東京の台所

<54>ビルになっても「大正時代」のままに

〈住人プロフィール〉
 カフェ店主(女性)・54歳
 分譲マンション・京王井の頭線 下北沢駅(世田谷区)
 入居4年・築4年
 夫(賃貸業・53歳)と2人暮らし

 大正時代、夫の祖父が千葉から下北沢に出てきて竹屋を始めた。商売は成功し、義父、夫が受け継ぎながら、家具の修理、下宿屋、骨董(こっとう)屋と手広く展開。1937(昭和12)年築の自宅は最近まで、2階にカフェや雑貨屋が入る、下北沢の隠れたランドマーク的存在だった。

 夫が子どものころは、下宿として使われており、学生運動家やホステス、役者の卵などが間借りして、毎日のようにいろんな事件が起きていたらしい。

「突然、警察が来て、下宿人がクスリで逮捕されたり、ホステス同士がとっくみあいのケンカになったり。まあ本当に色々あったよ」

 そう、夫は振り返る。

 そんなテレビドラマのようなできごとが日常茶飯事の家に、妻は18年前、九州から嫁いできた。当時は姑(しゅうとめ)と大姑(おおじゅうとめ)が健在だった。

「土間があって襖(ふすま)の奥にこたつがあって。昼間から女3人こたつにあたっているんです。そういう習慣がなかったので慣れるのに時間がかかりましたねえ」

 と住人は振り返る。

 なんでもずばずば言う厳しい姑のもとで家事や商売の作法をならい、姑の晩年は介護をし、嫁としてのひととおりの苦労は経験した。

 2009年、あまたのドラマを生みだしてきた家は老朽化のため解体し、ビルに建て替えた。今は1階でカフェをきりもりしている。

「下北沢って昔から住んでいる人が多くて、お年寄りも職人も多い。意外と田舎と似ているんです。前の家は、通りに面して茶の間があったから通行人が見えるんですね。知っている人が通ると、夫が『あ、寄って行きなよ』なんて言って、そのまま一緒にご飯を食べて宴会になっちゃう。料理を作らなきゃなので、毎日のように誰かしら来るのは疲れちゃいますけど、でもそういう人のつながりは下町みたいでいいなあと思います」

 今は、最上階の7階に住んでいる。シンクの前には大きな窓があり、町が見下ろせる。

「部屋が明るいというだけで、気持ちって前向きになれますよね。この台所に立つと元気になれるというのはあるかもしれません。眺めが良くて、作業台が広いところも気に入っています」

 夫は、ダイニングテーブルの窓から通りを見下ろすのが習慣だ。

「誰か知っている人が通らないかなあって探しちゃうんだよね。で、見つけたら窓を開けて『おーい、上がって来なよー』って、つい言っちゃうんだ」

 ビルになっても、人との距離感は木造家屋時代のままなのである。

>>台所の写真はこちら

東京の台所バックナンバー

PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
<記事のご感想・メッセージはこちらへ>
http://www.kurashi-no-gara.com/

<53>関西生まれの30歳、浅草の嫁になる

トップへ戻る

<55>結婚20年。デートが増えた夫婦の新居

RECOMMENDおすすめの記事