東京の台所

<17>うさぎと柴犬と三つの窓の1Kで

〈住人プロフィール〉
 オペラ演出家(女性)、50歳
 賃貸マンション・1K・都営地下鉄大江戸線 清澄白河駅(江東区)
 入居3年築年数15年

    ◇

 長らくオペラ演出家をしている。本来3カ月で1本作る舞台を、バブル期には年に12本、つまり掛け持ちでこなしたこともある。千葉、国立、江古田と引っ越しをして、今は小さなマンションの1室に落ち着いた。

「弟と暮らしていたときは、もう少し広い家に住んでいました。彼が結婚したので、1Kの今の家に越してきたのです」

 6畳の部屋と3畳ほどの台所。7階の角部屋で、三方に窓があり風通しがいい。その台所を、柴犬が悠々と歩いている。今年2月、殺処分されそうになっていたのをひきとった。5年前から兎(うさぎ)も飼っているので、なかなかにぎやかな空間である。

「仕事は震災以降とくに減りました。演劇や音楽は、不況で最初に削られるジャンルですからね。今、柴犬の“うたこ”の接種をしたり、アレルギー治療をしているので、とくに出費が痛いです」

 2007年にキリスト教の洗礼を受けた。信仰が、今も自分の中心にある。

 洗礼と同時期に、たくさんのものを手放した。

「30リットルのごみ袋を30個捨てました。過度にものを持ちたくない、身軽でいたいと思うようになったのです。今は物欲はありません。たくさん持ってもしょうがないですし、そもそも経済的に持てませんから」

 弟がうつ病に苦しんできたこと、自身も血腫や神経性胃炎を患ったこと、現在は仕事が少ないことなどを、明るくさばさばと語る。

「少し前の私なら、台所なんて人様に見せたくないし、こんな風に自分のことを初対面の人に話せなかったと思います。信仰では、自分を捨て、神に委ねるという教えがあります。出会いは用意されたものだと思うのです。自分を捨てて神にすべてをゆだねるのはとても難しいこと。でも、いいことも悪いことも恵みと思える自分になりたい。そう思って少しずつ自分を開くようにしていったら、だんだん心が楽になってきました」

 荷物を軽くしたのも、委ねることに繋がるのかもしれない。もともと、押し入れは捨てられない衣装や小道具であふれ、物欲が強いし、業(ごう)の強い人間だったと、本人は振り返る。

 悩み多き日々だったが、心を開くことがどれほど大切か、最近になってやっと分かってきた。

 部屋はペットが飼えることと風通しがいいことを基準に選んだ。場所へのこだわりは特にない。ついでに、食べる物にもこだわりがない。

「今は体調を考えて、朝は玄米と野菜のおじや、ヨーグルト、夜は野菜と、毎日決まったものを食べています。食べろと言われたら、1年間、毎食同じ物でも平気です」

 だからといって暮らしをおざなりにしているのではない。毎朝、部屋はもちろん玄関、棚、台所、風呂、トイレ、すべての拭き掃除をする。それは20代の頃からの習慣である。

「気持ちがいいし、風水的にも浄化され、運気が上がるんですよ」

 お気に入りのパワーストーンのネックレスを掛け、疲れるとヒーリングマッサージを受けたり、フラワーエッセンスという植物の自然療法を活用する。

 暮らし方は人それぞれだ。正解も不正解もない。信仰も風水も、この人にとって必要なものだった。そうやって自分の心のあやしかたを自分なりに探りながら、東京に根を張ってきた。道はこれからも続く。その過程に迷いや逡巡があったとしても、また彼女なりの方法で切り開いていくのだろう。

「人が多かったり、いろんなスピードが速すぎるのはいいとは思わないけれど、東京が好き。ここにいると、息ができる気がする。結局、うまが合うんでしょうね、この街と」

 磨き込まれた台所のステンレスの壁に、昼下がりの5月の光が映り込んでいた。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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