葉山から、はじまる。

<52>1杯のコーヒーという「表現」を通して

<52>1杯のコーヒーという「表現」を通して

 堀内隆志さん(46)が鎌倉に「café vivement dimanche(カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ)」をオープンした1994年は、生き方の価値観が大きく転換する節目だった。バブル経済の終わりとともに、派手で大げさでお金がかかるものは時代遅れとなり、身の丈にあったセンスのいい暮らしというものがクローズアップされるようになったのだ。
 それ以前の日本社会に根強かった「大学を出て就職をすれば人生は安泰」という“神話”も、どんどんくずれはじめ、堀内さんのように、会社を辞めて自分の店を持つことが若い世代のあこがれにもなった。
 独立してから20年。その間、「何回か危機はあったけれど、モチベーションが途切れたことはありませんでした」と、堀内さんはいう。
 開業20年と聞くと、「え、もうそんなに?」と驚いてしまうほど、常に新鮮なイメージがある「ディモンシュ」は、折々に小さな変化を重ねてきた。
 最初はパリにあるカフェのイメージからスタート。日本の喫茶店のよさも残して、オムライスなどヒットメニューを打ち出すとともに、カフェ・カルチャーを扱うフリーペーパーも発行して「珈琲(コーヒー)+α」を発信し続けた。
 21世紀になり、街にはカフェ・ブームがやってきた。2002年、「ディモンシュ」のお客さんの要望を受けて珈琲豆の量り売りをするほか、オリジナル・グッズやブラジル雑貨を扱う2号店「dois(ドイス)」を、歩いて数分の場所にオープンした。
 ブラジル雑貨をテーマにしたのは、そのとき、堀内さんが「ブラジル音楽」に深くハマっていたからだ。カフェの雰囲気は、フランスの「ヌーヴェルバーグ」からブラジルの「ボサノヴァ」へと微妙に色合いを変えていったが、どちらも「新しい波」という意味では共通していた。
 この年にブラジルに旅をしてからは、ブラジル熱がいよいよ本格化し、3年後には「ディモンシュ」の隣りにブラジル音楽を扱うマニアックなCDショップ「claro(クラーロ)」も開いた。その間、カフェの店主だけでなく、ラジオやクラブのDJを務めたり、「ボサノヴァのミューズ」といわれたナラ・レオンの伝記の監修をしたりと、活動の幅はぐっと広がった。
 しかし現在、「ドイス」も「クラーロ」も、もう店はない。
 11年3月11日。東日本大震災の後、鎌倉でも葉山と同じように、街から出ていく人が相次いだ。計画停電が行われた繁華街では、休業する店が続出。その中で「ディモンシュ」は翌日から店を開けた。電気が使えないのなら、店の照明は陽の光で。電動ミルの代わりに手動のミルで珈琲豆を挽(ひ)いて、ガスで沸かしたお湯を使って、1杯1杯、珈琲を淹(い)れた。
「それまでは、外の仕事が入ると、店を留守にすることが多かったのですが、このときに『自分がすべきことはこれだ。僕は珈琲でやっていく』と、強い決意が湧き上がってきたんです。2店を畳むことを決め、以来、店でお出しするドリップ珈琲はすべて、自分の手で淹れるようになりました」
 フランスが好き。ブラジルも好き。映画も音楽もアートも好き。カフェを開いてから、興味の扉は次々と開き、世界が広がっていった。そして、そこから本業の「珈琲」に対する思いも、どんどんと深まっていった。
 かつて、故・永井宏さんが主宰していた葉山のサンライトギャラリーに通っていたころ、絵やオブジェを通して「表現」を行う仲間をうらやましく思っていた。しかし今では、珈琲を焙煎(ばいせん)し、抽出することが自分の求めていた「表現」だと思っている。その心境とシンクロするように、街には「スペシャルティ」とよばれる、産地ごとの味わいを生かす珈琲文化の波が来ている。
「永井さんは亡くなる直前に、よく『共有』という言葉を使っていました。店を続けていると、ふとした瞬間に、『あ、それってこんなことだよな』と思う。チェーン店とは違う形の店を営む僕にとって大事な言葉です」
 自由な表現という目に見えない価値が、1杯の珈琲から共有されていく。
(次回は3月21日に掲載予定です)

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PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

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