葉山から、はじまる。

<53>世界の布扱う生地屋で手仕事の香りを

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 JR鎌倉駅の西口。スーパー紀ノ国屋の前を南北に通る「今小路」は住宅街の道路だが、鎌倉らしい家並みの中に小さなお店が点在する様子は、歩いていて飽きない。
 その今小路に、小山千夏さんのお店「fabric camp(ファブリック・キャンプ)」はある。大きなガラスのドアの向こうには、店名の通り、さまざまな生地たちが並んでいる。主にインドやアフリカなどのコットン、リトアニアのリネンなど、それぞれの模様や色彩に、各国の風合いが映し出される。
 実はこの場所は、「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」の堀内隆志さんが、珈琲豆の量り売りと雑貨を扱う2号店「ドイス」を出していたところ。2011年の東日本大震災を機に堀内さんが店を閉じた後に、小山さんが出店した。
 小山さんと堀内さんの縁は、美術作家の故・永井宏さんが葉山で主宰していた「サンライトギャラリー」(1992年~95年)にさかのぼる。会社員時代にギャラリーに通い詰めていた堀内さんは、そこで永井さんの片腕として働いていた小山さんとも意気投合し、お茶やお酒を片手に、3人でしょっちゅうおしゃべりに興じた。堀内さんが会社を辞めて、カフェを開くと決めたときも、物件探しに付き合ったのが小山さんと永井さん。長い付き合いなのだ。
「といっても、この場所は堀内くんから託されたわけではなく、自分で決めた場所なの」
 東京で生まれ、逗子、鎌倉で育ち、美術大学を卒業した小山さんは、80年代後半にアパレル会社に勤めて、販売促進の仕事を担当していた。
「もともと作ることは好きなのですが、決まりきったルーティンを続けていると、頭が痛くなるタイプ。会社勤めは向いてないなあ、と自分で思って、ある日、ふらっと辞めちゃったんです。ほら、当時はバブルでしたから(笑)」
 絵を描こうと思いながら、ひとりでやっていることに行き詰まりを感じていたという時期に、知人の紹介で出合ったのが、ギャラリー運営のパートナーを探していた永井さんだった。
 店番をしながら、みずからも展示・表現を行う作家として、小山さんはギャラリーに欠かせぬ存在となった。店番の合間に彼女が針金で作ったエッフェル塔は、今でも語り草になっているほどだ。
「でも、永井さんと私って、経営にはまるでボンクラなふたり。訪ねてくれた人たちとお茶して、おしゃべりしてって、そういう思い出ばっかりですね(笑)」
 ギャラリーを畳み、葉山町一色のアトリエでワークショップをはじめた永井さんとは、その後も付き合いが続いた。震災前に、ワークショップに参加した、永井さんの教え子の“第2世代”が、アトリエにあった本をもとに期間限定の古書店「一色海岸書店」を企画したときも、店番をする約束をしていた。
 その永井さんは「一色海岸書店」を見ることなく、11年4月に亡くなる。小山さんは約束どおり店番を務めたが、サンライトギャラリーや一色のアトリエという、さまざまな人が集まった「場」の主を失って、しみじみ思った。
「場所がないと、人には出会えない」
 そんな中、堀内さんが「ドイス」を閉めると聞き、店を開くことを決意する。そこは住まいの近くで、毎日通るなじみ深い場所だった。約4坪という「狭い感じ」が気に入った。坪数はささやかでも、大きなガラスのドアは目の前の今小路につながって、空間が大きく感じられる。日あたりのいい今小路は、元気に小学校に通う息子さんの通学路でもある。
 カフェでも雑貨屋さんでもなく布を扱う店にしたのは、「生地屋さんなら、ものづくりの手伝いができるかな」と思ったから。
 生地は、インドのものを中心に、自分が好きな風合い、手仕事の跡が残るものを選んでいる。
「一見、何ともないような布ですが、インドのコットンは、手紡ぎ、手織りだったり、縞模様を手でプリントしていたり、と、とても手がかかっているんですよ。日本の布地とはまた別の、人の素朴な手仕事に接すると、その背景を想像したくなる。手で作られたもののすばらしさを実感します」
 生地をそのまま買うことはもちろんだが、頼めば、店内にある見本のように、ワンピースやパンツに仕立てることもできる。
 店ではミトン作りのワークショップなど、小山さんの好きな作家や、紹介したいものの展示を定期的に催して、地域の裁縫好きが集まる場所にもなった。
 永井さんは、新しい暮らしの価値観として、「ネオ・フォークロア」という概念を提唱していた。アメリカ西海岸に端を発する、手仕事を重視した文化運動を葉山流に読み解いたものだ。
「人が普通に生きて、普通に積み上げてきたものを大切にしたいな、ということなのですが」
 小山さんは終始、飄々(ひょうひょう)と語るが、ファブリック・キャンプの底に流れるのも、ネオ・フォークロアのスピリット。永井さんが蒔(ま)いた種はいろいろなところで芽を出しているのだ。

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PROFILE

  • 清野由美

    ジャーナリスト。1960年、東京都生まれ。東京女子大学卒。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。英国留学、出版社勤務を経て、91年にフリー。先端を行く各界の人物インタビューとともに、時代の価値観や感覚、ライフスタイルの変化をとらえる記事を「AERA」「朝日新聞」「日経ビジネスオンライン」などに執筆。著書に『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(隈研吾と共著・集英社新書)、『ほんものの日本人』(日経BP社)、&w連載「葉山から、はじまる。」を1冊の本にまとめた『住む場所を選べば、生き方が変わる――葉山からはじまるシフトチェンジ』(講談社)など。

  • 猪俣博史(写真)

    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。本連載のほか、&travelで「太公望のわくわく 釣ってきました」の執筆と撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

<52>1杯のコーヒーという「表現」を通して

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<54>誰かの犠牲の上に成り立つ暮らしと訣別

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