのは13年前。長男3歳、長女1歳の時だった。「何軒か見て回ったんだけど、子どもが小さくてじっくり見る余裕がなくて。外から見て、あ、いいねって決めちゃったんです」。一家の主婦である住人は述懐する。

 台所からトイレまで家中すべての内装を替えた。リフォームに1年かかったという。

 もとの台所は、オーク調の暗い印象だった。システムキッチン、床、壁、収納すべてを変えた。淡いグリーンを基調に、収納を増やした……はずだが、じつはあまりよく覚えていないと彼女は言う。

「なにをどう変えたのか。もともとどんなだったのか。そのときの1年くらいの記憶がすっぽり抜けているんです。子どもが小さく子育てに手を取られ、毎日あわただしすぎて。インテリアのこととか考える余裕がなかったみたい」

 8人掛けのダイニングテーブルの上に換気扇を追加したのは、焼き肉のためだ。

「みんな好きなので、月に2回くらい焼き肉をします。でも思ったほど臭いを吸ってくれないの。音は凄いんだけど、吸い込む力は焼き肉屋さんみたいにはならないのね」

 表参道ヒルズもナチュラルハウスもカフェもレストランも何でもある。いいですね、と言うと、「越してきて間もなくは、前住んでいたところにあった緑がいっぱいの羽根木公園が恋しかったです。当時の青山は、オフィスやショップばかりで、ちょっと子どもを遊ばせるスペースがどこにもなかった。デパ地下ではなくて、小さな八百屋さんや魚屋さんがあったらいいのになと思うことも。下の娘は幼稚園に入るまでお友だちがいませんでした。外にあまり子どもが歩いていないので」とのこと。

 12年を経た今は自分時間もでき、ゆっくり青山生活を楽しんでいる。調理師の免許も持つ彼女のこと、この広いキッチンなら料理もさぞ楽しいことだろう。と思ったらいえいえと首を振る。

「高校生の息子はごはんを5杯おかわりするし、朝は二人の子どものお弁当作りにてんやわんや。夕食は、ちょっと凝ったものを作れば“何これ”と手をつけないし。結局お肉が中心のいつものメニュー5種類くらいをまわしているだけ。今は、とにかく量を作らなければいけないので必死。優雅に料理を楽しむのはまだ先でしょうね」

 あるけどなくて、ないけどある。だいたい人生はそんな具合にできている。次の彼女の12年がどうなっているのか、また訪ねてみたくなった。今度はないものはあるのだろうか――――。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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<1>深夜の鍋の前は、くつろぎの指定席

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