葉山から、はじまる。

<4> うまくいかなくても、海がある

 3・11から間もなく2年を迎える。クラウチマリコさんが、「ビーチマフィン」を葉山町一色から、今の逗子市桜山に移転してから、同じ時間がたった。

 2年前、前の持ち主だった根本きこさんから「cafe coya」の空間を引き継ぐことが決まったとき、クラウチさんには一つの決意があった。

「私はここから『新しいビーチマフィン』というストーリーを描いていこう、『coyaのパート2』にはしないでいこう。それが大切なことだと思ったんです」

 現在のビーチマフィンには、根本さんがcoyaを通して表現した美意識が、きちんと受け継がれている。それは、簡素でありながら、奥に深い豊かさを感じさせる、日本古来の「わび・さび」にも通じる感性だ。

「畳の部屋を板張りにしたり、縁側の建具を取り払ってサンルーム風にしたり、と、きこちゃんと潤士くんは、昔の家を自分たち流に変えていった。今でも建物をいろいろいじっていると、『あ、2人が、リスみたいにコツコツと巣作りしていたんだな』と、その跡を見つけることがあるの」

 そういうクラウチさんからは、やさしい笑みがもれる。

 coya時代からのファンも、ビーチマフィンに足しげく通ってくれる。

「そんなお客さまから『全然変わってないですね』といわれて、うれしいんですけれど、実は変わっているんです」

 クラウチさんがビーチマフィンで何よりも大事にしているのは「お客さまの笑い声」だ。

「coyaのときは、お客さまの間にも美意識のコードがあって、店内は図書館のような静けさがありました。そのシンとした空気が気持ちよかったのですが、私はあえてそこを変えていこうとしているんです」

 かつて、オーガニック食材の輸入卸をしていたときから、「仕事でも、顔と顔で信頼し合える関係」を求め続けてきた。ビーチマフィンでは、スタッフの親切な対応と、クラウチさんの明るい笑顔に、その思いが込められている。

「素人商売で区切りを見極められないから、ついついお客さまと話し込んじゃって(笑)」

 クラウチさんの思いは、持続可能なライフスタイルにもつながる。それを象徴する定期的な催しが「はかり売りマーケット」だ。

「『必要なものを必要なだけ買う』マーケットです。お買物には袋・容器をご持参ください」と、記されたチラシのラインナップは、長ネギ、小松菜、里いもなどの季節の野菜や、五分つき米、玄米、ゴマ、コーヒー豆ほか、スパイスやハーブ、それから食器用・洗濯用のソープ、シャンプーやオイルなど。どれも生産者の顔がわかる、オーガニック由来の品々だ。

「石油系のラッピングをやめたいな、とずっと思ってきたんです。葉山では容器を持ってきてくださるお客さまがいて、そうそう、こういう小さなことを広めていければいいんだ、と。究極の理想は、お客さまが勝手に量って、『いくらいくらでしたよー』と、勝手にお金を置いていってくださる形(笑)」

 それには日ごろからの、顔と顔が見える関係が必要になる。

「顔見知りでないとだめだから、人口が多いところではムリですよね。その点、逗子・葉山辺りでは、地元に根ざした信用関係がまだまだ残っているんです。しかもここは、私のような、よそから来た人間でも、すっと受け入れてくれる。やっぱり海があるからかな」

 クラウチさんにとって、生きる理想は「ボロ儲けはしないけど、ちゃんと回っている」というバランスにある。

「お金って使わないと入ってこない。知識もそう。自分だけ儲けよう、得しよう、という考えでは、結局、回っていかないんです。お金も知識も、お客さまやスタッフに還元しながら、来月はさらによくなるといいな、と希望を持ってやっていく。そういう日々をここで積み重ねていきたいですね」

 もちろん、いつもすべてがうまく回るわけではない。でも、うまくいかないときは、海を見る。海面は今日も陽を受けて、きらきらと光っている。(第1部 おわり)

PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

<3> それでも葉山にとどまった

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<5> みんなが社長で、みんなが社員

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