花のない花屋

【特別編】競泳人生を輝かせてくれた平井先生へ 寺川綾

  

〈依頼人プロフィール〉
寺川綾さん 29歳 女性
東京都在住
ミズノ勤務

    ◇

「よく、いまの泳ぎ方でここまでやってこれたね」

平井(伯昌)先生から、初めて直接かけられた言葉でした。その一言で、背泳ぎの泳ぎ方も考え方も含めて、いまのままではいけないということは理解できました。でも、何がいけないのか、どうすればいいのかはわかりませんでした。

私が平井先生の指導を受けたいと思ったのは、2008年春の北京五輪代表選考会が終わって数カ月後。私は五輪に出ることができなかったものの、なんとか前に進もうと必死でした。北京五輪で金メダルを獲った北島康介さんをはじめ、世界で勝てる選手を育ててらっしゃる先生に、どうしても見ていただきたいという思いが募りました。

きっと、何か見つかる――。

そんな期待を胸に「チーム平井」の門をたたくと、驚きの連続でした。先生が自ら水中カメラで選手の泳ぎを撮影して、すぐにパソコンで確認しながら泳ぎを修正したり、分析をしたりするんですから。もちろん、代表合宿などでは経験がありましたが、これが日常だなんて。先生はとても勉強熱心で、選手一人ひとりを緻密に分析して、トレーニングを組み立てていく。どんなときも日本の水泳界のことを考えながら、いつだって本気で向き合っているんだ、ということが伝わってきました。

プールを離れても、同じ門下生で、ロンドン五輪のメドレーリレーのチームメイトでもある上田春佳さん(自由形)や加藤ゆかさん(バタフライ)たちといつも一緒でした。遊ぶときも、食事をするときも、何をするときも。合宿中のオフも、先生と博物館やショッピングに出かけましたよね。まるで本物の家族のようで、個人の思いだけではなく、チームで世界を目指しているんだということを強く感じました。

いまだに忘れられないのは、3年前に年越しを迎えた中国でのこと。体調を崩して合宿に3日遅れで合流した私に、先生はこう言ったのです。

「俺にうそつくなよ」

世界の頂点を目指すからには、隠し事とか疑問とかすれ違いがあってはいけない、と。今までいろんなコーチに見てもらいましたが、当たり前のことを改めて言う人は初めてでした。

先生は男性だし歳も離れてるし、先生と選手という間柄だけど、とても親しい友人に言われたような感覚でした。そのくらい、近い存在になっていたのだと思います。

オフ明けには必ず、「綾、昨日何してたの?」と聞かれました。これは先生なりのコミュニケーションの一つだったのでしょう。自然と自分のこともチームのことも信じられるようになっていきました。すると、レースでも自分の力を出し切ることができるようになっていったのです。

このころから、世界で戦うことが楽しみになっていました。それまではコンディションが悪いと、国内の大会でも「負けてしまうかも」と弱気になっていたのに、どんなときも負ける気がしない。ライバルとの勝負ではなく、自分の目標をクリアすることに目的が変わっていたからです。そう、「競う」というのはこういうことなのか、と感じるようになりました。自分より実力が上の世界のトップとどんな争いができるのか、「自分の力を試す」ことが楽しみになったのです。

競泳は個人競技だけど、チームみんなで世界の頂点を目指す思いを共有することが、大きな力になっていたのだと思います。

11年には世界選手権で初めてメダルを獲りました。狙っていた100、200メートルではなかったけれど、大きく前進した年でした。

12年のロンドン五輪では絶対に金メダルを獲ると信じていました。結果は100メートルで3位に入り、メドレーリレーでも銅メダル。表彰台に上るまではうれしかったけれど、隣りに立つ選手の金メダルが見えた瞬間、悔しさでいっぱいになりました。「最後のレース」、やっぱり金メダルが欲しかったんです。

だから13年のバルセロナ世界選手権に挑むことにしました。だけどまた、1、2、3位が五輪と同じメンバーで同じ順位でした。悔しかったです。いろんな人から銅メダルに触れられるたびに、こうしていくうちに色がはげて金にならないかと願ってしまいます。今でも、金メダルが欲しいです。

