東京の台所

<19>専業主婦を極めた、誇り高き仕事場

〈住人プロフィール〉
 主婦、55歳
 持ち家・4LDK・山の手線、駒込駅(豊島区)・築21年
 夫(65歳、脚本家)、娘(17歳)と3人暮らし

    ◇

 独身か、既婚か。共働きか、専業主婦か。女の人生は、なにかと対立して語られがちだ。そのなかで、ときに主婦という言葉は軽んじて響くときがある。しかし、彼女の台所を見ると、それは違うとはっきり思えてくる。

 食器棚の引き出しは、子どもの弁当箱のベルトや爪楊枝やバレンが一つ一つくるくると束ねられ、菓子の小箱で仕切られている。別の引き出しには、コンロを磨くためのボロ布がカットして納められている。スープやお茶漬けの小袋は、一目で取り出せるように種類別に分けて収納されている。

 流し台の下を開ければ、ゴミ袋のサイズ別に空き箱が用意されている。その箱には、100円ショップで買ったかわいらしい包装紙が貼られていた。間違いなく、主婦という仕事に誇りを持ち、知恵を使って暮らしを整える工夫を全力でしている人の台所だ。

「母も、桐箪笥(だんす)の引き出しに和菓子の箱を区切って入れるような人でした。その影響は多少あるかもしれないですね。私はもともと、ずぼらなんです。探し物をできるだけしないように工夫しただけ。それに、いやなことがあったとき、引き出しの中を片づけるとストレス解消になるんですよ」

 と、住人は笑った。

 シンクの上には、できるだけものを置かないようにしている。それも掃除をしやすくするためだ。

「スパイスをガラスびんなんかに入れて並べたらオシャレだろうなって思うけど、埃や油汚れがつくでしょう? しまったほうがラクです。どうやったら手早く掃除できるかを考えると、けっきょくしまうことになるのです」

 独身時代、料理教室に5年間通った。そのときの手書きのノートは、20年余たった今も大切な料理のバイブルだ。開くと、楷書体のきれいな字が整然と並んでいる。レシピだけでなく、道具の使いかた、旬の食材、テーブルマナー、コーディネート……。そこで教わったことのすべてが礎になっているのだろう。先生は、海外を行き来する大手企業の重役をしている夫を持ち、自身もまた良家の子女だった。

「今でいう料理家ですね。卒業するときは、お嫁入り道具よと言って、ぬか床セットを樽(たる)から一式くださいました。おひとりで和洋中からおやつまで全部教えてくれました。若い子がとても行けないような一流レストランにも連れて行ってもらい、マナーの勉強をしたこともあります。あんな料理教室ないですよね、きっと」

 片付け上手の母や料理の先生に教わった知恵は、今の暮らしに存分にいかされている。

 かつては大企業の秘書を務め、海外勤務の経験もあるという。それでも結婚と同時にすぱっと家庭に入ったので、テレビ業界に勤める夫からある日、こう言われたそうだ。

「結婚しても社会で働く女の人が増えてきた。君はもう働かないの?」

「私はいい子を育てて、いい国にするのが目標なの。働いたらきっと離婚することになると思うから、家庭に入るわ」

 なぜ離婚になるのか、聞かなくてもわかる。きっと、仕事も家庭も一生懸命やりすぎてしまう性分なのだ。結婚してから今までの家族全員の病歴や、親戚の冠婚葬祭の記録、家族旅行で行った地名と日時を年代順にリストにしている。それを縮小コピーして、毎年自分の手帖に貼り替えるのが年頭の習慣だという。おそらく、秘書時代もこうだったに違いない。

 なにもかもにぬかりがなくて、きまじめで、きちんとしている。

 仕事も家事も子育ても両方きちんとできる人もたくさんいるだろうが、自分自身が楽しみながら、こんなふうに完璧に家のことをこなし、家族の喜びを自分のものとする生き方があってもいい。自分はそちらに集中したいから仕事をあきらめると、きっぱり決めて生きてきた人の台所は、すみずみまで清潔で、整然としていて、使いやすそう。そしてよく磨き込まれたこの鍋とレシピノートから、きっと毎日おいしいものが生みだされているのだろうなあと、勝手に想像して生唾(なまつば)が出るのであった。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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