東京の台所

<58> ピカピカの台所とおばあちゃんの片手鍋

〈住人プロフィール〉
 会社経営(女性)・48歳
 戸建て・3LDK・JR山手線 恵比寿駅(渋谷区)
 入居4カ月・築4カ月
 夫(共同経営・55歳)、長女(8歳)と3人暮らし

 大学生のとき、祖母と母を立て続けに亡くした。だから、料理をもっと習っておけば良かったと後悔している。
「病気がちな母に代わって、小さな頃から祖母がよく作ってくれました。そのどれもがおいしくて。でもじつは、祖母は料理が上手だったのだなと気づいたのは大人になってからなんです。京都の小料理屋でおばんざいを食べたら、『ああ、これおばあちゃんが毎日作ってくれていた味だ』って思い出したんです」
 大阪出身の祖母は薄味で、上品に仕上げる。正月の棒鱈(ぼうだら)や黒豆、夏はそうめんとなすと干しエビを炊いたん(関西では煮物を「炊いたん」と言う)、煮付けを作った翌日は煮こごり。なんでもおいしかった。ただ、それが毎日、食卓に並んでいたので、当たり前のことすぎて、とびきりおいしいことに気づかなかったのだ。
「舌が味を記憶しているんですね。亡くなってから気づくなんて遅すぎですが……。関西ではおせちに棒鱈を食べるのですが、祖母のは甘辛くて本当においしいんです。今でもお正月が来ると、ああ、あれ食べたいなあって無性に思いますね。東京にはない味です」
 小学校2年生の一人娘は、ポテトチップスやケーキより、するめや焼き海苔(のり)や柿の種が好きらしい。なぜか3~4歳の頃から好きだった。
「朝は、白いご飯に塩昆布と焼き海苔。わかめとネギのみそ汁があればいいって言うんです。トーストにジャムとかむりですね。絶対に白いご飯をくれって。おかしいでしょう?」
 チーズや生クリーム、クッキーやスナック菓子も苦手とのこと。酒のつまみか、お年寄りのお茶請けみたいですねと言うと、「そうなの!」と住人は笑った。
 長年住み慣れた恵比寿に家を建てて4カ月。世田谷に越すという案もあったが、ママ友も子どもの幼なじみもみな、この街にいる。居心地がよくて気に入っているという。
「仕事の都合でしばらく住むつもりが、まさか家まで建ててしまうとは想像していませんでした。でも、この界隈には、古い家が残っていたり、近所に八百屋さんもあります。食品は三越や成城石井も利用しますが、週末に開かれるファーマーズマーケットや八百屋さんでも、よく買いますね」
 新築の台所で、お気に入りの器や料理道具をなにかと尋ねた。
「あんまりそういうの、こだわらないんですよねえ……。あ、そういうえばあれがあった! 主人から、もう古いからそろそろ買い替えようよって言われてるのに、捨てられないの。大きさや厚みがちょうど良いんですよね」
 そう言いながら、シンク下からなにやら取りだした。それを見て夫も、
「そう、古いんだけどたしかに使いやすいんだなあ、これが。結局、毎日使っちゃうだよねえ」
 と苦笑する。
 それは、祖母が使っていた片手鍋である。もう50年以上になるというが、よく磨かれているようにきれいだ。
「無精だから磨いてないんですけど、毎日使うたびにごしごし洗う。だから多少きれいに見えるのかもしれません」
 するめをおやつにする孫と、新しいピカピカのキッチンで半世紀前の片手鍋を今も愛用する娘。おばあちゃんの遺伝子は、この恵比寿の家に脈々と受け継がれている気がする。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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<59>原点は、新婚時に招かれた上司の家の食卓

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