葉山から、はじまる。

<50>店を支える「葉山のアトリエ」の記憶 「sahan」

  

 きのこのスープ、厚揚げとほうれんそうのスペイン風オムレツ、レンコンと豆のマリネ、大根の梅あえ&さつまいものハニーマスタードあえ……。月替わりの一汁三菜を中心に、1週間おきに主食をご飯かパンに変えていく。高階美佳子さん(38)がひとりで切り盛りする「sahan」のメニューは、簡素にして、豊かなおいしさに満ちている。

 そんなメニューにぴったりと寄り添うのが、シンプルでぬくもりのあるインテリアだ。

 店を持つことを決めてからは、休みのたびに不動産屋に顔を出し、「いい物件があったら知らせてください」と頼み続けていた。ピンとくるものに出会えない中、あきらめずにいたら、ある日ついに「本命」がやってきた。

 鎌倉駅のホームから見える、JRの線路沿いの建物の2階。もとは鎌倉彫の教室とギャラリーだったという室内は、想像以上の広さで、一瞬、ちゅうちょはしたが、窓から見えた駅のホームの光景に心を奪われた。その窓側を店舗にして、後ろにこぢんまりとしたギャラリーを併設しよう――イメージがぱあっと広がっていった。

 店は、窓際のカウンターに8席、ホールのふたつのテーブルに8席。お客さんは入ったところにあるキッチンのカウンターで注文と支払いを済ませ、料理や飲み物ができたら、自分で取りにいく。満席になってもバランスが崩れないインテリアと導線は、事前に考え抜いたものだ。

「両親からは『家賃を払いながら店を成り立たせるって、どんなに大変なことか!』と心配されましたが、私自身はやってみないとわからない、やらないときっと後悔する、と思ったんです」

 いつかお店を持つことを念頭に、雑貨店やドーナツ屋さんで仕事をした経験から、店の運営にとって最も重い要素が人のマネジメントだ、と学んでいた。そこで高階さんが自分に課したのはただひとつ、「ひとりでまかなうこと」。でも、本当にひとりでできるのだろうか。

 そんなとき、チャンスがめぐってきた。

「三浦半島に友人の食堂があったのですが、彼女に赤ちゃんができて、しばらく店をお休みすることになって。『だったら』と、その後を継いで7カ月の間、食事作りと接客をしてみることになりました」

 その「食堂みなと」は、三崎港にあった古い建物を、大工であるだんなさんが改装したもので、料理とともに空間にも根強いファンがいた。sahanの改装でも、そのだんなさんが大工として、おおいに腕をふるってくれた。

 2011年の1月に会社を辞め、2月から8月まで三崎の食堂を運営。7月にsahanの物件契約をして、内装がスタート。大工さんのかたわらでペンキ塗りを担当し、11月にオープン。その間には、「師匠」だった永井宏さんの訃報にも接した。東日本大震災が起こった年は、高階さん個人にとっても忘れがたい1年だった。

 そこから3年めの今。経理もギャラリーの運営も掃除も、と、やることはたくさんあるが、店に来た友達が「手伝うよ~」と、洗いものを担当してくれたり、常連のお客さんがテーブルをきれいに片付けてくれたりする。そんな周囲の厚意も、自然に受け取れるようになった。

 大好きな鎌倉に住むこと。そこで店を持つこと。一歩一歩、着実に歩みながら、折々にいい出会いを重ねて、夢をかなえてきた。その途中にあったのが、永井宏さんのワークショップに参加するため、葉山のアトリエに通った日々だ。

 店を開こうとして会社を辞めたとき、永井さんから「体だけは気をつけなさい」と、お父さんからのようなメールをもらった。高階さんはときどき、その文面を思い出して「がんばってます!」と、心の中でつぶやく。鎌倉と葉山は、こんなふうにしてつながっている。

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PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

<49>通勤途中、鎌倉駅ホームで見つけた物件 「sahan」

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<51>流通業離れ、カフェ「日曜日が待ち遠しい」

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