東京の台所

<7>遠くで電車の音がする、彼女の宇宙

〈住人プロフィール〉
 陶芸家、33歳。
 マンション・ワンルーム・東急東横線 学芸大学駅(目黒区)
 入居2年
 工房として使用

    ◇

 湯沸かし器越しの窓から、遠くに高架を走るマッチ箱のような東横線の電車が見える。

「この風景が好きで、ここに決めたようなものです。夕方、電車がガタコトと通り過ぎてゆくころがとくに好き。どこか懐かしい感じがします」

 と、陶芸家の住人は教えてくれた。

 コーポの1室だが広めのワンルーム。陶芸用の電気釜を入れ、作陶もできるし、仮眠用ベッドもある。台所の戸棚のほとんどは作品置き場となっていて、収納が豊富な所も気に入っている。

 この1室が彼女が独立してかまえた最初の窯場だ。住宅地にあるが、周囲に大きな建物がなく、二方の窓から心地よい風が入る。空も抜けている。

 個展が近づくと徹夜になるので、仮眠ベッドで休む。作陶中は食べない。ひとごこちつきたいときは、チャイやハーブティを入れる。だから工房の台所にお茶やスパイス類は欠かせない。

 そのかわり、トースターもフライパンもない。小腹が空いたら、土鍋で麺を茹でるくらいだ。どうしてもお腹が空くときは、ガスコンロのグリルでパンに野菜とチーズをのせて直接焼いたり、ちょっとアウトドアっぽい台所の使い方である。

 彼女の作品は白が中心で、ときどきほんの少しあそびのカーブがあったり、ブルーや薄茶の淡い色がのっている。縁が薄く広く上品で、フォルムが優美だ。女性にしか作れない独特のたおやかさがある。そして、どれも“静か”だ。

 台所も、そこにつながるワンルームの部屋もそうだった。東京・目黒の住宅地の中なのに静かで、かすかに風の音だけが聞こえる。だから、遠くの東横線の電車が通り過ぎる音まで耳に届くのだ。

 CD、本、食器棚。この部屋にだってたくさんのモノがあるはずなのに、彼女の美意識で集められたそれらはどれも、目にも耳にもうるさくない。

 器を見るとわかる。自分と対峙している時間が長い人だと思う。繊細でフラジャイルな美をまとっている。

「こんなのも作るんですよ」

 と差し出されたのは、銀の釉(ゆう)薬をまとった少し厚めの湯飲み。そう、それでもやっぱり繊細で静寂。けして雄弁な、私が私がと自分を主張するようなところがひとつもない。

 この台所で不満は?と訪ねると、「湯沸かし器」と答えが返ってきた。

「作陶の時は手がドロドロなので、蛇口をひねらずにポンと押せばお湯が出る湯沸かし器は便利なのですが、私の好きなこの小さな窓が塞がれてしまってちょっと残念なんです」

 私が作っていったさつまいもの茶巾絞りを、ほんのり空色がかった薄い仕上がりの平鉢にちょこんと置いた。空に浮かぶ月のように心落ち着く、まるで風景だ。

「久しぶりだな、人の作ってくれたおやつ食べるの」

 口に含んで静かに笑った。

 遠くで電車の音がする。ここは目黒というより、彼女の宇宙。混沌とした街のなかにありながら、たしかに彼女だけの特別な時間が流れている。そしてさしづめ台所は、疲れた魂を癒す場所だ。1杯のチャイやラム酒が、創作でヒートアップした魂を鎮静させる。そうやって彼女の中の“静寂”が毎日変わらずに保たれている気がしている。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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