昨年暮れに現役を退きましたが、「私はまだまだやれる」と思っています。でもすり切れるまでがんばるのではなく、輝いたまま「卒業」したいと思いました。どん底だった時期もあったけれど、キラキラした気持ちで新しい人生を迎えることができたのは平井先生に出会えたからです。

これからは水泳界のためにできることを私なりに見つけていきたいと思っています。「これからもよろしくお願いします」という気持ちを込めて、忙しい先生にリラックスしてもらえるような花束を贈りたいです。男性に花束を贈ることはなかなかないので迷いましたが、黄色と迷彩柄が大好きな先生をイメージしたアレンジをお願いしたいと思います。

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てらかわ・あや
1984年、大阪府出身。近大出。高校2年で世界水泳に出場し、注目を集める。アテネ五輪200メートル背泳ぎ8位。ロンドン五輪100メートル背泳ぎ、メドレーリレーで銅メダル。13年、世界水泳50メートル、100メートル背泳ぎで銅メダル。12月に引退。

  

花束を作った東信さんのコメント

おふたりは互いに認め合った関係だと感じ、その絆を表現したいと思いました。「愛」にはいろんな形があります。花で愛を表現すると甘くなると思われがちですが、甘いものではなく、アスリートらしい力強さとさわやかさが感じられるような「愛」を形にしたいと思いました。

「まだまだやれる」という溢(あふ)れるような寺川さんの思いが、プールに飛び込んではじける。そんな躍動感とみずみずしさにこだわりました。

中心に伸びているのは、芯の通った日本美人の寺川さんを表すラッパスイセン。その周りで華を添えるのは、チューリップ。平井先生がお好きな「黄色」のバラ、カーネーション、マリーゴールド、キク、「迷彩」にはカラテア、ベコニアの葉などを使いました。ミントやゼラニウムといったハーブの香りがさわやかさを演出してくれます。ほかにも、やさしさを感じられる菜の花やフリージアなど、全部で30種類以上の花材を使いました。

松、ゼンマイなどを使って、日本を代表するおふたりらしく「和」の要素も。冬から春に向かう季節感をかもしだし、明るく前向きになれるアレンジを心がけました。

「これから」の関係をさらに育てていかれるであろうおふたりを思って、ヒヤシンスの球根を挿してあります。コップに水を入れて挿しておくと芽が伸びてきます。さまざまな色の花が咲きますので、どんな色がいくつ咲くか楽しみにしていただければと思います。

  

  

  

  

寺川綾さん(撮影 石野明子)

寺川綾さん(撮影 石野明子)

(写真・椎木俊介/ライター・宇佐美里圭)

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フラワーアーティスト・東信 (あずままこと)

【特別編】競泳人生を輝かせてくれた平井先生へ 寺川綾

1976年生まれ。
2002年より花屋を営み続け、現在は東京・南青山にてオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。2005年よりフラワーアーティストとして、ニューヨーク、パリ、ドイツ、ブラジル等、国内外で精力的な活動を展開。独自の視点から花や植物の美を表現し続けている。
作品集に「ピエール・エルメ サティーヌ」「ENCYCLOPEDIA OF FLOWERSII 植物図鑑」(ともに青幻舎)など。

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PROFILE

椎木 俊介(写真)

ボタニカル・フォトグラファー

2002年、東信とともに、銀座にオートクチュールの花屋「JARDINS des FLEURS」を構える。東が植物による造形表現をはじめると時期を同じくして、カメラを手にし、刻々と朽ちゆき、姿かたちを変容させていってしまう生命のありようを写真に留める活動に傾倒していく。日々、植物に触れ、その生死に向き合ってきたからこそ導き出すことのできる、花や植物のみが生来的に有する自然界特有の色彩や生命力、神秘性を鋭く切り取っていく。

2011年に初の作品集となる東信との共著『2009-2011 Flowers』(青幻舎)を発表以降、常に独特の視点ですべての東の作品を捉え続け、近年は映像制作にも力を入れ、多岐にわたる活動を行っている。


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