東京の台所

<66>母にカレーを作る、料理好き25歳男子

〈住人プロフィール〉
 美容師(男性)・25歳
 賃貸マンション・1LDK・京王線 笹塚駅(渋谷区)
 入居1年・築20年
 妻(ヘアメイクアーティスト・25歳)、長男(0歳)との3人暮らし

「男3人でシェアハウスに暮らしていたときは、よくパスタとか作ってました。今ですか? 結婚して引っ越したので簡単なやつばっかです。野菜にマスタードとオリーブオイルであえたドレッシングをかけて生ハムのせるとか」

 業務用スーパーで、エイヒレを買ってきて酒のつまみにしている。マヨネーズに柚(ゆず)七味か善光寺の唐辛子を添えたディップにつけて食べている……。

 行きつけの美容室で髪を洗ってもらいながらそう聞いて、ひょっとしてこれは、と思った。

「台所の連載に出てくれない?」

「いっすよー」

 彼は、節操のない私の依頼を二つ返事で引き受けてくれた。

 本当に料理がうまい男性は、凝ったものは作らない。ありあわせのものでちゃっちゃと作る。柚七味なんていう単語が出てくる時点で料理好きとみたが、予想は当たっていた。

 タイカレーが得意で、さまざまなスパイスがすぐ手の届くところにある。子どもが生まれるまでは、仕事を終えた美容師仲間が毎晩のように訪ねてきては、酒をのみ、食事をしていった。静岡にいる母直伝のビーフシチューや角煮もよく作る。

 ちなみに妻も料理をするが、彼が台所に立つときはなるべくのぞかないようにしているらしい。

「だって、ニンジンをまだ食べられる部分までどーんと豪快に切って捨てちゃうから。もったいないのでついつい文句言っちゃうんです。でも私も働いているので、作ってもらえるのはありがたいから、見ないようにしようと決めました」

 そう言って、彼女は笑った。聡明だ。

 彼は18歳で上京してきたときは、あまり料理を作らなかったという。あとさき考えず、いい食材を買い込んでしまうので割高になるからだ。

「俺のカレーは外で食べるより高くなっちゃうんですよ」

 男の料理ってそういうもの。恋人なら気にならないけれど、家計を握る妻の身になると、ちょっと困ったりする。もっと節約してくれたらうれしいのに、と。
 
 そんな彼が去年、スパイスと材料持参で実家に帰った。唯一、タイカレーなら料理上手な母に勝てるかもしれない、と。

「オヤジが亡くなって、母が食事も喉(のど)を通らないほど元気なくなっちゃったから、ちゃんとメシ食いなよって言って、作ってあげたんです」

 でも……、と目を伏せる。

「『おいしいよっ』て言うんだけど、全然そう思ってないのがわかるんです。きっと、タイカレーより、ごくごくふつうのカレーライスのほうが好きなんでしょうね」

 ちょっと残念そうな表情で振り返る。ただ、買いそろえたスパイスは全部置いてきたという。

「『また作って』って言ってもらいたいなあと思って」

 0歳児のパパは、優しい息子の表情になっていた。

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PROFILE

大平一枝

長野県生まれ。失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話~紙とヒトをつなぐひそやかな物語』(誠文堂新光社)、 『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)ほか。最新刊は『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)。HP「暮らしの柄」。
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